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さんがブースト

エゾシカの死骸を食べて(鉛中毒や事故で)死ぬのは、生存競争に強い優れた個体である、というところとかほんとうに胸がギュッとなるし、「ちび」という名前の成長不良のシマフクロウが、人間と猛禽たちとの橋渡しになったりとか…なんかもう、ほんまこういうことに興味がある誰かと共有したい。

さんがブースト

本屋さんで取り寄せてもらったんだが、齊藤先生のサイン入りの本欲しいよー!!!猛禽類医学研究所のショップで買うと齊藤先生のサイン入りの本が買えるのだ…!!!
猛禽類医学研究所で買ったら利益は猛禽たちの保護に使ってもらえるはずだし、もう一回買おうかな。
irbj.net/shop/index.html

さんがブースト

『僕は猛禽類のお医者さん』齊藤慶輔(KADOKAWA)読み終えた!
絶滅危惧種の猛禽(オオワシ、オジロワシ、シマフクロウ)を中心に、鳥類を治療する猛禽類医学研究所の齊藤先生の本。幼少期のフランスでの経験や、学生時代の経験、これまで実践してきたこと、今やってること、これからが書かれている。とてもよかった。
『野生の猛禽を診る』でも書かれていたけど、ハンターと保護活動の葛藤にはやっぱりグッときた。ヒグマなどには銅弾のほうが効果があることとか、生のハンターの声として収録されてるのはすごくいいなぁ。
人間が人間として「どう」野生/自然に責任を取るか、すごく考えた。
猛禽類だけじゃなく、自然界では鉛中毒は深刻で、最近ではジビエをいろんなところで取り入れてるから、実は人間にも鉛中毒の影響がこれから出てくるのでは?という問いが投げかけられていたり。「生物資源(ある意味で資本主義的な利用)」が、もたらす課題でもあると思う。クラファンの返礼品に、野生動物に関わるアーティストの作品を取り入れたり、芸術作品を自然保護活動に活かしたいという取り組みもいいなと思った。わたしも、生き物の小説を書くときは、それらが保護活動に繋がればいいと思ってる。
齊藤先生のロシア冒険記、読みたいです。

しかもなほ雨、
から始まる短歌が好きだった。思い出した。

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気温は低くないが肌寒い。羽虫がよく飛んでいる。

その場に止まりつづけるには全力で走り続けなければならない、確か鏡の国のアリスにあったと思う。全力で走っていてもだんだん振り落とされていくような不安を感じる。

ヒヨドリの鳴き声が結構好き。好きというか、いるな、とわかるから。私には名前のわからない他の鳥の鳴き声もそんな感じ。鳴き声が美しいかどうかはあまり考えていない。

 “無念の大量死の蓄積が社会の根底にあり、追悼が禁じられている。ここにも、韓国で詩人たちの仕事が重要でありつづけた理由があるのではないだろうか。1987年の民主化以降少しずつ、歴史の封印が解かれ、犠牲者たちの名誉回復も進んだが、真相究明の作業は今も続行中だ。”

4章 시 (シ)詩
現代史の激痛と文学

『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』 斎藤 真理子 著
sogensha.co.jp/productlist/det

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 “この新聞は10万部印刷されて全国の主要都市にひそかに運ばれ、ソウルに送られたものが英語に翻訳されて海外にも伝わり、世界じゅうへソリを届けた。まさに、ゲリラ戦の武器のように詩が使われていた。
 弾圧が厳しく、じっくり机の前に座って小説を書く余裕などなかったその時期、詩の持つ瞬発力、対応力が存分に発揮された。パソコンもプリンターもなかったそのころは、手軽に複製できる版画が重要なメディアであり、躍動的に踊る人々の姿を描いた版画と詩の組み合わせはまさに定番だった。当時、東京の韓国書籍専門店にも大量の詩の雑誌やムック、詩集や詩画集が入荷するのを私も目のあたりにしている。その中からいくつかを選んで、恐る恐る翻訳をしたこともあった。”
 
4章 시 (シ)詩
現代史の激痛と文学

『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』 斎藤 真理子 著
sogensha.co.jp/productlist/det

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 “光州事件もまた「暴徒が起こした暴動」とされ、一般の市民が真実を知ることは1987年の民主化後まで不可能だった。そんな中で、事件直後の6月に、地元新聞の『全南毎日新聞』は一面に金準泰(キムジュンテ)(1948~)の詩「ああ、光州よ、わが国の十字架よ」を掲載した。これは、どんな記事を載せてもどうせ検閲で削除されてしまうから、詩を載せようという編集局の判断によるものだった。事件を目撃した金準泰の作品集には、妊娠中の女性が胎児と一緒に殺されたことなども織りこまれて、報道の役割まで務めている。新聞に詩が掲載されると、金準泰は逃亡生活に入った。”
 
4章 시 (シ)詩
現代史の激痛と文学

『隣の国の人々と出会う 韓国語と日本語のあいだ』 斎藤 真理子 著
sogensha.co.jp/productlist/det

“つまらないと思われれば簡単に投げ出される”

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「読者」の一人としては、本当にその通りで、この箇所は。

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徐京植「母語という暴力―尹東柱を手がかりに考える」
note.com/k2y2manabe/n/nf03caaf

 “翻訳という作業は、いうまでもなく、不偏不党の非政治的な行為ではありえない。そこにはかならず「解釈の権力」ともいうべき権力関係が反映している。マイノリティや被抑圧者による言語表現を、マジョリティや抑圧者の側にある者が翻訳し、流通させるときには、なおさらそうである。どの作品を選び、どう解釈し、どの訳語をあてるか、どのような形態で出版するか、そうしたことを決定する権力がマジョリティの手に握られている。その出版物はマジョリティからなる市場で販売され、マジョリティである読者たちの興味を引いたときにだけ買われ、解釈は読者たちに委ねられ、つまらないと思われれば簡単に投げ出されるのである。”

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おとなのEテレタイムマシン「アウシュヴィッツ証言者はなぜ自殺したか」(後編)
plus.nhk.jp/watch/st/e1_202411

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