若手の俊英研究者が集まってそうだし、かなり良さげな・・・
廣田大地・中野芳彦・五味田泰・山口孝行・森田俊吾・中山慎太郎『抒情の変容 フランス近現代詩の展望』(幻戯書房、2024.5)
大した論文ではなかったが、プロパガンダをめぐる古典的な主要文献の目録として一読するといいようなものだった。けっこう邦訳も多いとわかる。
「「プロパガンダ論」再考」(2023)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kohokenkyu/27/0/27_4/_article/-char/ja/
@promenade11 長々とすみませーん
@promenade11 たとえばこの記事とかは、何の知も摂取せずにやってるので、全部造語とたとえで説明が進むような微妙さがあるんだけど、こういうのをもっと記述を絞ったり議論の射程を広げるようにできる、とかがありるのでは・・・
https://note.com/swim_think/n/n3c855c63524a
@promenade11 実際には研究論文として出力するというよりは、フィールドワークの知を摂取しつつ、我流で秩序把握を進めていくんじゃないかなあ
@promenade11 フィールドワーク的な語彙でファンダムを内部から把握して行こうとする人は近年わりと増えてそうですよ。女性オタクの場合、そうでもしないとコミュニティ規範の圧をうまく言語化できないといった話をたまに耳にしますね
@promenade11 それは、可視的にはコメントや考察、愛着表明があり、不可視なものにはコミュニティごとの境界線などがあるんですが、もっと不可視で透明化されているのは、コミュニティごとの掟であって、掟を違反するといじめられるから、安全安心の確保のために掟の問題は盲点化しがちなんですよ。リスク抱えてもいいことないから。
これは昔の雑誌的文化トライブよりも水面下に潜って見えなくなった分、脱出も難しくなったし支配が巧妙化した面もある
@promenade11 いまはいまでトライブやコミュニティがあるんですよ。それを語る言葉があんまり開発されないし浸透しないだけで。というのは、下手に名指すと敵視されてフルボッコ食らうから。
@promenade11 いや、今もそういうのはありますよ。ヤマシタトモコを掲げる人らは「これでオタクコンテンツ触れないで済むわ」計算が透けて見えるのが多いですよ。
逆に、私はダンジョン飯マンガを「こういうのがちょうどいい」と言わんばかりに持ち上げている振る舞いにオタクファンダムの嫌な感じをみてましたよ
@promenade11 マンガvs文学、サブカルvsオタク、といった対立争点が全部蒸発したのが大きいと思う。>権威的語りがなくなった
@promenade11 Jコミックの件で今付け加えると、「オタクカルチャーを分離させた選別」になってるのはありますね。このへんの頑なさは、岡崎京子から安野モヨコに覇権が移る途中で解消されていく。
ここに沙村広明とか黒田硫黄、弐瓶勉、内藤泰弘あたりが入ってると「うまくオタクっぽいのを混ぜた」になるかも。漫画家とイラストレーターの90年代資料では『コミッカーズ』(ちょい前の『MdN』今では『イラストノート』が近い枠の雑誌)が重要なんですが、それはオタク方面の書き手がかなり多い。
@promenade11 河出のJコミックはヤング誌のスター作家を集めまくったやつです。文学とあんまり関係ないかも。
いまはヤング誌看板からのテレビドラマ化やドラマ化しないけどさらにセンスを尖らせるコースとかがもう消えつつあるから、あのオーラの後釜作家がいないようなところがあるんですよ。ヤマシタトモコや中村明日美子とかが今だと近い枠かな。
@promenade11 ちなみに私はそういう意味で読者反応の類型化処理を突き詰めたので、コメ欄から刺激を受けることはあんまりないですね・・・。ネット小説のコメ欄は、有害性(すぐに不満を言って作者をコントロールするとかヤバい傾向がある)などが目立ったので、そこで学習したけど。
@promenade11 昔の論者も今の読者も、たいていは誰しも特定のトライブに「ここに可能性がある」と判定して拠点を構築するから、今も昔も総体を語ってる人はそんなに多くないと思うよ。呉智英はあからさまに女性のマンガをあんまり読んでないもの。
今も昔も精度そんなに高くないですね。支持する読者層がいるかいないか、過去になったかなってないか、ぐらいなのでは。
児童誌マンガをめちゃ掘って比較検討してる人は今も昔もあんまりいない…
@promenade11 トライブが火花をちらしながら、トライブ全体の布置が徐々に時代ごとに変形していくライフゲームのような総体はありますよ。でも「こんな記述は恣意的。ただのお前の主観」と一撃で腐されるのを回避できる語り方が思い浮かばないんですよね…。トライブや形態を没入可能な描き方をしないだけで不審感をもって読まれるのは避けがたそうだし。
滔々と確信を持って語って迫力でごまかせばいいのか?と悩んだり…
@promenade11 いや、トライブは内面化しなくていいんですよ。10代の頃なら内面化しちゃうのはまあよくあるんですが、私はもうジョブツリーとスキルセットと同じ把握です。このカルチャーコードで、この味付けで、こういう武器が出てくる、みたいな。チャンピオンのヤンキー漫画とジャンプのヤンキー漫画は味付けが違うとか、読者の好みも違う(市場)、とかそういう形態的な処理をしますね。造形とかコスチュームと一緒w
@promenade11 あーこんな特集あったのね。まあ雑誌フリースタイル自体が「団塊ジュニアの90年代意識のまま時間を止めた」ようなダメさがあるんだよね(私はすぐにそれに気づいて呆れ返ったが、もう一周してタイムマシンみたいな雑誌って生きた時代資料として褒めるべきか?すごいのか?と思いつつある…)。
https://webfreestyle.com/products/フリースタイル-25-br-特集-the-best-manga-2014-このマンガを読め
@promenade11 そうなると、オンラインの現状では作品を土壌にして個々に成り立つコミュニティになるので、昔の雑誌秩序での媒体やジャンルに根差した総合コミュニティとはまたちょっと違ってくる感じですね。企業別組合と産業別組合ぐらいの規模感の違い。
オタクファンダムが相対的に強いのは、要はジャンルを一定のまとまりで合意する参照枠として(恣意的であっても)便利だから、という面がありそう。
@promenade11 昔は漫画に限らず雑誌って「この雑誌読むやつは〜が好きで、〜な格好をしてて」みたいな部族ステレオタイプを自他ともに強固に構築して、そのステレオタイプ像の了解とともに相互にいがみ合ったり牽制したり、あるいは両方を摂取していたり、ということが常態で、そういう部族特性の掌握と部族の移動というものも、カルチャー受容者ならある程度自覚的だったんですよ。これは陣営ごとの揶揄やカリカチュアが豊富だったことと表裏一体のリテラシーでもあるんですが。音楽や映画などの雑誌間の棲み分け、睨み合いがわかりやすいかも。
で、これは漫画雑誌の場合は、サンデーとジャンプとマガジンはどう違うかとか、花とゆめやASUKAは…とか、角川はさらに落ちるとか(これは00年代後期ごろに覆った)、少年誌と青年誌の識別とか、青年誌とヤング誌の識別とか、まあ上下や横で細かく比較があって、「他紙で受けた路線を持ってきたぞ、さて別の味を出せるかどうか」といったジャッジが比較的共有されていた。まあ映画だとスタジオ、音楽だとレーベルみたいな秩序ですね。で、オンライン掲載になって、それらの類推の網の目が、無にはならないにせよ、変容したのと、読者はもうそういう読解格子を持たずに作品という点しか見てないような状況が急速に進みましたね
あまり書き物ができてない。