制度は民主化したがそれを扱う人々は果たして民主主義の理念を獲得できたのか、という指摘が90年代には韓国国内であり、実際、検閲や通報や日本の治安維持法を土台にした国家保安法が存続している。
Radio Dialogue_190
「韓国文学と民主化」
(ゲスト:真鍋祐子さん|安田菜津紀・佐藤慧 2024年12月11日配信)
https://d4p.world/29869/
他にも色々、記事などでまとめて読みたい。
Radio Dialogue_190
「韓国文学と民主化」
(ゲスト:真鍋祐子さん|安田菜津紀・佐藤慧 2024年12月11日配信)
https://d4p.world/29869/
聞き入る部分がとてもたくさんあった。
韓国での「親日」の意味するところ、植民地支配期に日本の帝国主義に融和的で、そうあることで利益を得ていた層、といったもので、それは自国の国民に対して権威的、強権的、独裁的な面を向けている。(うろ覚え)
Radio Dialogue_190
「韓国文学と民主化」
(ゲスト:真鍋祐子さん|安田菜津紀・佐藤慧 2024年12月11日配信)
https://d4p.world/29869/
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「韓国文学と民主化」
(ゲスト:真鍋祐子さん|安田菜津紀・佐藤慧 2024年12月11日配信)
https://d4p.world/29869/
【演説全文】日本被団協・田中熙巳さん「日本政府は、原爆で亡くなった死者への償いせず」 ノーベル平和賞授賞式
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_67585104e4b00d5a137d4f7f
“もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います。”
「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学的方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては、止まり、また噴きあげる」(「四海波静」より)
[詩]6月 /茨木のり子
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/23140.html
「ずらされた憎悪の向け方と肝心な問題を回避しようとする心理は連動しており、そこに「正義」の問題が横たわっている」
QT: https://fedibird.com/@takako3599/112955053499043979 [参照]
『文学が裁く戦争』
https://www.iwanami.co.jp/book/b635086.html
“しかし、天皇を棚上げにしたまま、溥儀への憎悪を語っている世論は、戦争裁判と戦争責任を「われわれ」の問題として引き受けていないようである。[前略]中野は、この問題にこだわりを見せる。ずらされた憎悪の向け方と肝心な問題を回避しようとする心理は連動しており、そこに「正義」の問題が横たわっていることを認識していたからだ。”
第一章 東京裁判と同時代作家たち
『文学が裁く戦争』https://www.iwanami.co.jp/book/b635086.html
“溥儀がすべてを関東軍の圧迫によるものとし、自分に「一片の自由意志も許されなかった」と証言していることに対して、(東京新聞の)記事は、戦時中の溥儀が残した友好の詩「訪日の帰路の詩」を取り上げながら「傀儡師」の態度を嘲笑していた。
それに対して中野(重治)は、「もしわれわれ日本人が、戦争責任の問題をわれわれ自身の問題、国民自身の問題としてかんがへるとき、前の満洲国皇帝を卑怯者あつかひ、馬鹿あつかひをしながら、本家家元の日本天皇にふれぬとしたら、われわれ日本人の正義とほこりとはどこに求めることができるのか」と糾弾する。「われわれ自身の問題」、「国民自身の問題」という言葉は、連合国によって『裁かれ』、責任を『問われ』ているという、受け身の考え方を強く拒否している。「われわれ」が裁き、問わねばならない。「われわれ」は、被告の役だけでなく、検事の役も担わなければならないと主張している。”
第一章 東京裁判と同時代作家たち
有料記事がプレゼントされました!12月12日 17:42まで全文お読みいただけます
被爆した医師を天皇が批判 専門家「罪の意識を刺激したと考えても」
https://digital.asahi.com/articles/ASSCZ1S4VSCZUTIL031M.html?ptoken=01JETE4Z9YFD0F4WD423GV4ZVC
昭和天皇の碌でもないエピソード。原爆の惨禍を訴えた医師を「宣伝屋」扱いしたという…あなたの戦争責任はどうなった?
→当時の新聞をいま確認してみても、『朝日新聞』をはじめとして、広島・長崎について「気の毒ではあるが戦時中なのでやむを得なかった」という表現は見出しになっていても、「言葉のあや」発言の扱いは極めて小さいし、批判もされていません。天皇の名のもとにいったいどれだけの人びとの運命が狂わされたかを思うと、現実と言葉のあまりの落差に目もくらむ思いがします。”
「戦争責任というような言葉のあやについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」
https://note.com/k2y2manabe/n/nf40cfe64e9b9
「戦争責任というような言葉のあやについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」
https://note.com/k2y2manabe/n/nf40cfe64e9b9
“高橋 (前略)一九七五年一〇月三一日、アメリカ訪問から帰ってきた天皇と皇后が初めて記者会見を行なった時に、記者の中から、「陛下はいわゆる戦争責任についてはどのようにお考えですか」という質問が出ました。このとき昭和天皇は、「戦争責任というような言葉のあやについては、私は文学方面についてはきちんと研究していないので、答えかねます」と述べた。全体としてにこやかな記者会見で終わったということになり、新聞報道でも「言葉のあや」発言はほとんど取り上げられませんでした。”
ハン・ガンさん、ノーベル賞受賞演説「すべての小説が愛に向かっていた」
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/51862.html
“作家は『少年が来る』を出版した後、小説を読んで苦痛を感じた読者を見て、彼らの苦痛は自分が小説を書きながら感じた苦痛と「つながって」いたと語った。”
読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています
takako3599@ohai.social こっちも