『賢人と奴隷とバカ』その2
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1553.html
“こんな奴らをありがたがるのは「バカ」だけだとつい考えてしまいたくなるが、問題にしなくてはならないのは「知識人」の方だ。しかし、「バカ」こそが諸悪の根源である、「バカ」を排除しなくてはならないといった権威主義的姿勢を、「ネトウヨ」やネオリベ右翼とともに「リベラル」までもが共有してしまっているのではないか。これが「リベラル」が自分でもそうと意識しないままに「過激中道」に吸い寄せられてしまう理由の一つであろう。”
『賢人と奴隷とバカ』その2
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1553.html
“「過激中道」がネオリベとほぼイコールとなっているのは偶然ではない。There is no alternativeはサッチャー政権のスローガンであり安倍晋三もこれを模倣したように、「これ以外に道はない」として「改革」の断行を訴えるのはネオリベと「過激中道」に共通している。
「過激中道」は中庸なのではない。右と左の真ん中に位置してバランスを取っているのではなく、「左」の行き過ぎを警戒し、「右」の「過激派」と手を組んででもこれを鎮圧してきた。こうして「中立的」な「過激中道」によって進められる「冷静」で「合理的」な政策が「唯一の道」とされたのであった。”
[寄稿]悪夢の時代に見る映画
https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/27135.html
“2012年4月、サッチャー首相が世を去ったとき、ケン・ローチは新聞に「弔辞」を寄せた(The Guardian.2013.4.8)。「マーガレット・サッチャーは、現代において、もっとも分断と破壊を引き起こした首相でした。(中略)今日、私たちが置かれている悲惨な状態は、彼女が始めた政策によるものです。(中略)彼女が、マンデラをテロリストと呼び、虐待者であり殺人者であるピノチェトをお茶に招いていたことを想い起して下さい。私たちはどのように彼女を弔うべきなのでしょうか?彼女の葬儀を民営化しましょう。競争入札にかけて、最安値を示した業者に落札させるのです。きっと彼女も、それを望んでいたことでしょう。」”
ずっと読めずに置いていたナクバの聞き書きの本を、先週から少しずつ読んでいる。30年代、40年代に生まれた70人くらいに聞いた話の断片が、英国委任統治領時代から時系列で並べられている。
去年の3月に出た本なのだけど、このひとたちはいまどうしているだろうと思うと、手が止まる。そして、語られる虐殺の様子は、ホロコーストやポグロムの中でなされたこととあまりにも似通っていて、なぜなんだという気持ちが拭えない。今も同じことが行われていて、ずっと続けられてきたことなのだと改めて痛感しつつも、それでもやっぱりなぜなんだと思うし、なんで止められないのと思う。
著者はユダヤ系スウェーデン人で、イスラエルで起きた自爆テロで母親を亡くしている。
[前略]“知的ソースをあげながら、「スマート」に、なにかを切って捨てる態度、利得と犠牲の計算のような知的操作で「割り切」ってみせるような態度は、それこそYouTuberから研究者、そして政治家まで、現代においては見慣れたものである。そして、こうしたテクノクラート的態度がとるかまえは大きくいえばリベラリズムに属するものであるが──ゴリゴリの右翼のような「粗暴さ」はおもてむき不在である──、内容はさておき、形式としてそれがしばしばとる攻撃性は、もちろん、その標的として、社会主義とか、福祉国家とか、大衆運動とか、あるいはフェミニズムとか、いずれにしてもなにがしか「平等」のしるしをもったもののかたちをとるのだろうが、根本的には、オメラスの物語のもつこの次元、この世界とは別の世界にむかう衝動であり想像力に対してむけられているようにおもわれるのである。”
19.すべてのオメラスから歩み去る人びとへ──反平等の時代と外部への想像力
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1107&ct=8
“この「歩み去る人」が、ひとつのアレゴリー、つまりこの世界を変えるということのアレゴリーとしても読めることはあきらかだ。もちろん、独特の仕方でアナキストであり、SFの多数の傾向とは逆に、ディストピアよりも、ユートピアをえがきつづけ、その意味を問いつづけたル・グインのその志向性が、ここにあらわれていないはずはない。この作品全体が、なぜ、人はどのような苦難があろうとも、この世界を変えようとしてやまないのか、という問い、というより、そういう人間の性向への驚嘆の表現のようにみえるからだ。それがほとんどベストにみえる世界ですら、それがだれかの不幸をもたらすのならば、人はそこに居心地の悪さをおぼえずにはいられない。そこに、ル・グインは、いまだこの世界に希望をもちうる根拠をみいだしているようなのだ。”
19.すべてのオメラスから歩み去る人びとへ──反平等の時代と外部への想像力
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1107&ct=8
『賢人と奴隷とバカ』その2
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1553.html
“「過激中道」がネオリベとほぼイコールとなっているのは偶然ではない。There is no alternativeはサッチャー政権のスローガンであり安倍晋三もこれを模倣したように、「これ以外に道はない」として「改革」の断行を訴えるのはネオリベと「過激中道」に共通している。
「過激中道」は中庸なのではない。右と左の真ん中に位置してバランスを取っているのではなく、「左」の行き過ぎを警戒し、「右」の「過激派」と手を組んででもこれを鎮圧してきた。こうして「中立的」な「過激中道」によって進められる「冷静」で「合理的」な政策が「唯一の道」とされたのであった。”
