エモという言葉の成立経緯に対する、主観的な思い出です。
メロディアスなパンクロックがemotional hardcore、略してemoと呼ばれて
1. 英語圏ではやがてちょっとバカにした意味になる(顔やファッションで人気のバンド、或いはゴスな少年を指す言葉)
2. 日本では激情系・叙情系ハードコアという音楽サブジャンルができる
音楽用語としての定着が90年代~00年代前半くらい。上記2の情感を掻き立てるイメージがエモいやエモみという表現になっていったような。
上記1の青春や“病み”成分はもともと日本ではさほど意図されていなくて、後から合流していそうな気がします。
エモについてのやり取りを瞥見。
ベトナムで共産主義カフェが人気というのも関係付けられていてなるほどと思ったが、星野藍の「旧共産圏遺産」写真集にも結びつけられそう。
他にも、いま東京渋谷で出歩く人を見ると日本人率がかなり下がっているとも聞く。
こうなるとノスタルジーとはあまり関係しない圏域での「エモ」コンテンツとツーリズムが関わっていると見るべきで、一昔前なら九龍城とか90年代アジアコンテンツも、わりとノスタルジーと異郷関心の複合だったんだろう。
ゲームがゴシック洋館になったり九龍城になったりするのって、ゲームは異郷ツーリズムだろと見切ることで生まれた振り幅だろうなあ。私は「現代ゲームと移動」の観点からポストコロニアルスタディーズを再発掘し始めたのを思い出した。
嫉妬への還元論は、権力者に使われると悲惨になるというやつかー。
(私は自他に嫉妬還元で見る習慣を入れているので、別の意味で響いた。単なる私憤を義憤に偽装することは誰にでも起きるから…)
https://twitter.com/NishiiTerumi/status/1685462318505971712?s=20
これ読んでみようかな。
Alys Eve Weinbaum, The Afterlife of Reproductive Slavery: Biocapitalism and Black Feminism’s Philosophy of History (2019)
https://www.dukeupress.edu/the-afterlife-of-reproductive-slavery
文化の真正性と全く関係ない路線で面白い。
ビッグモーター社長の大豪邸の後で見ると、こっちの良さが際立つ。
https://www.suumocounter.jp/chumon/report/jitsurei/entry/2023/07/21/103000
あまり書き物ができてない。