たまたま民藝言説と沖縄や韓国との緊張関係ってどうなってるんだ?と気になって基礎的な調べ物からはじめてるんだけど、当初の予定とは別のところで気になる論点が増えた。途中から「これって全部マネジメントやブランディングじゃねえの?」という疑念が浮かぶようになる。

保守系の人が書いた民藝論の現在みたいなちょろいサーベイ論文を読んでて、いろいろ示唆される。その論文自体はレベルが低いんだが、柳宗悦死去後の民藝におきたことがいまのシネフィルだなとか、これアニメでも起きてね?とかおもった。90年代の柄谷や小熊英二の柳宗悦論がポストコロニアルスタディーズ的批判であると位置付けつつ、書き手は「それらの柳の読み方が間違っているとする論者」にシンパシーがあるのが歴然としてる。なぜかというと著者が伝統工芸関連の職についてるからそのポジションのストレートな反映っぽい(まあ柄谷や小熊は柳のテキストを簡単に片付けるものではあるのは事実なんだろう)。

つまりこれはジェイムズクリフォードなどを退けてラトゥールを掲げる現在の人類学若手と同じで、世代バトルかと。
民藝理論内部でイノベーションは起きそうにない、という漠たる私の疑念が、そのままシネフィル内部はアーミッシュだから知は育たないとする認識と重なる。そして北欧系と結びついたニュー民藝みたいな流れもあって、「マーケットできてるから偉い」みたいな論調も生まれているんだけど、そういうふうに変動する状態がアニメのグローバル成功による地位変動と同じに映る。。かつて高度成長期に地方文化へのノスタルジーが生まれて起きた60-70年代民芸ブームは「真正・民藝組織」たる民藝協会の連中から怒りと焦りで受け止められたが、工芸品の売買や認定にも関与してる以上、結局は「あのブームで需要も湧いたからよし」と現在では解釈する向きがあるようで、外部経済で変動してる感が濃厚だなーとか。

 沖縄での柳や民藝についての言説を追いたいんだが、まだそれは把握しきれてない。だが、なんか目星もつけることができて、日本民藝館と民藝協会の沖縄支部で何をやっているか、沖縄でどう受け止められているか、に話を回収できそうにも思える。札幌支部が00年代に解散してるしこの30年間で各地域の支部の自然消滅や統廃合が起きてる様子がある。沖縄のも潰れて終わる未来もないわけではないのかも。ja.m.wikipedia.org/wiki/日本民芸協会 つまり、理論があるとか活動があるとか歴史的位置付けとかではなく、活動組織なんだから、開催物と現地でどう見られてるかの話に集約されそう。それ以外は「柳宗悦が収集してくれたおかげで残ったもの」の評価とか収集方針バイアス検証といった作業になるのか?

 柳自身は「沖縄人こそが純日本人だから沖縄方言残すべし」みたいなナショナリズムロジックで方言擁護だから、ダメやろで終わる。沖縄現地での柳高評価は、本土の思惑をこえて擁護した柳宗悦がえらいという論調なのかなと。柳えらい扱いは保守名士層におけるものなのか沖縄左派も混ざってるのかは気になるが…。

 たとえば、この記事の無神経さひどくね? 「柳宗悦にとってどう沖縄が映ったか」から延々書く。沖縄戦の災禍を免れて物が残って良かったやろ?も透けて見える webchikuma.jp/articles/-/2832 民藝協会がどういう意識でやってるのかを、この記事でだいたい推測してしまう。
 朝鮮に作った美術館は今も名前を変えて存続してることになってる。ja.m.wikipedia.org/wiki/朝鮮民族美術 今ちょうど100年記念展がやってるんだけど、100年を日本で祝うようなものなのか?という疑問も。x.com/1121takka/status/1806892 たぶん、いろんな鈍感さがあるんだと思う。だから90年代のポスコロ的な批判はうざかったんだろうね

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 民藝言説は他方で、「なんか商売で関わらせてもらってるから伝統とか気になるわ」というノリで出てくる。これは、職人が「日本の伝統」とか言うのと同じよな x.com/msh614kw/status/16241193 一方、「柳宗悦のテキストや審美眼」が好きなデザイナーは、民藝協会うぜえな…となる。x.com/nagaokakenmei/status/161

 こういう言説群の配置で、ブランディングとマーケット、コレクション形成、柳の歴史的位置付けなどの複数の座標がなんとなく見えてくる。

 70−90年代の3代目・柳宗理会長時代が長いんだが、インダストリアルデザインで名を馳せた宗理の時代には、民藝もそう悪いもんじゃないという気分がおそらくあって、日本繁栄気分とおそらく混ざっている。宗理みたいのが続くのなら安泰っぽいし、その前提で叛旗を翻す言説構築も生じていた、というのが90年代までのノリなんじゃないだろうか。いまだと、「(いろんな私設美術館や出版社が創業者死亡で潰れているのが現在なのに)なんでこれ残ってんだろ」という気分が付きまとう。もともとは柳宗悦コレクション財団程度なのに、これがよく残ったなと。建物が立派だし、けっこう頑丈なのか? と。

 柳宗悦再読以上の理論的革新は起きそうにないし、延々「柳宗悦の歴史的位置付け」をやってるような…英国現代工芸言説とかは全然別経路から日本に入るんだろうなあ…と予感させられる。そして国立工芸館とかもその手の革新ポテンシャルはなくて団体組織まがいの存在だと思われる。

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