“光州事件もまた「暴徒が起こした暴動」とされ、一般の市民が真実を知ることは1987年の民主化後まで不可能だった。そんな中で、事件直後の6月に、地元新聞の『全南毎日新聞』は一面に金準泰(キムジュンテ)(1948~)の詩「ああ、光州よ、わが国の十字架よ」を掲載した。これは、どんな記事を載せてもどうせ検閲で削除されてしまうから、詩を載せようという編集局の判断によるものだった。事件を目撃した金準泰の作品集には、妊娠中の女性が胎児と一緒に殺されたことなども織りこまれて、報道の役割まで務めている。新聞に詩が掲載されると、金準泰は逃亡生活に入った。”
 
4章 시 (シ)詩
現代史の激痛と文学

『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』 斎藤 真理子 著
sogensha.co.jp/productlist/det

 “この新聞は10万部印刷されて全国の主要都市にひそかに運ばれ、ソウルに送られたものが英語に翻訳されて海外にも伝わり、世界じゅうへソリを届けた。まさに、ゲリラ戦の武器のように詩が使われていた。
 弾圧が厳しく、じっくり机の前に座って小説を書く余裕などなかったその時期、詩の持つ瞬発力、対応力が存分に発揮された。パソコンもプリンターもなかったそのころは、手軽に複製できる版画が重要なメディアであり、躍動的に踊る人々の姿を描いた版画と詩の組み合わせはまさに定番だった。当時、東京の韓国書籍専門店にも大量の詩の雑誌やムック、詩集や詩画集が入荷するのを私も目のあたりにしている。その中からいくつかを選んで、恐る恐る翻訳をしたこともあった。”
 
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 “無念の大量死の蓄積が社会の根底にあり、追悼が禁じられている。ここにも、韓国で詩人たちの仕事が重要でありつづけた理由があるのではないだろうか。1987年の民主化以降少しずつ、歴史の封印が解かれ、犠牲者たちの名誉回復も進んだが、真相究明の作業は今も続行中だ。”

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