クリエイターものの漫画への嫌悪が掴めてきたが、マンガの自伝ものやクリエイター神話は『漫画家残酷物語』に始まり、『まんが道』で広く浸透するが、『まんが道』は手塚を讃えることとコンビの友情ものにすること、不器用なビルドゥングスロマンであることでバランスが比較的マシになっている。だがまんが道をなぞろうとすると、「大人の自分」を終着点とする亜インテリの自己追認に終わり、青年誌漫画のプロパガンダめいた要素が露呈することになる。青年誌にはイデオロギー批判の風土が欠落している欠点も大きい。
だが、このクリエイター表象があくまで擬似性や遊戯として捉えられているのであれば、全く状況が変わる。具体的には、「マイクラみたいななろう漫画」と同列に扱われるなら怒りが湧かなくなる。異世界のんびり農家も、こんな農業ねえよ、都合よすぎるわーとみんな知りつつ半笑いで、ゲーム感触の楽しさを認めて許されているわけで、そこで描かれているのは農業そのものではない二次的な行為性だ。
そうはなっておらず、クリエイターものは真顔で受容されているのが耐え難い。売れない漫画家が「藤本タツキ…やはり天才…」とか言ってるから、ルックバック受容は一層きつい。ものづくりイメージにはイデオロギー付着しやすい点でも重なる。
こっちはまだ買ってないけど、これもなろう様式の上位知みたいな狙いの文庫化だ。
婚約破棄ものって、要は決闘の変種じゃね?と思ってた。
山内進『決闘裁判 ─ヨーロッパ法精神の原風景』
これが、娼婦とのガチ恋からの心中エンドの構造だわな。江戸期の世話物でとにかく芸妓に惚れて死ぬ話が増えるのだが、初期近代の貨幣経済の成立と不可分なんだろう。
「人間は、しばしば特定の対象に交換不可能な価値を見出し、そうした自分にとっての「聖なる価値(Sacred Values)」がお金に換算される時に強い怒りを感じる」
これ、日本の在留資格の厳しさが適正なのかの問いを巧妙にはぐらかしたり、昔から飲食業は稼ぐためにやる世界だというのをごまかしてるからタチ悪い記事だなー。
まあ文春なんだから日本社会の問題点は挙げないようにする前提の仕事しか作らんわなというやつ
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ca6666f60280cdd25dd50a4b0727a835bb10177
ハーメルンから珍しく漫画化してるっぽい。大筋には男向けポルノ設定なのに、男主人公がゲイ向けっぽいむきむきキャラなので、客層設定がバグってんな https://twitter.com/comicgardoplus/status/1775409264842166362?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
精力的に活動してるな〜。
“『私が諸島である――カリブ海思想入門』(書肆侃侃房)が話題の中村達さん。新連載が弊社の「かしわもち」で始まります。タイトルは...
『君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉』
です!ぜひご注目ください。
https://note.com/kashiwashobho/n/na5b5d70c1b01 ”
https://x.com/kashiwashobo/status/1781284630102261785?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
ドストエフスキーなどを引きながら「過剰な近代的自我を持つ人間の悩みをモチーフとする小説」の話は、エロゲか?日本文学男性か?と思った。この枠の人が渇望する思考や美学ってあるよなと。マックス・シュティルナーが支持される経路もそれであり、おそらくニーチェ支持も一部はそうなりがちだとか…。
https://pleroma.tenjuu.net/objects/aa7cfa1d-a70e-42a7-887a-7972a201f28b [参照]
あまり書き物ができてない。