『少年が来る』を読みながらこの記事を思い出していた。
「赦すか、赦さないかを決めるのは、被害者の権利」
―【光州事件】あの時、それからの女性たちは
https://d4p.world/22573/
「日本の植民地支配の加害についても、“いつまで反省すればいいのか”という声があるように、誰が、何を、どこまで、いつまで、というのは常に論争になる問題だと思います。ただ、形式的な謝罪は、より深く被害者を傷つけることになるでしょう。加害者が単に自分の行為について告白するだけではなく、被害者が受けた苦痛について、加害者自らの口で語り、絶えず反省する必要があります。過去に起きたことだけではなく、今に続く苦しみについても、です」
「韓国社会の中でも、“加害者が赦しを乞えば被害者は受け入れなければならない”という雰囲気もあります。ですが私は、間違っていると思います。受け入れるか受け入れないか、赦すか、赦さないかを決めるのは、被害者側の権利のはずです」
あとがきたちよみ
『動物のもつ倫理的な重み――最小主義から考える動物倫理』
https://keisobiblio.com/2024/11/12/atogakitachiyomi_doubutsunomotsurinritekinaomomi/
“たとえば野生動物との共生の問題や外来生物がもたらす問題などのさまざまな現実的問題にたいして明確な答えを提供できないのだから、動物倫理などというのは、あやふやで話にならないと考える人もいるかもしれない。しかし、動物の倫理的な重みが理解されるという段階が欠けていることをふまえれば、こうした考えが的外れであることが分かるだろう。そのような問題は、動物倫理における応用的な問題なのであり、それは、人間をめぐる問題を論じる応用倫理の諸難問と同様である。”
あとがきたちよみ
『動物のもつ倫理的な重み――最小主義から考える動物倫理』
https://keisobiblio.com/2024/11/12/atogakitachiyomi_doubutsunomotsurinritekinaomomi/
“倫理学の議論の多くは、その関心の中心を人間に向けている。それは当然だろう、考えるべきは人間のことであって、動物が倫理的な重要性をもちうるなどという考えを真剣に受けとることはできない─そのように思う人もいるかもしれない。しかし、後に繰り返し述べるように、そのように思う人の多くも、動物には、私たちの倫理的配慮を誘発するような「何か」があるということをすでに知っているはずである。動物が単なる物体とは異なること、そしてその異なり方が、私たちのふるまいのもつ倫理的な側面に違いを与えうるものであることを、私たちはすでに知っている。”
わたしドジョウなんですけど、どんぐりが毎日転がりこんでくるんですよ。みんな野心的で……ここで育ってツリーになるんだって張り切ってるんですけど、池が森になっちゃうとドジョウとしては困っちゃうんですよね。よそにわたしが転がりこめる池ないですかね……
【社説】危機の韓国民主主義、市民が希望だ
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/51839.html
“20~30代の若者たちは特に熱気があふれていた。50代以上の世代が5・18光州民主化運動の悲劇で民主主義に目覚めたとすれば、MZ世代は国会本館に乱入した兵士たちを見て政治参加の必要性を痛感したのだ。”
“そのため、闇につつまれた街頭をロゼの「アパート」(今年のヒット曲)とユン・スイルの「アパート」(80年代のヒット曲)の歌声が相次いで満ちるなど、世代を問わず尹大統領と与党「国民の力」の態度に怒る人々が共にろうそくを掲げた。街頭に立てなかった人々は、市民が近くのカフェで温かい飲み物を飲めるように「前払い」して気持ちを分かち合った。”
今日はJCPサポーターゆる部の企画で東村山市にある多磨全生園内のハンセン病資料館に行きました。
学芸員のガイダンス付きで見学できてよかったです。「差別を無くすにはかわいそうと思う同情心じゃなくて意識や行動の変化が必要」と繰り返し言っていました。資料館の設立がハンセン病患者側に立った差別解消を目的としているものなので、問題提起が明確で背筋の伸びる思いです。学芸員さんが話してくれたんですけど、群馬にあった重監房という懲罰施設は収容者が凍死するほどのひどい場所だったけど、日本共産党の人に見つかって廃止されたそうです。さすがや…。
見学の後は恒例の交流会。初めての人と話すのは緊張するけれど、みんな共産党支持者だしなと思うと一定の安心感はありますね。赤旗日曜版を持ってきた人がいて、折り込みが後援会主催の吉良さんを招いた温泉バス日帰り旅行のちらしでそのゴージャスさにしばし盛り上がりました。吉良さんと温泉に?!
医療費を削ろうとしている今の政治を見ると、またハンセン病と同じ差別は繰り返されるんだろうなと思う。医療を受けられない病気の人たちは死んでいい存在にされてしまう。私たちもっと騒がないといけないなーと気持ちをあらたにしました。
ハンセン病資料館はとても充実してるし無料だし見てよかったです。
ハン・ガンさん、ノーベル賞で講演 「言語は私たちをつなぐ糸」
https://www.asahi.com/articles/ASSD772M6SD7UCVL035M.html
“当初は、「現在が過去を助けることができるか」「生者が死者を救うことができるか」という問いが浮かんでいた。だが、次第にこうした問いは覆され、「過去が現在を助けている。死んだ者たちが生きている者を救っている」と感じるようになったという。”
『太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー
“「パレスチナ人であるということ以外に何の肩書きも資格ももたぬ民衆」の、この救いのない死は、パレスチナ人が全体として投げ込まれている運命を象徴している。
『太陽の男たち』は一九六三年に発表され、七一年には映画化されたが、原作と違って映画では、給水車からタンクを叩く音が聞こえてくる。ただし、その音は国境警察のエアコンの音にかき消されてしまい、やはり三人のパレスチナ人は死ぬのである。”
ガッサーン・カナファーニー
パレスチナ人をくっきり形象化する(徐京植)
『二十世紀の千人 言葉の力に挑む人々 7』
https://publications.asahi.com/product/1987.html
『太陽の男たち』ガッサーン・カナファーニー
“『太陽の男たち』は、生きんがためにクウェートへ密入国を企てた三人のパレスチナ難民の死を描いている。給水車の空タンクに身を潜めた彼らは、運転手が国境の役人の気まぐれにからかわれて予想外の時間を喰っている間に、「助けてくれ」とも言わぬまま砂漠の熱に灼かれて死ぬのである。自らもパレスチナ人である運転手は三人の屍体をゴミ処理場に捨て、立ち去りぎわに叫ぶ。「なぜおまえたちはタンクの壁を叩かなかったんだ、なぜだ」。その声に、砂漠がいっせいに谺する。”
徐京植
二十世紀の千人
言葉の力に挑む人々 7
https://publications.asahi.com/product/1987.html
読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています
takako3599@ohai.social こっちも