菅野昭正の死去により、高階秀爾・ 菅野昭正・平島正郎の討議記録『徹底討議 19世紀の文学・芸術』(青土社、1975)についての回顧が見られる。
直接それに関係するわけではないが、『19世紀の文学・芸術』の向こうを張る現在の仕事として断続的に開始された松浦寿輝×沼野充義×田中純「20世紀の思想・文学・芸術」(群像、2019年~現在)が話題になっていないことが気になっている。
松浦・沼野・田中の第1回でも『19世紀の文学・芸術』に言及し、彼らが40-50代という若さでああした仕事をした一方、自分たちの世代がこうした仕事をしてきたのだろうか、と自問し遅れ馳せながらと始まるのだが、ある程度若いほうがこういう大きな題目の教養は読者に届くのかなという気にもなる。
私はART SINCE 1900について文学中心で芸術への接点がなさそうな人に、松浦・沼野・田中の記事を「いまでは旧・教養になりつつあるが、まとまっている」と読むように勧めたりしていた。
その意味では宮崎さんと似た関連付け紹介か( https://twitter.com/parages/status/1144024878082695168?s=20 )。偏差や差分を注意しながら読んだほうがいい、とか、かつて文学研究者が文学中心に横断性を持っていたモデルとして読めるとかなんとか言った覚えがある。
ちょうど、ひと月前の菅野レクチャーを聞き返して、メキシコ山椒魚(ウーパールーパー)はネオテニーで非人間だし、「メキシコ山椒魚への生成変化は最高じゃね」みたいな着眼あついなー、と気に入ってたところだった。
この着眼、そのままスライムに応用できるなーと。
https://co-jin.jp/pickup/2023_kyotoseikauniv_onlinelecture_0217/
菅野優香の単著きたー
"【新刊案内】
菅野優香=著『クィア・シネマ 世界と時間に別の仕方で存在するために』
作家、スター、作品のみならず観客やコミュニティを縦横に論じる「雑種」で「不純」な映画論。クィア・シネマの可能性を日本に紹介してきた気鋭の映画研究者による待望の単著デビュー作
http://filmart.co.jp/books/movie/review/queercinema/ "
https://twitter.com/filmartsha/status/1637741932851134465?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
恵投してもらったので早速読んでたんですが、めっちゃよかった。
藤谷千明&蟹めんま『バンギャルちゃんの老後 オタクのための(こわくない!)老後計画を考えてみた』(ホーム社)
https://www.amazon.co.jp/dp/4834253678/ref=cm_sw_r_as_gl_api_gl_i_H33RY1XZBEYT341EMNTP?linkCode=ml1&tag=tttceinture-22
バンギャの生態には疎いのう…とかたじろいでたら、まさかの介護基本認識入門の好著。このガワでそう来るか!と驚いた。
まだ序盤を読んだばかりなので感想を追記していくけど、ゲストを呼んでいろんな施設形態の話を聞き(他方で介護初任者研修資格持ちの藤谷&蟹の二人が適度にボケ役に回る)スタイルで、ローカルな知にとどまりがちな介護関係者にとっても新鮮な話がドカドカ投入されている。
さくっと「血縁で発想しないほうがいい」とか「どの集団もさまざまな年齢層が混ざるんだから、高齢者だけの施設にしない方がいい」といった洞察が挟まるのもうまい。
『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』のスピンオフ外伝っぽい本にも仕上がっている。
この三つとも群像掲載からの単行本化なんだけど、この路線は今後も拡大していきそう。
群像の文芸評論イメージとは分離して、別のパッケージとして成功する見通しがありそうだなと思った。この3冊のうち星野は連載枠だが、小川と戸谷は「3,4回載ったら単行本化」みたいなかたちで本になっている。
三木那由他もすでに長く連載してるからこれがまとまるときに高島鈴のように話題になるのかもしれない。
こうやって出されると、群像に乗せるのが仮の形態にすら見えるので、群像での見え方に気を取られると盲点になりそうだなーと。
いまの35歳以下だと、雑誌秩序感覚とか、この雑誌でこれやるんだという驚きや識別能力がほとんどなくなってるんだけど、この種の雑誌秩序感覚崩壊と配信サービスや単行本買われる状態に、活字も近づくのかも。
あまり書き物ができてない。