『賢人と奴隷とバカ』その2
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1553.html
“こんな奴らをありがたがるのは「バカ」だけだとつい考えてしまいたくなるが、問題にしなくてはならないのは「知識人」の方だ。しかし、「バカ」こそが諸悪の根源である、「バカ」を排除しなくてはならないといった権威主義的姿勢を、「ネトウヨ」やネオリベ右翼とともに「リベラル」までもが共有してしまっているのではないか。これが「リベラル」が自分でもそうと意識しないままに「過激中道」に吸い寄せられてしまう理由の一つであろう。”
『賢人と奴隷とバカ』その2
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1553.html
“東大大学院で修士号を取得した古市憲寿(一般的には「社会学者」として認知されているであろう)、東大大学院で博士号を取得し岩波書店から博論を刊行した三浦瑠麗、東大大学院で博士号を取得し筑波大学准教授の肩書を持つ落合陽一、東大大学院で修士号、MITでPh.D.を取得しイェール大学助教授を名乗った成田悠輔などを見ると、思わず「東大の劣化」という言葉を使いたくなってしまうが、そうではなくこの経歴によって権威を手にし、メディアに重用されるというそちらの方に注目すべきなのだろう。”
『賢人と奴隷とバカ』その3
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1554.html
「アナーキズムの精神というのは、たえず民主主義的な、社会主義的な政府を維持するために必要だと思います。なぜなら、相談してつくった政府でも、政府はみな独善的になっていく。人民の意志に反し、人民の利益に反することをするようになります」。
「アナーキズムは個人主義ですからスターリニズムにはなりません。スターリンの場合、社会主義国家を守り発展させようという<組織>が問題でしょう。そのために個人がどうなるかといえば、ちょっと待ってくれ、先になればいつかいい日がくるだろう、いまは我慢しなさい、です。その「いま」はいつまで続くかという問題。「歌う明日Le lendemain qui chante」の明日はいつ来るのか。アナーキズムは、「歌う明日」が来るだろうではなくて、今日歌わなければだめだということです」。
『賢人と奴隷とバカ』その3
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1554.html
“これも誤解されがちだが、かつては少なからぬ左翼は人権や三権分立といった立憲主義的ブレーキ装置に警戒心を持っていた。確かに、とりわけ中南米において極端に表れているが、アメリカ合衆国による左翼潰しはしばしば人権や三権分立といった「民主主義的価値」の擁護を口実として行われてきた。
官僚、警察・検察、裁判官、そして主要メディアが保守派に牛耳られ、富裕層と癒着し、社会を支配するごく一部の特権階級の利害が最優先されるのが構造的に固定化している国で、左翼が選挙で権力を握ったとして何ができるだろうか。この障壁を越え「人民」の意志を実現しようとすれば、法の支配の否定だ、私有財産の侵害は人権侵害だとして、アメリカに後押しされたクーデターすら正当化される。”
ウンベルト・エーコのテレビ論
https://satotarokarinona.blog.fc2.com/blog-entry-1579.html
“知識人であるエーコの友人は、テレビの討論番組からの出演依頼の多さに悩まされている。といっても、「この友人が弁舌さわやかなわけではない。要するに人びとはかれの発言に関心があるわけではない」。
イタリアでは多チャンネル化が進み競合が激化していた。「だからよく分かるのだが、友人は同じ日の同じ局のいくつもの番組、朝昼晩それぞれに呼ばれてしまう。製作費がかかるドラマが敬遠された結果、トーク番組が多くできるも、インテリが間に合っていない」。”
“従っていればそんなにひどいことにならないだろう、自分自身が危険にさらされているわけではないという感覚は、多くの人に共通のものかもしれません。心のどこかに引っかかるものがあっても、日常生活に紛れて忘れてしまったり、煩わしさに口をつぐんでしまったり……。法律や制度にも、逆らわずにやり過ごしていれば、とりあえず面倒なことにはならないだろうと。そんな傾向が確かに私たちの中にもあるのではないでしょうか。”
https://kokocara.pal-system.co.jp/2017/06/12/brown-morning-tetsuya-takahashi/
「“茶色の朝”を迎えたくなければ、思考停止をやめることです」 哲学者・高橋哲哉さん 2017年06月12日
https://kokocara.pal-system.co.jp/2017/06/12/brown-morning-tetsuya-takahashi/
「政府の動きはすばやかったし、俺には仕事があるし、毎日やらなきゃならないこまごましたことも多い。
他の人たちだって、ごたごたはごめんだから、おとなしくしているんじゃないか?」
【独自】京畿教育庁の「有害図書排除」通達でハン・ガン作品が閲覧制限
https://japan.hani.co.kr/arti/politics/51422.html
“京畿道教育庁は昨年、「青少年有害図書の分離・排除」を保守系の保護者団体に求められ、同年9月から11月にかけて教育支援庁に「不適切な物議を醸す内容の含まれる図書について協議し、措置を取るように」とする通達を2度にわたって送っている。”
読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています
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