22:00 前か。やっとマストドンのページを開く時間が来た。早寝早起きの健康な人たちは既に暖かい布団の中か。
昼間は野良仕事ばかりしていた。スマホは念のために携帯していたけれど、今日は特に使う用事は無かった。
夕食後、愛人(嘘です)が待つ別宅(これは本当)に赴いて、年賀状の宛名印刷をした。「筆まめ」で住所録の一覧表を印刷して、それぞれ、今年出す人に印を入れる。それを見ながら「筆まめ」の一覧表画面でチェック・マークを入れて、カードを抽出して印刷する。一時間半かかった。
昨夜は文面の方の印刷に二時間かかったから、まあ、こんなものか。
「筆まめ」の住所録を見ると、既に亡くなった人が沢山記録されている。
そろそろ、年賀状をやめようか、と、去年も言っていたな。
と言いながら、「作ったもの」の寿命について、考えてしまう。
ツイッターへの投稿も「作ったもの」で、ブログに書いた記事も「作ったもの」で、GitHub や BitBucket に置いているプログラム・ソースも「作ったもの」である。
「作ったもの」をどういう形で保存するか。紙(粘土板でも木簡でも石版でもよい)に書き付ける。ハードディスク(USBメモリでもよい)に保存する。DropBox に預ける。誰かが保守しているサーバに預ける。
保存媒体の利便性と寿命は、大局的にはトレードオフの関係にあるようだ。細かいことを言うと、デジタル・データには、利便性と寿命(安全性)を同時に高めるような、上手な使い方(組み合せ)と下手なそれがあると思うけれど。
それで、唐突なようだけれど、アフガニスタンで農業用水路を掘る工事をしていた中村先生の姿が脳裏から離れない。重機を操縦していて、かっこ良いったらありゃしない。あこがれるわ。
Twitter社がSpaceを使用停止にしたとのこと。日本語教師仲間がやってた朝の番組も昼の番組も聴けなくなったわけで。本当にプロプライエタリなサービス使うのは辞めてオープンソースベースの分散型のサービスに行かないと自由な言論空間は維持できないんだなって実感。 https://www.thestar.com.my/tech/tech-news/2022/12/16/elon-musk-disables-twitter-spaces-after-clash-with-journalists
やることリストのうち、Excel, Word を使う仕事は一応全部済ませることが出来た。
・管外協議費
・請求書の発送(郵送) ... 31/35 DONE
・例外的に郵送しない分を確認すること ... TBD
・郵送しない分の徴収方法を確認すること ... TBD
・出不足金
・計算してリストを作成 ... DONE
・請求書を作成 ... 封筒も含めて DONE
・請求書を手交 ... TBD
・役員手当
・計算してリストを作成 ... DONE、個人用明細書と封筒も DONE
・金種計算 ... DONE
・会計に出金を依頼 ... TBD
前任者に確認を取ったり、会計に仕事を振ったりしなければならないが、明日以降のことにする。
管外協議費請求書を封入して宛名を印刷した封筒を郵便局に持ち込んで、封書31通分の切手をくれ、と言ったら、「スタンプで構わなければ捺しておきます」とのことだった。有難い。助かった。あなた(誰)知ってた?
一日中こんなことをしていると気が狂うので、昼前と夕方前に、野良作業をはさんだ。チェーンソーで木を伐るのだ。面白いで。
さて、今日は村の用事を済ませるために休暇を取ったのだ。
やることリスト
・管外協議費
・請求書の発送(郵送)
・例外的に郵送しない分を確認すること
・郵送しない分の徴収方法を確認すること
・出不足金
・計算してリストを作成
・請求書を作成して手交
・役員手当
・計算してリストを作成
・金種計算
・会計に出金を依頼
というところか。
管外協議費というのは、集落内の家屋・田畑・山林について、集落内に住所を持たない人に対して応分の負担を求めるという趣旨の、謂わば、集落自治活動協賛金である。
出不足金というのは、集落で行った草刈などの環境整備作業について、参加しなかった人にこれまた応分の負担を求める趣旨のもので、これは集落住民にのみ課されるものである。
都会の住人からすれば、これだから田舎はおそろしい、ということになるのかな。うん、なるだろうな。
都会から田舎に移住する場合には、集落側の要求を受け入れるにせよ、拒絶するにせよ、条件を付けるにせよ、曖昧なままにせず、最初から口に出して交渉して決める方が良い。役場にそういう事を調整してくれる部課もあるので、相談すればよい。
執筆にアウトライナーが活躍しています
dynalistからLogseqにアウトライナーを切り替えて作業をしています。
昨晩は、参考書を読みながらノートを取ったり、自分の考えを展開したりしていたのですが、ややこしい部分で大変Logseqのお世話になりました。
といっても、私が使っているのはアウトライナーの基本的な機能しかありませんから、厳密に言えばLogseq固有の良さと言うわけではありません。どんなアウトライナーにも共通のものだと思います。
アウトライナーの基本的な機能と言うのは、何かと言うと、私にとっての基本的な機能と言う意味ですが、普通に項目を日本語で入力できて、太字やプログラムやマーカー等をMarkdownで記述できること。
それからLaTeXの書式で数式が記述できること。さらに、コピー、アンドペーストで画像を項目の1つとして入り込むことができること。
それから、もちろん、おりたたんだり広げたりすることができる機能。
