田余慶『東晋門閥政治』第5版購入。初版と第3版は持っているのだが、諸事情あって最新版を買わざるをえず。
本当に良かった。けど、杜撰な捜査と捏造すら疑われている証拠などで、一人の、いや、周りの人も含めて、多くの人生を狂わせてきたんだから、関係者は「ごめんなさい」くらい言えや。謝っても死なないから。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230320/k10014013721000.html
これはひどい。
ホントだとしたらひどすぎて、もう東京都に一円も税金払いたくない。
プロ野球シーズン中の夜はいつも「ナイター中継」にチャンネルを合わせていた家庭で育ったので、野球の基本的なルールは知っているつもりだし、当時は応援している球団や大好きな選手もいたので、プロ野球には懐かしい思い出がいっぱいある。今ではそれを「懐かしい思い出」と言ってしまうぐらい離れてしまっているのだが、それでも幼い頃からなじみのある野球なので、WBCは一応観ている。
ただ、以前も書いたが、これがトップニュースになったり、一日中テレビの話題になったりしていることには辟易しているし、選手のすばらしさを「ニッポンのソコヂカラ」に読み替えて絶叫する実況にも同様にうんざりしてしまう。
それから(←文句が多い)、おそらくは高度な戦術と技術に裏付けられた選手のプレーに対して、なんでもかんでも「○○(選手名)の魂のこもったプレー!」とか「気持ちの強さでセンター前に運びました」みたいな実況をするのはやめてほしいとも思う。物事を精神論で説明しようとするのは怖いことだと思っているから。
たぶん、この鳩山由紀夫が書いてる「安倍晋三」的な「やってる感さえ擬装出来れば良い」政治、がこの2000年代の日本をダメにした根本理由だと思う。小泉純一郎/竹中平蔵→安倍晋三の自民党、維新の大阪、小池百合子の東京都政、全て張りぼて経済や政策を強弁し続けマスコミを恫喝し奴隷化し「現実を変える」ことで誰も何が問題か?分からなくなる。不正・腐敗は「認めなければ現実ではない」。狂った国になった理由は、「嘘」。安倍晋三という自民党を作った岸信介から続く希代の嘘つき一族の嘘つき政治がスタート地点なのだ。
https://twitter.com/hatoyamayukio/status/1637076312841150465?s=46&t=sc3SyfqL9U9vWNAqOvXGTQ
この件について、言及するつもりはなかったのだが、一言だけ。
上野千鶴子先生の「お相手」が色川大吉先生というのは数年前から僕は知っていて、今更騒ぐようなことではないし、そもそもあの報道はプライヴァシー侵害とも思っているが、あれは高齢の色川先生を介護するには「法律婚の妻という立場」が必要だった、ということじゃないの?
要するに妻という立場があれば、全ての扉(介護、保険、遺産相続etc.)が開かれる(逆に言えば、事実婚とかゲイカップルのパートナーとかは排除される)日本の現行の法制度に問題があると思っています。
なんか、アンチフェミの連中が変に「喜んでいる」ので、つい余計なことを書きました。
経済学者の成田某の「炎上」は自業自得としか言いようもないし、ひろゆきみたいなのと一緒にいるだけで「こいつ、人間的にダメだ」と分かったので、それ以上の関心は持てなかったのだが、ふと宇沢弘文先生のことを思い出した。宇沢先生の弟子で、東大教授の松島斉先生の文で、「私は、 宇沢先生が、「アメリカ政府の要請で、多 くの経済学者が、ベトナム人を殺すのに 必要な費用便益を計算していた」という お話をされた時の「ものすごい形相」を、 一生忘れません。こんな曲学阿世に走る 経済学者に、経済学の危機を感じとられ たのでしょう。」という一節があった。「これだよ、これ」と言いたくもなる。東大の広報誌『淡青』33号(2016年9月)より。
『はだしのゲン』は子供の頃は絵が気持ち悪くて読まなかったけど、大学生の時にサークルの中で流行って読んだなぁ。ひとコマのインパクトが強くてよく切り抜かれ、ギャグ漫画として秀逸というのがミームになった原因だろうが、読んでみるとなかなかどうして、まずエンターテイメントとして少年漫画の王道を行く分かりやすい楽しさがある。絵柄で想像していたような暗い気持ち悪い説教臭い漫画ではなく、ゲンというのは本当に友達になりたいようなヤツ。調子に乗りやすく喧嘩っ早く、しかしその拳は決して自分より弱いものに向けられることはない。生き抜いていくだけのことがドラマチックになってしまうそんな辛さにへこたれることもなく、忘却とあきらめに抗して生きるのに必要な笑いとガッツを備えている。なるほど子供向けに描かれて読みつがれるだけの作品だ。歴史を歪曲しようと思うものはこの作品を恐れねばならないだろう。フィクションであるにもかかわらずその中にはどうしても否定できない真実のいきどおりがあるから。めそめそとあきらめて、都合よく消滅してほしかったのにしぶとく生き抜いて告発する恨みと正統な怒りが拳を掲げ声をあげている作品だから。
NHK MUSIC SPECIAL 高橋幸宏 創造の軌跡 | NHK MUSIC|NHKブログ https://www.nhk.or.jp/music/programs/478705.html
昨日は本放送、今日は録画を泣きながら見てる。間違いなく自分の一部が失われた感覚。配偶者は腫れものに触るような感じであるが、もはやどうでもいいのである。
成田の発言もそうだが、その発言に至った背景は明らかな誘導シナリオがある。
あのような発言を導き出したAbemaこそが為政者達のプロパガンダの体の良い道具であり、そこに盲目的であってはいけないかな、と。
BT. 私もこの辺り訳がわからない。米国は今も大体毎日500人くらいコロナで亡くなってるし、日本も現時点だと毎日200人くらいですか?
小学生から高校生までそれなりの人数の若者とその家族が入試を控えて一年で一番健康管理に気をつける時期で、これ。
この状態で春休み卒業入学シーズンに「基本マスクなし」とか言いながら突入していきましょうって、誰がなんのためにどういう根拠で決めたのか、全く理解できない。ほとんど無責任を超えて決定の背後にシニシズムを感じるレベル。
政府、「GX基本方針を閣議決定」と報道されているが、相も変わらず、悪辣な手法。
内容は、要するに原発回帰・拡大を「閣議決定」した、ということ。
「閣議決定」は以前も批判したが、議院内閣制では「当然」。
「閣内不一致」であれば、当該閣僚の更迭か内閣総辞職しかない。
近年頻りと「閣議決定」が報道されるのは、「決定」を既成事実のように「印象操作」するため。
近年、この「閣議決定」が乱発されることと「統治 ガバナンス」の政治学での流行には相関関係がある。
「政府 ガバメント」は一応民主的正当性が必要だが、「ガバナンス 統治」にはそれが必要ない。
例えば欧州委員会や欧州中央銀行(ECB)は、決定に関して如何なる「民主的な」掣肘を享けない。であるから、昨日批判した遠藤乾さん達が「統治」大好きなのは、ちゃんと理由がある。
一般的に言えば「統治
ガバナンス」は「民主的」(代議制ではあれ)の制約を受けないための論理。
この投稿で、「保守」的と評したロックの「政府」でさえ、「人民」の信託が必要とされる。
これに対して現代国家の統治の主体は行政エリート。高級官僚は選挙では選ばれない。
大企業の役員が「開かれた議論」と選挙で選ばれないのと同じ。
国会議員は一応「選挙」という洗礼がある。
そのへんのぐだぐだoffice worker (センピ系)。たまに研究も。