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原武史さんの「象徴天皇制を問い直す」というインタビュー記事。これは読み応えもあったし、問題提起も重要なものを含んでいたと思う。特に左派(リベラル)が「平成流象徴天皇制」に「依存」しているとの指摘。

はばかりながら、「リベラルがリベラルな天皇の大御心に甘えて来た」との意識は僕も持っており、その「解決策」をどうするべきかずっと悩んでいる。ついでに言うと、「憲法9条」という世俗法に乗っかっている宗教教団の平和運動に、似た感慨を持つこともある。

asahi.com/articles/ASS3C6KGBS2

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改正「案」を「閣議」で決めただけなのに、あたかも既定事項のように報じるこのやり方、なんとかならんのか。

www3.nhk.or.jp/news/html/20240

山本圭さんの『嫉妬論』(光文社新書)読了。嫉妬 envy という言葉を軸とした政治哲学入門、といった趣もあった。僕は本書でも紹介されているルネ・ジラールの「羨望(欲望)の三角形」理論に昔ハマって(『欲望の現象学』)、それ以上の考察をしてこなかったな(あれはフロイトの「エディプスの三角形」と相似形の理論だから、精神分析にハマっていた僕にはドストライクだったのよね)。
昔の自分(特に学部生時代)を考えると、R.ジラールの理論もそうだが、M.フーコーの「生権力」論、L.フェスティンガーの「認知的不協和の理論」とかフロイトの「無意識(及びトラウマ)」理論という、ある意味何にでも当てはまる「でかい理論」の入口に立っただけで満足してしまい、思索を深めてこなかったな、と反省しきり。要するに、哲学的な形而上的議論よりも、目の前の現象を快刀乱麻に切ってくれる「ツール」としての大理論を探していたんだよな、僕は。
kobunsha.com/shelf/book/isbn/9

数ヶ月に一度宗教の総合情報紙『中外日報』に書いているエッセイです。オウム真理教について、ちょっと学生時代の思い出も記しました。/ [時事評論]加害者家族と宗教 被害・加害双方へ関わり方は

chugainippoh.co.jp/article/ron

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Threadsを見ていたら
「ここ10年くらいでインターネットは過去の情報をアーカイブ化したり文脈化したりするのではなく、目の前の刺激に急激に反応してはすぐに忘却されていくという、より消費速度の早いマスメディアみたいな場所に急速に変化してきているような気がする。」
という投稿が流れて来て、ここ10年くらいなのかは分からないけど、俺がインターネットを始めた25年前くらいの時は個人が少しずつ持ち寄った情報が集積されて誰でもアクセス可能な膨大なアーカイブが誕生すると思っていたのだけど、いま過去の事を検索しても運営者が居なくなったりなど様々な要因で過去のデータは綺麗さっぱり無くなっていたりで紙に印刷された情報よりも耐久性がないのかもと愕然とするこの数年ですわ。

某議員が書籍代を山盛り申告したことで思い出したことが一つ。大昔、某財団法人で事務のバイトをしていた時、聞いたこともない団体から、藪から棒にめちゃくちゃ高価な雑誌が送り付けられたことがあった。定期購読を促す手紙と振込用紙と一緒に。確か季刊で、年数万円はしたはず。まあ、そういうヤクザな「商売」ですな。受取拒否して返送した。某議員が「義理堅く」て、そういう雑誌をたくさん購入させられていたら、少しは同情する(嘘)。

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群馬でも京都でも他のとこでも、半分以上は選挙行って無い事に絶望するべき。

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マスコミは「『コメントを差し控えたい』と述べた」ではなく、ちゃんと「回答を拒否した」と書くべきだと思う。
「野党が反発した」とかは平気で主観入れるのに、なんでそこだけICレコーダーみたいになるのか。

差別はするは、学術活動にいちゃもんつけるは、「裏金」は作るは…なぜこの人物がまだ議員をやれているのか。恥を知らない人及び政党は度し難い。/ 杉田水脈議員は1564万円訂正 自民安倍派からの寄付不記載 | 2024/1/31 - 共同通信

nordot.app/1125386593894236620

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義務教育で生活保護の受給の仕方について授業持って、ちゃんと覚えたかテストすればいいのにね。絶対に自殺者減ると思う。

