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薄暮のなか燃えあがる生命の炎 ーー 『斜陽』 - TOM CAT WORK tomcat.work/books/978-4-10-100

『斜陽』太宰治

没落貴族の滅びの物語、と国語便覧や時折見かける紹介で聞き及んでいたが、実際に読んでみると死や滅亡よりもずっと「生」を感じる作品であった。

物語は主人公のかず子の目線で進んでいくが、時折文脈からは理解しきれないぽつりと差し込まれる一言が、不穏さ、というか彼女がただの没落貴族のお嬢様ではないことを予感させる。冒頭の無邪気にも思える母娘の暮らしは、可憐な少女たちが暖かな昼の光の中でひらひらと舞うようであるのだが、物語が進むに連れ、かず子からはじわじわと「女」が立ち現れてくる。

その「女」は旧来的な価値観を打ち破り、新時代を生きていこうとする、新しい女・母の姿である。

物語の終わりには自ら望み新たな生命を宿した女が佇んでおり、これは単なる没落の物語ではない。彼女の立ち姿にはおそれすら感じる。

その姿は、薄暮のなかひとつ真っ赤に燃えあがる生命の炎のようだと思った。

縄編みやってると、ニンゲンの歴史のどこかの時点で、網目の前後を入れ替えて編んだら模様になるんじゃね?と気づいたあるいは探求した人がいたんだなあ。と思ってしみじみした気持ちになる


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冬支度でバタバタしててそんなしっかりできてない

「アットホームな職場です」を「身近な人間関係」の軸で見てみると、

- 職場→会社とは共通の目標を達成するために契約を結び、役割や機能によって位置づけられる共同的な縦横軸が存在する身近な人間関係である。
- アットホーム→家庭的であるということ、すなわち擬似家族的なもの。家族は相補的な縦横軸が存在する身近な人間関係である。

よって「アットホームの職場」というのは共同的愛(友人とか仲間とか)と相補的愛(家族とか恋人とか)という異なるものの混在である。

いろんな学問とか歴史の本を読んでみないとわからんけど、なんかコンクリートジャングル的な?中で孤独を感じる時があって、その頃に長時間いる場所の職場に「家庭的愛」が売りになる頃に生まれたのが「アットホームな職場」っていうフレーズだったんかな?などと。

で、その「家庭的」を抑圧や個人の犠牲に使うのがブラックね。

よって最近ではスッカリ「察し」なモノになったワケだけど、近年の「最近の若者は〜〜」的な記事を見てると、そもそもこの混在を意味わからんてバキバキに割り切ってる感じあるけど、これは世の中のなにがどうなってこうなりつつあるのかが気になる

昔あった(今もある?)いい腕時計をつけてるのはステータス、みたいなのが、現代では食べ物や買ったものの写真をSNSにアップすることなどなどに置き換わった、すなわちそれらは社会的地位の獲得方法だ、というようなことをたてつづけに読んだ故、なんかひんやりした感じになってる。

これは昔、葬式をするのは生きてる側の人間の心の整理のためだってのを読んでやっと自分の感覚を理解したときのひんやりした感じに近い。


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今週は休み中に復文のための下準備ができなかったのでお休み


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完全に風の邪をもらったので、明日はできるかわからん

無限紙幣湧きドコロ
というフレーズが頭をよぎったが、ただの貨幣価値おかしくなるやつだったわ

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