ふーん、これ読んでみようかな。
『創られたキリシタン像』
“キリスト教伝来以降、民衆が抱くキリシタンへのイメージは、排除を意図して書かれた「排耶書」や「キリシタン実録」(実際の事件を主題にした小説の一種)など様々な出版物によって、実態とはかけ離れたものとなっていった。
大正期になると一転して「キリシタンブーム」がおこり、「虚構系資料」(キリシタン遺物の偽造品)を扱う骨董商まで現れ、現在誤認されたままの資料が各地のミュージアムに収蔵・展示され文化財に指定されるなどの問題が生じている。
これら三種の資料を紹介し、近世初期から現代までの民衆のなかのキリシタンイメージの変遷と、歴史的背景を読みとく。
【2024年度西南学院大学博物館企画展Ⅱオールカラー図録】”
〈自民党に詳しいジャーナリストは「自民党の選挙は電通に丸投げですよ」と裏事情を語ります。〉
自民、電通へ100億円超/19年間 政党助成金から支出
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-09-15/2020091501_04_1.html
なるたるやぼくらのは性的モチーフや破壊、生死を露骨にやることで先鋭化したが、これは90年代文化から永井豪をやったというところがある。いじめとポルノなどの成分配置が90年代モード。
他方、モチーフは共通するが、構成要素間の隔離をうまくやったのがチェンソーマン。デンジがいかに胸がどうこうのと吠えようと作品秩序がデンジのリビドーとあまり連動しない。
アヤシデはそこで、性愛要素はいったん括弧において、友愛と不和に集中することで別の尖らせ方にチャレンジ。いじめがシリアスなティーンズに刺さりそう。藤本は教室内秩序の感度を尖らせるには歳食ってるので若い人の方が有利になる。吉野マトもだが。
バトル漫画は青年期における生の要素の昇華として展開するんだけど、それを構造化しつつコントロールして擬似的にメタを張れてるのがチェンソーマンの強み。メタで一段上をやるのではないなら、ドロっとした熱量でぶっ飛ばすしかない。この二択に挟まれると、田辺イエロウ「界変の魔法使い」はベテランとして達者だが、藤本的なキレの良さも、若い人の武器もない、と鮮明になってしまう。
たしなめる意見もけっこう多いので、別饅頭は「俺はSNS正義の外にいまーすアピール」にふけりすぎだな(なにかみた)
https://x.com/kenbikyou_i/status/1834436356434493861?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
ちなみに増村十七さんも四季賞受賞している。
https://x.com/masumura17/status/1160543119999287296?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
展覧会特集のフォスターやクリフォードらに言及してる項目はIH、つまり池上裕子なので、えっ『越境と覇権ーロバート・ラウシェンバーグと戦後アメリカ美術の世界的台頭』の池上? もっとそういう仕事してもよかった人なのか?? という反応になるやつ。
https://researchmap.jp/read0107023
英国ブラックアートを90年代初頭から扱ってた萩原弘子が、なぜか全然読まれてないのと同じで、注目されてしかるべきだったのに放置されたりしたんかな〜と思った。
『西洋美術研究』バックナンバーをよく見ると、Daniel Arasse, Le Detailについての書評あるし、Belting, Bild und Kultの書評あるし、認識されてたのに邦訳はされないで止まったんかーい、と頭を抱える。日本の人文出版パワーしょぼい。この頃の被書評物で翻訳が出たのはストイキツァとユベルマンぐらいか。
ディヴィッド・フリードバーグ「隠された神:16世紀ネーデルラントにおける画像と禁令」やダリオ・ガンボーニ「現代美術とイコノクラスム」の邦訳掲載されてるのが見どころ(6号)。ここからイメージ論的転回が訳されてよかったのにそんなことにはなってない。
7号のパラゴーネ特集だけど、ヴァルキ『パラゴーネ』は2021年になってひょっこり訳された。
あまり書き物ができてない。