新しいものを表示

この説明にはなるほど。石丸に関心が注がれるのも、蓮舫3位石丸2位の順位によるものだろうしなあ。

「石丸みたいなコミュニケーション姿勢だと財界も扱いづらいから、ないんじゃないかなあ」
「うーん、維新の選挙手法と部分的に似てるが、全体的にちぐはぐな印象もあり、違和感を持つ人は多くて、そこからいろんな説が出やすくなってる」
「立花、ガーシー、そして石丸、の系譜で考えるかな。スパチャで異様な額が動いてそうで…」
「YouTubeとマスメディアがもはや伯仲する情勢のなかで捉えるべきなんかなあ」

などと話した。

スレッドを表示

セリグマンの『魔法』っていま買うと税込定価2600ぐらいするんだね(平凡社ライブラリー ・2021年刊行)。

いま古書で5000円前後にまで高騰してるのミシェル・レリス『幻のアフリカ』の定価が2800+税で1070ページ(平凡社ライブラリー で2010年刊行)。『魔法』だと684ページで2400+税。この10年の書籍価格上昇が顕著に出てる。

これも、石丸の背後に財界がいることへの疑念だな。

「YouTubeでの現れ」よりも、「なんで一個人があれだけ金を積んでYouTube展開できるのか」の方が重要だと私はみてる

x.com/shirai_satoshi/status/18

「用途」もなく地下空間なんか作んねえよ、牢獄だろ牢獄、ってことだな。なお、牢獄で虐待するミームは女性向け韓国ウェブトゥーンでも盛況。

D&D以前はダンジョンという言葉はおどろおどろしい響きがあって、洞窟というよりも「地下牢」の方を意味していた。ベルセルクだとグリフィスが捕まってるあれ。

「魔物が住み着く場所」になったのはD&Dとダンジョンクロールもののゲーム以降だろうな

スレッドを表示

ダンジョンの起源と来歴を考えていたが、1970年代のD&DがゲームやRPGにおけるダンジョンの前史に当たるのは確実として、D&D以前を考えるなら「牢獄」表象とゴシックまで含むことに気づいた。
en-m-wikipedia-org.translate.g

片桐庸夫「渋沢栄一と朝鮮 その対朝鮮姿勢を中心として」(2008)読んだ。

koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/m

要約
私財を投じて先行開発してるし偉い(でも韓国側の民族感情への無理解が今や際立つ)、というのと、征韓論には反対だったが時局に対して積極的な反対せず追認者となった、ここは現在では評価は厳しい。

この二つは「日本の植民地主義は西洋と違うし優しいし開発もした」論を言う右派にも丸々引き継がれているので、右派は体制追随的な政商のマインドマップをなぞってるのかも

保守系しょぼサーヴェイだと思ってた論文は、著者自身がラトゥールとかアネマリー・モルとかを援用して「SNSで調べられる民藝の現在を考えようぜ」とやり出したあたりからちょっと面白くなった。単に世代のリアルを出しただけでもあるが。著者は民藝協会系の民藝論に飽き飽きしてたんか、とうっすらわかる。

あれこれ探してるうちに見つけた論文だが、完全に「SNSにおけるエッセイ」として自分が回収してた方面だわと思った。

“「SNSに投稿したつぶやき、写真、動画、音楽、絵文字などの多様な発信を「オートエスノグラフィ」を構成する「断片」とみなし、断片と断片が交錯して紡ぎだされる自己/自社会の物語の集合体を「彼ら(=被調査者たち)のオートエスノグラフィ」と捉え、その特徴を明らかにする」”

“インターネット時代に生じた変化とは、他者との文化的経験を内包する「自己の物語」を被調査者自身がSNSにおいて語り始めたことにある。”

小川さやか「SNSで紡がれる集合的なオートエスノグラフィ 香港のタンザニア人を事例として」(2019)
jstage.jst.go.jp/article/jjcan

