東京で起こることは日本で起こっていることであり、lgbtq+について語られることはわたしと似た境遇の人について語られることなので、東京に生活拠点がなくても東京でやっている「LGBT」がテーマの一大広告事業には毎年のごとく巻き込まれてしまう。
TRPが警察にまた抗議者を売るのかということと比べたら、TRPそのものが主流メディアでどう扱われるか(そしてそのなかの何をどう扱われないか)は些細なことにすら思える。ただその場に物理的にいない者にとって、明日からの自分の生活にすぐさまかかわるのは(かかわらないことも含めて)後者かもしれない。
東京レインボープライドは、東京という都市で行われる、プライドパレードでプライドイベントでもあるので、そういう意味で参加することに引け目を感じてほしくない。
主催団体である「東京レインボープライド」にどのような理念があり(あるいはどのような理念がなく…たとえば「人権」がウェブサイトのどこで使われているか・使われていないかを見れば良い)、どういう運営の仕方をしてきて、どんな関係を警察と結んできて、スポンサーが本業として何をしていて、それらのスポンサーと主催団体の双方にどんな批判がされているのかを知って、知った上で参加しないことに引け目を感じてほしくない。
ただ社会的にスティグマを負わされているマイノリティーズが匿名で集まることができる都市においてもその時々のリソースにはしかし限りがあり、一つの都市には一つのプライドしかないのだ。それに〈参加〉しない者は再度不可視化される。
pride(誇ること)は非規範的なジェンダーやセクシュアリティを生きることにまつわるshame(恥じること)の対義語として使われてきた語である。プライドはスローガンでありプロモーションなので、誇りを持ってほしいというわけだけど、誇りが持てない事情がプライドと名乗るそのものの中にあることの意味が、わかるか。
東京のプライドにいやがおうにも巻き込まれてしまう、自らが自らであることを恥じよ恥じよと日々迫られる、LGBTQ+が、不完全な経済と不完全な法で規定される潜在的な消費者や被雇用者や有権者であると同時に、もしくはそういう形では社会への〈参加〉を阻まれているときに、東京のプライドに〈参加〉できない、ということの重みが、わかるか。
かく言う私も数日前に尻注射失敗されて絶賛筋肉損傷中なのである…(しこりがあって押すと痛い程度の痛みなのでかなりマシなほうではあるが)
自己注射してたときは尻というか腰近くに打ってたけど、今は腿の外側と肩〜腕が主流なのね…腿の外側、刺すのにちょっと勇気がいるな。
https://www.folxhealth.com/library/hormone-self-injection-guide
「トランス仲間と話すこと?最近の体調とか通ってる病院の話とかどの薬がいいかとか…」
「老人会の集まりみたいね」
「まあ実際余生みたいなもんだから…」
(トランスジェンダージョーク)
「思春期からブロッカー?最近の若者は甘えてるな、自分が若い頃は生理を止めるために冷たい石の上に何時間も座ったもんだ」
「それって効果あったの?」
「特になかった」
(トランスジェンダージョーク)
可視化しているトランス男性。