わたしはいざとなったら市役所のカウンターで泣いてダメならNPOを頼るか共産党に駆け込んで市役所のカウンターに戻ればなんとかなると思ってるんですけど、それはわたしが公助に育てられたから、扉の向こうになにがあるか知ってるからだと思うんだよね。あと書類とかの事務手続きに比較的親和性があるのもある。
困窮する人はそもそも手続き類がダメな人も多いと思う。
ぶるすこでも書いたが、いざというときに身内は真っ先に逃げる。これはわたしの経験則です。おじおばや仲良かったいとこたちと再会できたのはわたしが自分でお金を稼げるようになってからだった。
身内は困窮者を助けねばならないという日本社会に蔓延する倫理に縛られる。助けるのは負担だから、見えないところに行くんです。
そうやって人の縁が断ち切られて回復できなかった相手もいる。彼らが多くの負担に耐えなくても公助が作用するとわかっていれば、少しずつの縁でも繋がったろうと私は今でも思っています。
誰もが助け合う社会なんですよ、っていう前提が共有されてない中で、公助だけ強調して見えると、財源どうするんだって話になるが、いまでも公助はあるんだよね。