旧共産主義建築の写真って、火付元がこの人だよね、と聞いたりした。スポメニック作品を早くから取り上げている。
Jan Kempenaers(1968年生まれ)。
氷室冴子さんのコバルト文庫の作品をわたしは中学生のころ夢中で読んでたのですが、この本を読むと、当時の苦労として、
「男性のインタビュアーからやたら年収を聞かれ、『ああいう小説は処女じゃなきゃ書けないんでしょ』と好意的ニュアンスで言われる」「笑顔で耐えて、帰宅後、家中のワインの瓶ぶち割って一晩中泣いた」
とか、
「のちにセクシャルハラスメントという外来語を知り、自分が怒りっぽい変な人なのではなく同じように傷つけられている仲間がいたことに気づく」
とか、
「四十代後半の男性と仕事上の意見が異なったので、話し合いをしようとしたら、向こうは気の強い女の子が我を張って甘えてきてて困っちゃうナという様子で、対等な仕事相手とは思っていないのがわかった」「試しに『別の男性も同じ意見でして』と言ってみたら、相手がギョッとして急に話を聞き始めた」
などから、
「相手に『女というバイアス』が作る不可侵領域がある。これらの経験に近い理論はフェミニズムだと気づいて支持するようになった」
とあった。
時代は違うけれど、自分のいた2000年代のライトノベル界(作家も編集者も男性が多い)も思い出され、なかなか辛い。
先日、漫画家の一条ゆかりさんがお若いころ、バーで男性編集者に頭からお酒をかけられ、編集者側は「今日の獲物」の女だった的に武勇伝としてその話をしていた、というエピソードを読んでぐったりしたのを、思い出したりした。
また、氷室冴子さんのお母さんが知らないうちにテレビに出て「娘の縁談についての人生相談」をし、娘のペンネームも本名も開示された状態で放送され、占い師さんが、
「娘さんは35歳で才能の限界を悟って結婚を考えます。俳優の竹脇無我のような優しい男性がよい。自力では見つけられないから周りが段取りしてあげましょう」
と占うのが流れた…
というエピソードは、ただ読んでいるだけでライフがゼロに…。
氷室さんは、どれだけ仕事を頑張っても自分の選んだ道を進んでも、結婚をしなければ(家父長制に従わなければ)無価値だと思われていると、大変ショックを受けた、とある。
『文藝」夏号の「松浦理英子が語るミソジニーと苦難の時代」のことも思い出した。
また、倉橋由美子さんが男性の批評家から壮絶に批判され、由美ちゃん呼ばわり(キモい…)されていたことなどをさいきんこの2冊で読んだのも思い出した。
エモという言葉の成立経緯に対する、主観的な思い出です。
メロディアスなパンクロックがemotional hardcore、略してemoと呼ばれて
1. 英語圏ではやがてちょっとバカにした意味になる(顔やファッションで人気のバンド、或いはゴスな少年を指す言葉)
2. 日本では激情系・叙情系ハードコアという音楽サブジャンルができる
音楽用語としての定着が90年代~00年代前半くらい。上記2の情感を掻き立てるイメージがエモいやエモみという表現になっていったような。
上記1の青春や“病み”成分はもともと日本ではさほど意図されていなくて、後から合流していそうな気がします。
エモについてのやり取りを瞥見。
ベトナムで共産主義カフェが人気というのも関係付けられていてなるほどと思ったが、星野藍の「旧共産圏遺産」写真集にも結びつけられそう。
他にも、いま東京渋谷で出歩く人を見ると日本人率がかなり下がっているとも聞く。
こうなるとノスタルジーとはあまり関係しない圏域での「エモ」コンテンツとツーリズムが関わっていると見るべきで、一昔前なら九龍城とか90年代アジアコンテンツも、わりとノスタルジーと異郷関心の複合だったんだろう。
ゲームがゴシック洋館になったり九龍城になったりするのって、ゲームは異郷ツーリズムだろと見切ることで生まれた振り幅だろうなあ。私は「現代ゲームと移動」の観点からポストコロニアルスタディーズを再発掘し始めたのを思い出した。
あまり書き物ができてない。