太宰治の『葉』哀蚊の話を覚えている。夏を過ぎても生き延びている蚊、だったはず。
『詩のこころを読む』茨木のり子
https://www.iwanami.co.jp/book/b269008.html
三つの寂しさと向き合う
平田オリザ(劇作家・演出家) 2015年8月16日https://politas.jp/features/8/article/446
“遂にこの寂しい精神のうぶすなたちが、戦争をもってきたんだ。
君達のせゐじゃない。僕のせゐでは勿論ない。みんな寂しさがなせるわざなんだ。
寂しさが銃をかつがせ、寂しさの釣出しにあって、旗のなびく方へ、
母や妻をふりすててまで出発したのだ。
かざり職人も、洗濯屋も、手代たちも、学生も、
風にそよぐ民くさになって。
誰も彼も、区別はない。死ねばいゝと教へられたのだ。
ちんぴらで、小心で、好人物な人人は、「天皇」の名で、目先まっくらになって、腕白のようによろこびさわいで出ていった。”
“僕、僕がいま、ほんたうに寂しがっている寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といっしょに歩いてゐるたった一人の意欲も僕のまわりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
(金子光晴『寂しさの歌』、『落下傘・1948年・日本未来派発行所刊』より)”
『溺れるものと救われるもの』
プリーモ・レーヴィ 著 / 竹山 博英 訳
https://publications.asahi.com/product/21490.html
“幸いにも物事は犠牲者が恐れていたように、そしてナチが望んでいたようには進まなかった。完璧な組織にも欠陥はあるものだ。そしてヒトラーのドイツは、特にその崩壊の数ヵ月前は、完璧な機構とは程遠い状態にあった。” 序文より
#読書
『溺れるものと救われるもの』
プリーモ・レーヴィ 著 / 竹山 博英 訳https://publications.asahi.com/product/21490.html
“虐殺を逃れたものたちの多くは[中略]、SS(親衛隊)の兵士たちが囚人に、次のような冷笑的な警告をして喜んでいたことを記憶している。「この戦争がいかように終わろうとも、おまえたちとの戦いは我々の勝ちだ。生き延びて証言を持ち帰れるものはいないだろうし、万が一だれかが逃げ出しても、だれも言うことなど信じないだろう。おそらく疑惑が残り、論争が巻き起こり、歴史家の調査もなされるだろうが、証拠はないだろう。なぜなら我々はおまえたちとともに、証拠も抹消するからだ。そして何らかの証拠が残り、だれかが生き延びたとしても、おまえたちの言うことはあまりにも非道で信じられない、と人々は言うだろう。それは連合国側の大げさなプロパガンダだと言い、おまえたちのことは信じずに、すべてを否定する我々を信ずるだろう。ラーゲル(強制収容所)の歴史は我々の手で書かれるのだ」” 序文より
#読書
ある雑誌の漫画で、沖縄の米軍基地建設への抗議は「アルバイトでやっている/日当で雇われた」とのデマが語られたそう。
基地に反対する人々を貶め傷つけるデマは、以前から雑誌やネット上で絶えません。
こちらは、沖縄への悪質なデマがなぜ・どのように作られるのかを取材・検証した二冊。
(続く)→
#なぜ市民は座り込むのか #安田浩一 #朝日新聞出版局
#琉球新報が挑んだファクトチェックフェイク監視 #琉球新報者編集局 #高文研 #沖縄本
#まめ書房 #mameshobobooks
読みながらこれを思い出した。
【聴き逃し】カルチャーラジオ 文学の世界 ゴシックの扉(10)分身2自我と牢獄 https://www.nhk.or.jp/radioondemand/share/125_990.html?p=DK83KZ8848_01_4061508
『春にして君を離れ』
分厚い自我の牢獄の中に一人きりで、世界と他者から切り離されたまま生きている。それが近現代。
中途になっているので再開したいが気持ちが追い付かない。文章が明晰。
QT: https://fedibird.com/@takako3599/113258633382508022 [参照]
“そしてさらに広い、別の恥辱感がある。それは世界に対する恥辱感だ。ジョン・ダンが忘れられないような形で言った言葉がある。それは強制収容所についてや、そうでない場合に、数え切れないほど引用されたのだが、それは「いかなる人間も孤島ではない」、いかなる死の鐘も生きているすべての人のために鳴っている、という言葉である。しかし他人や自分自身の罪を目の前にして、背を向け、それを見ないように、それに心を動かされないようにするものがいる。ヒトラー統治下の十二年間、大部分のドイツ人はこうしてきた。彼らは、見ないことは知らないこと、そして知らないことは彼らの共犯や黙認の度合を減らす、という幻想を抱いてきた。→
3 恥辱
『溺れるものと救われるもの』
https://publications.asahi.com/product/21490.html
→しかし私たちには、意図的な無知の防御壁、T・S・エリオットの言う「部分的な防御壁」は否定されていた。私たちは見ないことができなかった。かつても現在も、苦痛の海が私たちを取り巻いていて、その海面は年々上昇し、私たちを溺れさせるまでになっている。目を閉じたり、背を向けることは無益であった。なぜならそれは私たちの周り全体に、地平線のかなたまで、あらゆる方向に存在したからである。私たちには孤島であることは不可能だったし、それを望みもしなかった。”
3 恥辱
『溺れるものと救われるもの』
https://publications.asahi.com/product/21490.html
“私たちの中の正義のものたちは、その数はいかなる他の人間集団とも変わりがなかったが、自分ではなく、他人の犯した罪のために、良心の呵責や恥辱感を、つまり苦痛を感じていた。彼らはそれに巻き込まれていると感じていた。なぜなら彼らの周りで、彼らがいた時に、彼らの中で起こったことは取り返しがつかないものだと感じていたからである。それを洗い流すことなど絶対にできないだろう。人間は、人類は、つまり私たちは、計り知れない苦痛の大建造物を作り上げる能力があることを示したのだ。苦痛とは支出や労苦もなしに、無から作り出せる唯一の力である。何も見ず、何も聞かず、何もしなければいいのだから。”
3 恥辱
『溺れるものと救われるもの』
https://publications.asahi.com/product/21490.html
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