その他には、CSSを使って見た目を変更できることや、キーボードの割り当てを変更できることなども基本的な機能の1つといえます。
私はアウトライナーを、ザクザクと書いて整理するための場所として使っています。つまり、そこで、文章を清書したり、完成形としての原稿を作るわけではありません。
アウトライナーでは、ただ、考えている事の項目挙げをしたり、上位概念と下位の概念を整理したりするために使っています。
ストック場所ではなくて、フローの場所ともいえます。
特に重要なのは、数式を書く部分と、画像を貼り込む部分です。これがあると、参考書クリッピングをしながら、それを読みつつメモをとっていくことが大変やりやすくなるからです。
昨日の夜も、その機能をフルに使ってごちゃごちゃしている考えを、参考書を見ながら再確認したり、整理したりすることができました。ありがたいことです。
アウトライナーで整理した考えを原稿に落とし込むにはどうするかと言うと、それは場合によります。テキストとして直接エクスポートして使う場合もあります。でも、いつもそうとは限らずに。今度はアウトライナーを目で見ながら、原稿ファイルに向かうことをよくあります。
アウトライナーで既に書くべきことのポイントはまとめられていると言う安心感があるので、自由にリラックスして原稿を書き進めることができるからです。
ときには、アウトライナーから離れて、つまり以前考えていたアウトラインから離れて原稿を進めてみることもあります。その方が良い流れになる場合もありますし、やっぱり問題が見つかる場合もあります。問題が見つかった場合でも、アウトライナーのほうは影響がありませんから、元の路線に戻ることができると言うわけです。
アウトライナーからエクスポートしたファイルをベースに進めてしまうと、どうしてもアウトラインに縛られてしまう割合が強くなります。それは原稿の種類によっては望ましくありません。
その他にもいろいろあるのですが、それはまた別の機会にお話しします。
世襲議員がイヤなら選挙で落とせばいいだけ、と言う人もいる。その通り。正しい。フランスみたいに市民が王様をギロチンにかけて殺して獲得したような民主主義が血肉化してる国ならね。日本で世襲議員がなくならない理由の一つは、地域エゴではないか?と。田中角栄に代表されるような、「オラが地方の代議士先生が、道を作ってくれた、橋を作ってくれた、原子力発電所を誘致して仕事を作ってくれた…」以下略。手前さえ良けりゃ、地元さえ良けりゃ、いい地方エゴが、利権を地方にもたらす政治家を繰り返し当選させ、名門にし、政治を家業とする代々続く政治家一族が出来上がる。世襲議員=地方に利権をばら撒く、利権分配システム自民党を支える構造なのだ。だから、厄介。そんな民度じゃねーんだよ、日本は。面白がってN国に投票しガーシーを国会議員にしちまうような民度なんだわ。
見知らぬ人々が私たちの事に口を出してきた
貧困と恥辱こそが彼らのものだ
けれども、それら全ての苦痛も
来たるべき栄光とは比べるべくもない
そして私はあなたがくれた贈り物を今も身につけている
それは今では私の一部であり、大切に保たれている
それは墓に至るまで、そして永遠に至るまで
私とともにあるであろう
あの夏のとき、ああ、あの夏のとき
あなたが私とともにいた、あの夏のとき
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ボブ・ディランによる救い主たるイエス・キリストへのあけすけの愛を歌い上げた賛美歌だ。
多くのファンや評論家が戸惑ったけれど、ディランは本気だった。ディランが本気でなかったことなど一度も無い。
私にとっても、ある女の人から無条件の愛を受けたあの頃、心の中から湧き上がる喜びを表現してくれる切実な歌だった。
無条件の愛があるって、君は信じられるか? 私は知っている。あるんだ。
しかし、不信者の君よ、安心するが良い。私は、我が驕慢と怠惰のゆえに、その人から別離を言い渡された。私が感じたよりも大きな悲しみと苦痛に耐えながら、彼女は「私は努力しない人には耐えられない」と言ったのです。私には返す言葉が無かった。
あれから何年経っただろう。
「私はあなたがくれた贈り物を今も身につけている」と言っても良いのだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=k6wmeRIv61A
In the Summertime / Bob Dylan
私はあなたの前に一時間ぐらいいたのかな
いや一日だったかな、全く分らない
あの柔らかく輝く海辺で、
太陽は沈ます、木々は低く枝を垂れていた
あなたが私に敬意を払ったのは、私がしたことのためだろうか
それとも、しなかったことのためか、それとも、隠し続けたためだろうか
あなたが見る全てのものを取り除こうとして
私は正気を失っただろうか
あの夏のとき、ああ、あの夏のとき
あなたが私とともにいた、あの夏のとき
私は心を執り、あなたは血を執った
私たちは鉄を切り開き、泥を切り開いた
そして、すべての人を解き放つ
洪水の前の警告がやって来た
愚か者たちは罪を嘲笑い
私たちの忠誠を勝ち取ろうとした
彼らは知ることも見ることも望まなかったが
あなたは肉親よりも私の近くにいた
あの夏のとき、ああ、あの夏のとき
あなたが私とともにいた、あの夏のとき
(続く)
山の中の集落、岩座神(いさりがみ)に住む面倒くさい爺さん。
プログラミングと社内PC環境の保守を糊口の資としてきたが、引退してゆるゆると野良仕事三昧中。
本拠は @kotobaphil-mtd.eu に移しました。