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クリエイターものの漫画への嫌悪が掴めてきたが、マンガの自伝ものやクリエイター神話は『漫画家残酷物語』に始まり、『まんが道』で広く浸透するが、『まんが道』は手塚を讃えることとコンビの友情ものにすること、不器用なビルドゥングスロマンであることでバランスが比較的マシになっている。だがまんが道をなぞろうとすると、「大人の自分」を終着点とする亜インテリの自己追認に終わり、青年誌漫画のプロパガンダめいた要素が露呈することになる。青年誌にはイデオロギー批判の風土が欠落している欠点も大きい。

だが、このクリエイター表象があくまで擬似性や遊戯として捉えられているのであれば、全く状況が変わる。具体的には、「マイクラみたいななろう漫画」と同列に扱われるなら怒りが湧かなくなる。異世界のんびり農家も、こんな農業ねえよ、都合よすぎるわーとみんな知りつつ半笑いで、ゲーム感触の楽しさを認めて許されているわけで、そこで描かれているのは農業そのものではない二次的な行為性だ。
そうはなっておらず、クリエイターものは真顔で受容されているのが耐え難い。売れない漫画家が「藤本タツキ…やはり天才…」とか言ってるから、ルックバック受容は一層きつい。ものづくりイメージにはイデオロギー付着しやすい点でも重なる。

こっちはまだ買ってないけど、これもなろう様式の上位知みたいな狙いの文庫化だ。

婚約破棄ものって、要は決闘の変種じゃね?と思ってた。

山内進『決闘裁判 ─ヨーロッパ法精神の原風景』

chikumashobo.co.jp/product/978

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最近はなろう上位教養狙いの文庫多いなーと思いつつディールス『古代技術』買ってきた。

『ソクラテス以前哲学者断片集』のディールス、つまり古典文献学を経たなろうである。

これが、娼婦とのガチ恋からの心中エンドの構造だわな。江戸期の世話物でとにかく芸妓に惚れて死ぬ話が増えるのだが、初期近代の貨幣経済の成立と不可分なんだろう。

「人間は、しばしば特定の対象に交換不可能な価値を見出し、そうした自分にとっての「聖なる価値(Sacred Values)」がお金に換算される時に強い怒りを感じる」

elabo-mag.com/article/20210926

これ、日本の在留資格の厳しさが適正なのかの問いを巧妙にはぐらかしたり、昔から飲食業は稼ぐためにやる世界だというのをごまかしてるからタチ悪い記事だなー。

まあ文春なんだから日本社会の問題点は挙げないようにする前提の仕事しか作らんわなというやつ

news.yahoo.co.jp/articles/7ca6

白江幸司 さんがブースト

にゃーんとばかり言って暮らしたい

「繁殖機構ごといじらないと、繁殖に占める労苦の非対称性を保持したままになるから、男女のガワをちょっといじる程度の差になるんだよな〜」とストレートに厳しい意見をもらい、ジェンダーSFの蓄積をきちんと履修しよう〜、という気分になった

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男女で絵柄違うのをキープしてるようじゃだめだな〜、と思ってたら、さっそく美少年キャラを出して造形で撹乱してきた

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あ〜、これ男女の役割語を残してるのがだめだわ。ここはもっと撹乱すべきだな。小説から漫画に変える際にいじるべきだった。が、キャラ属性に関わるからいじるのが難しいのか…

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女性キャラの造形からオタクっぽさを弱めると、さらに一層よくわからないバグり方を目指せそう

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女性同人作家の艦これ二次創作と、後宮もの、だいたい似た感触だなと気づいた。

ハーメルンから珍しく漫画化してるっぽい。大筋には男向けポルノ設定なのに、男主人公がゲイ向けっぽいむきむきキャラなので、客層設定がバグってんな twitter.com/comicgardoplus/sta

TLがなぜか「褒めが必要」の話題。気楽な褒めこそが重要なんだけど、遂行されにくいやつだな〜。思い入れがあるほど論じにくいというのと似てて、踏み込みすぎると褒めが難しくなる。

精力的に活動してるな〜。

“『私が諸島である――カリブ海思想入門』(書肆侃侃房)が話題の中村達さん。新連載が弊社の「かしわもち」で始まります。タイトルは...

『君たちの記念碑はどこにある?――カリブ海の〈記憶の詩学〉』

です!ぜひご注目ください。

note.com/kashiwashobho/n/na5b5

x.com/kashiwashobo/status/1781

そういえば、吉原展の反応のみられるように遊郭はアウト判定が活性化している一方で、女性向けエンタメで「遊郭はアウトだが後宮ものはオッケー」なルールが真っ盛りなことが気になってるなあ。

なんか誰も言わないなあと。本屋の店見てると、エンタメ小説棚が後宮だらけ。平安文学の置き換えみたいな中華宮廷ファンタジーが大量にある。

ドストエフスキーなどを引きながら「過剰な近代的自我を持つ人間の悩みをモチーフとする小説」の話は、エロゲか?日本文学男性か?と思った。この枠の人が渇望する思考や美学ってあるよなと。マックス・シュティルナーが支持される経路もそれであり、おそらくニーチェ支持も一部はそうなりがちだとか…。

pleroma.tenjuu.net/objects/aa7 [参照]

北村は階級関係に鈍いのは事実であり私もそこには共感は無いが、かといって雁林を擁護・支持できるかというとまた別であり、この二つを混同する主張の方に私は唖然とする

カルロ・ギンズブルグ『歴史・レトリック・立証』の序章〜第1章を読んでいて、とにかくニーチェとニーチェ論者を敵認定して、それを倒すためにアリストテレスを召喚する振る舞いによる射程の狭さに呆れていたのだが、永井均の案件から出てくる論法もまた「とりあえずニーチェ葬っておけばいいだろ」の気配が濃厚で、SNSでも似たような論法か…という感想に。

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