仕事にチャレンジしてダメで、一瞬収入がなくなっても大丈夫、セーフティネットがあるって思えたら、若い人もいろんなことにチャレンジできるはずだし。

若い人が辞めるの怖くなくなったらパワハラやセクハラも減るし、カスタマーハラスメントも防止策ができるよね。人を辞めさせない方が得になるから。

で、逆説的に、パワハラとかのない会社なら、別に働けるんだよね。たいていのひと、パワハラやセクハラで病んで辞めるんだしさ。そういう会社は人が長く居つくからいろんなプロダクトも育つだろうし。やんないかなあ義務教育で生活保護受給方法。

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山本一太氏が「ルール」とか言ってるのって、ただの揚げ足取りでしかないからな。単に奴が日本の朝鮮人虐殺という犯罪行為を否認したいがために恣意的に、自分の意に沿わない意見を「政治的だ」とレッテルを貼って追い出そうとしているだけ。
間接的に表現の自由を制限している行為であって、普通に考えたらルール違反をしているのは山本知事の方だ。

このニュースを見た瞬間の感想は「ある意味、見事な最期」というものだった。長年潜伏し、死ぬ間際に正体を明かして、そのまま死ぬなんて、なかなかできることではない(テロリズムが許されない、なんてのは前提の上で)。
www3.nhk.or.jp/news/html/20240

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www3.nhk.or.jp/news/special/ji
弁護士は繰り返し、裁判所に相嶋さんの保釈を請求しました。しかし、認められることはありませんでした。
その理由はいつも決まって、「罪証隠滅のおそれ」でした。

これ、一番悪いのは保釈を認めなかった裁判官だと思う。検察は相手を悪だと思いこんでなんとか有罪にするのが仕事だから、いろんな手で容疑者を追い詰めようとするが、だから自分たちに都合の悪い保釈を防ごうとするが、それを公平な目で見て判断して却下するのが裁判官の役目なのに、強い検察の意のままに保釈を却下し続けた裁判官が一番悪い。自分のやるべき仕事をしていない。自分しかできない仕事だったのに。だから、今回の国と都を訴えた裁判で、裁判所が責任を認めることはないだろうな。

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BT
沖縄は植民地だ、と言うと選挙権もあるし国籍だってあるから植民地的扱いであっても植民地ではないと言われる。

ではその選挙結果は反映した事があるのか、同じ国籍を持つ人に向けて「(琉球人は)日本から出て行け」と言うのはなぜなのかを考えれば植民地だからとしか言いようがない。ある意味違う民族であったことを沖縄人より理解しているのが日本人だ。

いやいや、選択肢だって平等に与えられているでしょと思う人がいたら考えてほしい。

コンビニに自家用ジェット機が販売されていたとして、それを自分が持つ選択肢の一つだと思えるか。選択肢というのは入手できる状態(この場合お金)があることが大前提で、その前提がなければ選択肢があるとは言えない。

沖縄には日本人向けのマンションやサービスが充実してきている。表立って沖縄人を排除しているわけじゃないけど料金設定を見れば実質観光客や移住者に向けた「選択肢」でしかない。

琉球・沖縄にとって絵に描いた餅なのは憲法だけじゃないのよ。選挙権も国籍も、植民地という事実を伏せるために与えたふりをしているだけ。他のマイノリティを差別させるために与えられた空っぽの「権利」しか持っていない沖縄だから何の決定権もないのだ。

完全な植民地。それを認めてしか変えられないことばかり。

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安倍政権下末期に、首相動静で。
10時過ぎか11時くらいに車で国会に来て、午後2時か3時には自宅に帰宅するスケジュールを見て、「うちの孫の慣らし保育より短い」って言ってたツイートめっちゃ好きだった。保育園児より頑張れてない総理大臣いらんのよ…。

