「書店支援」の話、本当に腹立たしさしかないんだけど、あまりに腹立たしくて書いては消し書いては消ししてるんだけど……
そもそも、「書店支援」に決定的に必要なものは賃上げじゃないのかよ。収入だろうよ。文庫ですら4桁円がめずらしくなくなった本を、苦痛を伴わず買うことができるお金を多くのひとがもてるようにならなければ、魅力的な本が売られていても楽しそうなイベントがあっても買えないのだから。
今の日本はもはや、可処分所得の奪い合いを語れるような状態ではなく、生きていくために必要不可欠な支出の捻出が困難であるという問題に直面しているわけじゃん。
その状態を根本的に改善しなければ、「書店」が潤うほどの金は流れない。仮に多少流れたとして、それはその分、どこかに流れるはずだった金が減っているに過ぎない。
岩手・大槌町に支援物資として送られたスバル サンバー・ディアスクラシック 「走る震災遺構」として保存|TBS NEWS DIG
https://www.youtube.com/watch?v=gT4CZn55LNM
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"「そういうパワー」は、四六時中「政治的主張」を振りかざすような行為からは決して得られないメカニズムというのが、この分断化した時代における「政治的振る舞い」という問題を考える上で重要になってきていると思います。
もちろん「プラカードを掲げる型の政治的振る舞い」というものの重要性が無くなったわけではないんですが、一方で、「応援するチームが延長戦でコレ失敗したら敗けるというシーンでファーストダウン更新に成功した」事で狂喜乱舞”してみせる”ということもまた『非常に政治的な』振る舞いなのだ、という視点が重要なのではないかと。
そういう部分でラポール(相互信頼関係)を築いていくような活動を積み重ねる事によってのみ、「重要なタイミングでほんの一回だけ」の政治的メッセージが深い意味を持ったりもする。"
これは本当にあると思う。
https://twitter.com/keizokuramoto/status/1760433262705697049
すごく立派な研究だ
役所の場合、「あいつはすごい」というのは、多くは長時間拘束的な働き方ができる、何を振られてもやる、ということが重要なポイントになります。では、そういう働き方ができる人はどういう属性ですか、となると、妻がいて自分は家のことをなにもしなくてもいい、という男性が圧倒的だった
「なぜ女性は昇進できない」を解明した川崎市職員にたっぷり聞いた 「軽視される仕事」と「形状記憶合金」 https://www.tokyo-np.co.jp/article/313253
そもそもの話として、ブルーインパルスはもともと3/16に飛ぶはずだった。
地震があったから被災者を鼓舞するとか言う理由があと載せされたに過ぎない。
なんであと載せしたんだろうな。載せずに飛ばすと不謹慎だって言われるから? 中止の選択肢は無かったのかね。
世田谷の市役所建て替えるらしいが、あの庁舎はわたしの公助獲得ガッツの象徴だったな。みんな親切だけどとにかくタライ回しされて、手狭だから本庁舎のまわりにある分室みたいなところに部署がわかれていて、いろんな建物を回ったり戻ったりしながらすごい頑張った記憶がある。
福祉っていろんな仕組みの積み重ねで、ワンストップじゃないし、援助を求める方もなにをどう質問すればいいのかわかってないから、的を得てない質問に対して回答がおかしかったりする。まずどこになにを聞けばいいのかっていうのがわからないんだよね。
そこを何度も同じとこに戻ってきて恥ずかしいとか申し訳ないと思わずに頑張ろう! ってできたガッツが私にはあった。まだ若かったから。
でも今やれって言われたら、まだできるかなー、でももうちょい年取ったらきついだろうな。
わたしはいざとなったら市役所のカウンターで泣いてダメならNPOを頼るか共産党に駆け込んで市役所のカウンターに戻ればなんとかなると思ってるんですけど、それはわたしが公助に育てられたから、扉の向こうになにがあるか知ってるからだと思うんだよね。あと書類とかの事務手続きに比較的親和性があるのもある。
困窮する人はそもそも手続き類がダメな人も多いと思う。
ぶるすこでも書いたが、いざというときに身内は真っ先に逃げる。これはわたしの経験則です。おじおばや仲良かったいとこたちと再会できたのはわたしが自分でお金を稼げるようになってからだった。
身内は困窮者を助けねばならないという日本社会に蔓延する倫理に縛られる。助けるのは負担だから、見えないところに行くんです。
そうやって人の縁が断ち切られて回復できなかった相手もいる。彼らが多くの負担に耐えなくても公助が作用するとわかっていれば、少しずつの縁でも繋がったろうと私は今でも思っています。
誰もが助け合う社会なんですよ、っていう前提が共有されてない中で、公助だけ強調して見えると、財源どうするんだって話になるが、いまでも公助はあるんだよね。
わたしは生活保護家庭の出身で学費援助とスクールローンで高校卒業して働いたんだよね。生活保護に繋いでくれたのは近所に住んでた学会員のおばちゃんで、公明党の議員さんの口利きで保護に繋がったの。
わたしは高卒で働いて家にお金を入れて、妹はわたしの援助と奨学金で大学卒業して公務員になっていまも働いている。貧しい2人の子供は立派な納税者となり、しょうもない親を援助もしました。世間で考えるところの自助共助公助の成功モデルのひとりだと思う。
成人してから祖母や父の介護も経験しました。
それで思うけど、まず公助は現在もある。が、ガッツがないと使えない。手続きが煩瑣だったり、市役所員が不親切だったり、そういうのをガッツで乗り越えないとダメなんだが、困窮者はたいがい、困窮して疲れてもうガッツがないし、公的機関への不信感が強いんですよね。
まず公助へのスティグマを減らすのが大事だろうなと思う。
舞踊とフィギュアスケートが好きなオタクでシッパー。スラムダンクに荒ぶりモフモフを愛する者です。 野良フェミ兼表現の自由戦士です。政治っぽい発言が結構多いです。 Jpからお引越ししてきました。