徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」
https://note.com/k2y2manabe/n/nf03caaf03269
“尹東柱の幼友達であり、キリスト教の牧師でもある文益煥が、尹の普遍的な人間愛を強調することには一定の理由と意義がある。しかし、日本人であり翻訳者である伊吹が、文益煥の言葉を自説補強のために引用することは二重の権力行使ではあるまいか。迫害を受けているものは、迫害者に対する憎しみにとらわれることで自分自身を卑小にすることを恐れ、憎しみを愛へ昇華させようとするであろう。キリスト教徒であった尹東柱は「軍国主義の日本人」を激しく憎んだからこそ、それを愛そうとしたとも考えられる。それは「憎しみ」そのものでないとしても、「万物に宿る生命へのいつくしみ」といったきわめて一般的な解釈からはほど遠い境地であろう。”
徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」
https://note.com/k2y2manabe/n/nf03caaf03269
“尹東柱が禁じられた朝鮮語で詩を書いていた当時の状況をリアルに想像する感性が伊吹にあれば、いや、自分の想像がとうてい現実に及ばないのではないかという謙虚さがありさえすれば、その詩が「実存凝視の愛の表白」であり、「軍国主義の日本人に対する憎しみなどかかわりがない」などと自信満々に主張することはできなかったであろう。”
「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(上)
https://imidas.jp/jijikaitai/D-40-141-20-06-G734
“だが、光州市民のこんな奮闘や戒厳軍の狼藉は、韓国の他の地域には全く伝わっていなかった。「報道指針」と呼ばれる厳しい報道規制のためだった。韓国の18日、19日のニュースに光州は取り上げられなかった。業を煮やした市民たちは公営放送KBS、MBCの光州支社を占拠し、火を放った。20日、『全南毎日新聞』の記者一同は辞表を白紙の新聞に掲載する。「私たちは見た。人が犬のように引きずられ死にゆく姿をしっかりと見た。しかし新聞にはただ一行も載せられなかった。これを恥じ私たちは筆を擱く」。”
“光州日報には、当時の記者たちが社長に提出した辞表が残っている。「人が犬のように引っ張られていき、死んでいくのをはっきり見た。だが新聞には、1行も載せられなかった」”
https://news.yahoo.co.jp/articles/68c1c64911ebf2b552f52dfe7806493dfc9d905f
“無念の大量死の蓄積が社会の根底にあり、追悼が禁じられている。ここにも、韓国で詩人たちの仕事が重要でありつづけた理由があるのではないだろうか。1987年の民主化以降少しずつ、歴史の封印が解かれ、犠牲者たちの名誉回復も進んだが、真相究明の作業は今も続行中だ。”
#読書
4章 시 (シ)詩
現代史の激痛と文学
『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』 斎藤 真理子 著
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4767
“この新聞は10万部印刷されて全国の主要都市にひそかに運ばれ、ソウルに送られたものが英語に翻訳されて海外にも伝わり、世界じゅうへソリを届けた。まさに、ゲリラ戦の武器のように詩が使われていた。
弾圧が厳しく、じっくり机の前に座って小説を書く余裕などなかったその時期、詩の持つ瞬発力、対応力が存分に発揮された。パソコンもプリンターもなかったそのころは、手軽に複製できる版画が重要なメディアであり、躍動的に踊る人々の姿を描いた版画と詩の組み合わせはまさに定番だった。当時、東京の韓国書籍専門店にも大量の詩の雑誌やムック、詩集や詩画集が入荷するのを私も目のあたりにしている。その中からいくつかを選んで、恐る恐る翻訳をしたこともあった。”
#読書
4章 시 (シ)詩
現代史の激痛と文学
『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』 斎藤 真理子 著
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4767
“光州事件もまた「暴徒が起こした暴動」とされ、一般の市民が真実を知ることは1987年の民主化後まで不可能だった。そんな中で、事件直後の6月に、地元新聞の『全南毎日新聞』は一面に金準泰(キムジュンテ)(1948~)の詩「ああ、光州よ、わが国の十字架よ」を掲載した。これは、どんな記事を載せてもどうせ検閲で削除されてしまうから、詩を載せようという編集局の判断によるものだった。事件を目撃した金準泰の作品集には、妊娠中の女性が胎児と一緒に殺されたことなども織りこまれて、報道の役割まで務めている。新聞に詩が掲載されると、金準泰は逃亡生活に入った。”
#読書
4章 시 (シ)詩
現代史の激痛と文学
『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』 斎藤 真理子 著
https://www.sogensha.co.jp/productlist/detail?id=4767
「軍が来たら書けないぞ」 鍵かけ、速報と号外対応した韓国・光州の新聞 「報道を統制」緊迫の社内
https://news.yahoo.co.jp/articles/68c1c64911ebf2b552f52dfe7806493dfc9d905f
カルチャーから知る朝鮮半島のことvol.10 – 光州民主化運動をみつめて – 真鍋祐子(東京大学東洋文化研究所教授)× 安田菜津紀 × 金敬黙(早稲田大学韓国学研究所)
https://d4p.world/24178/
『ハイファに戻って』ガッサーン・カナファーニー
「いつになったらあなた方は、他人の弱さ、他人の過ちを自分の立場を有利にするための口実に使うのをやめるのか。人間はそれ自体が問題を体現している存在だ、人間の犯し得る最大の罪は他人の弱さや過ちが自らの間違いと罪とを正当化すると考えることなのだ。」
“彼らが問うているのは、なぜ歴史の犠牲者であるユダヤ人(その一部)が加害者に転じえたのかという問題だけではない。いかにして人類が「犠牲者が加害者に転化する弁証法」を超えうるかということなのだ。西欧反ユダヤ主義とナチズムの遺産を背負わされた彼らは、それにもかかわらず、あるいはそれだからこそ、人類の文明そのものを救うために苦悩しているのである。
カナファーニーたちの問いかけを人類が真に受け止める日まで、彼らの闘争はさまざまに形を変えるにせよ、終わることはない。”
ガッサーン・カナファーニー
パレスチナ人をくっきり形象化する(徐京植)
『二十世紀の千人 言葉の力に挑む人々 7』
https://publications.asahi.com/product/1987.html
パートタイムの労働者はいつもうっすら見下されていたと思うけど、見下す対象が移ったんだ。
https://gendai.media/articles/-/143200
田中さんのアドリブ、受賞スピーチで「国家補償」を繰り返したわけはhttps://www.asahi.com/articles/ASSDC4330SDCPTIL00NM.html
“日本は戦後、対外的には米国などへの賠償請求権を放棄している。国内では、戦争被害者に対する補償は軍人・軍属などに限ってきた。恩給制度や戦傷病者戦没者遺族等援護法などにより、これまでに旧軍人や遺族らに支給された総額は60兆円を超える一方、被爆者や空襲被害者といった民間人は原則として対象から外されてきた。”
“立ちはだかってきたのが「戦争被害受忍論」。国の非常事態下で起きた身体や財産の被害は、国民が等しく我慢しなければならない、という論理だ。”
“日本被団協が国家補償にこだわるのは、原爆被害の責任を誰も取らないなら「核兵器を使っても償わなくて良いという前例になりかねない」と考えているからでもある。”
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