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能登半島地震を受けて、人口過疎地の住民を移住させようというツイートが時々流れてくる。現代人の生活を成り立たせるためにはそれなりに高度なインフラが必要であり、その維持コストを考えるとやむを得ない部分もあるかもしれないと思う一方、いまだ孤立している被災者がいる段階でその話をする必要ある?などと思ったりもする。

でも、家屋の倒壊や道路の寸断が起きているまさにこのタイミングだからこそ、そういう話が出てくるのか...などと考えていたら、なんかこの手の話を、どこかで聞いたことがある気がしてきた。

そこで思い出したのが、ナオミ・クラインが言う惨事便乗型資本主義(ショック・ドクトリン)。大惨事につけこんで市場原理主義的な改革を一気に押し進める動きがでてくるという議論。クラインの議論は、そういう改革が行われる以前の状態を美化しすぎなんじゃないかと思う一方、なるほど惨事に便乗するというのは、こういうことなのかという納得感があった。

特にオチのある話ではないんだけれども。

つい、「同業者」のニュースは気になるもので、不倫報道がされたM氏(社会学者)について、仲のいい同期(社会学者)とチャットをしてしまった。一番びっくりしたのは、「90年代、君はM氏のことを田中康夫の言葉を使って『ペログリ社会学』とか言ってたよ」という友人の証言。
え、俺、そんなこと言ってたっけ?まあ、言いそうではあるな(ブルセラ社会学呼ばわりはされていたと思うが、それより酷い悪口だな、我ながら)。M氏の理論の切れ味には魅力を感じたけど、それ以上に違和感があったのだろう。予言的ではあるか。
僕自身は不倫なんてことを殊更あげつらう気はサラサラないけど(大人として身を処せばいいだけ。まあ、教え子に近いのに手を出すのは、それこそ僕の「倫理」に悖るけど)、敢えて下品なことを言いますが「東大出だけどヤリチンです」みたいな「アイデンティティ(裏返しのコンプレックス)」から逃れられなかったのかな、とも単純に思いますね。これ以上は言及しません。ただ、25年ほど前の自分の言葉に驚いたので、少し記録のつもりで書いておきます。

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東日本大地震の被災地の視察行った菅直人元首相。被災者に詰められる菅氏にネトウヨは「無能」のレッテルを貼って喜んでいるそうだが、これがもし安倍晋三だったら、ネトウヨは烈火の如く被災者バッシングをしていたんじゃないかと思う。そして、それを放送するテレビ局も「反日」呼ばわりしたと思う。

何が言いたいかというと、民主党政権時代は「報道の自由」がここまで保証されていたと言うこと。この映像は「電波止めるぞ」と脅す自民党との違いだと僕は捉えている。
youtube.com/watch?si=5cok2Gq6R

彼個人の問題ではない。この議員の「道徳心のある日本人」云々という主張はともかく(もちろん噴飯ものだが)、「権力を持てば、他人に厳しく、自分に甘いことが許される」と思い込んでいたことが共通の問題と思う。要するに罪悪感なしに「これくらいのこと、許されて当然でしょ」と本気で思っていたのだろう。/池田佳隆衆院議員の関係先捜索前に記録媒体が破壊 証拠隠滅か | NHK www3.nhk.or.jp/news/html/20240

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安倍内閣のときは、内閣がそう発表したわけでもないのに「この政策にはこういう深い意味があるんだ。そんなこともわからないのか」と言う人がTwitterにたくさんいました。それを見るたびに、「本当に尊師に従っていいのだろうか。やはり人を殺すのはまずいのでは」と思いつつ「いや、尊師にはわたしにはわからない深い考えがあるのだ。わたしの修業が足りないからわからないだけだ」と考えて犯罪にまで至ったオウム事件の実行犯を思い出していました。安倍さんは麻原と同じだと言いたいのではなく、周囲が勝手に意思を読み取り始めるのは危険だという話です。
菅・岸田両内閣ではそのような「解説者」が減ったように思っていたのですが、今回の地震でまた増えてきたように思えて気がかりです。

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