民藝の英語圏での結合はこれか。菊池裕子の仕事を探ってたらシアスターゲイツの記事が出てきた。tokyoartbeat.com/articles/-/th

 70−90年代の3代目・柳宗理会長時代が長いんだが、インダストリアルデザインで名を馳せた宗理の時代には、民藝もそう悪いもんじゃないという気分がおそらくあって、日本繁栄気分とおそらく混ざっている。宗理みたいのが続くのなら安泰っぽいし、その前提で叛旗を翻す言説構築も生じていた、というのが90年代までのノリなんじゃないだろうか。いまだと、「(いろんな私設美術館や出版社が創業者死亡で潰れているのが現在なのに)なんでこれ残ってんだろ」という気分が付きまとう。もともとは柳宗悦コレクション財団程度なのに、これがよく残ったなと。建物が立派だし、けっこう頑丈なのか? と。

 柳宗悦再読以上の理論的革新は起きそうにないし、延々「柳宗悦の歴史的位置付け」をやってるような…英国現代工芸言説とかは全然別経路から日本に入るんだろうなあ…と予感させられる。そして国立工芸館とかもその手の革新ポテンシャルはなくて団体組織まがいの存在だと思われる。

スレッドを表示

 民藝言説は他方で、「なんか商売で関わらせてもらってるから伝統とか気になるわ」というノリで出てくる。これは、職人が「日本の伝統」とか言うのと同じよな x.com/msh614kw/status/16241193 一方、「柳宗悦のテキストや審美眼」が好きなデザイナーは、民藝協会うぜえな…となる。x.com/nagaokakenmei/status/161

 こういう言説群の配置で、ブランディングとマーケット、コレクション形成、柳の歴史的位置付けなどの複数の座標がなんとなく見えてくる。

スレッドを表示

 たとえば、この記事の無神経さひどくね? 「柳宗悦にとってどう沖縄が映ったか」から延々書く。沖縄戦の災禍を免れて物が残って良かったやろ?も透けて見える webchikuma.jp/articles/-/2832 民藝協会がどういう意識でやってるのかを、この記事でだいたい推測してしまう。
 朝鮮に作った美術館は今も名前を変えて存続してることになってる。ja.m.wikipedia.org/wiki/朝鮮民族美術 今ちょうど100年記念展がやってるんだけど、100年を日本で祝うようなものなのか?という疑問も。x.com/1121takka/status/1806892 たぶん、いろんな鈍感さがあるんだと思う。だから90年代のポスコロ的な批判はうざかったんだろうね

スレッドを表示

 沖縄での柳や民藝についての言説を追いたいんだが、まだそれは把握しきれてない。だが、なんか目星もつけることができて、日本民藝館と民藝協会の沖縄支部で何をやっているか、沖縄でどう受け止められているか、に話を回収できそうにも思える。札幌支部が00年代に解散してるしこの30年間で各地域の支部の自然消滅や統廃合が起きてる様子がある。沖縄のも潰れて終わる未来もないわけではないのかも。ja.m.wikipedia.org/wiki/日本民芸協会 つまり、理論があるとか活動があるとか歴史的位置付けとかではなく、活動組織なんだから、開催物と現地でどう見られてるかの話に集約されそう。それ以外は「柳宗悦が収集してくれたおかげで残ったもの」の評価とか収集方針バイアス検証といった作業になるのか?

 柳自身は「沖縄人こそが純日本人だから沖縄方言残すべし」みたいなナショナリズムロジックで方言擁護だから、ダメやろで終わる。沖縄現地での柳高評価は、本土の思惑をこえて擁護した柳宗悦がえらいという論調なのかなと。柳えらい扱いは保守名士層におけるものなのか沖縄左派も混ざってるのかは気になるが…。

スレッドを表示

石丸を10代支持層とつなげる言説が増えてるけど、真の背景は財界によるプッシュだと思う

白江幸司 さんがブースト

もう少しいけると期待したけど、まあ仕方ないでしょう。ひとり街宣が発動したのはラスト2週間で、長年の世論がそれで変われば苦労はしません。テレビは当日に嘘までついた。よって、運動した人が悪いという奴は全員嘘つきです。単純に敵が強いだけなので、味方の犯人探しはやめるべき。

小池当選確実か〜やだねえ。二位が石丸というのも地味に悪夢だな。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。