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退院後はめきめき回復して寺院やマーケットを観光したりもしたけど、カジュアルなアクティビティと並列に命をかけた大手術してるのはなんだか可笑しい。海外というロケーションも相まってのあの非日常感…

「えっ、自分以外みんな長期でタイ旅行したことあるんだ!何して過ごしてたの?」
「「「だいたい横になって安静にしてたかな〜」」」
(トランスジェンダージョーク)

東京でトランスの人と飲み会するならどん浴がいいかな。セーフスペースだしくつろぎやすくていい店だからな〜

トリッパー春号、『ドリアンアイスの夜』を読んだ。自分は個人手配だったので独りだったけど、タイオペってそれぞれの修学旅行みたいな趣があるよね。

お、やっとプログラム発表された!
今年はトランスジェンダーの作品多くて楽しみ〜
eigajoho.com/archives/252272

ヨシ・ミウラ さんがブースト

→ あるいは、トランスの人々と非常に近い関係を持って共に生きてきたコミュニティの人々や家族(生まれ落ちた先の「家族」には限定しない)。

もちろんその人たちはトランスの人と同様・同等の苦しみをトランスフォビアから受けてきたわけではないだろう。とはいえ、その人たちが定期的にトランスフォビアによって苦しめられてこなかったかというと、それはトランスフォビアの暴力の射程を低く見積もってしまうことになる。

トランスの人々と共に生きているシスジェンダーの人々もトランスフォビアによって(トランスの人々とは異なる形や程度であれ)苦しめられ得ると認めることが、必ず、シスジェンダーを「自然な」カテゴリーと考えることと繋がるわけではない。

ここは分けて考えるべきではないかと思っている。

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ヨシ・ミウラ さんがブースト

→ だとすれば、問題は「シスジェンダーとは出生時に(医学的・法学的に)割り当てられた性別カテゴリーを自分の性別として引き受ける人のこと」という定義自体ではなく、その定義を「社会的・文化的に〈女であること〉に紐づけられた扱いや要請を私は承認しない、したがって私は女ではないし、女という性別を引き受けることはそれらの扱いや要請を承認することだ」と読み替える、その解釈の方ではないかと思う。

同時に、シスジェンダーを「トランスフォビアによって定期的に苦しめられていない(もしくは苦しめられる可能性を管理しなくてもよい)人」を指すとすると、「生まれた時に与えられた「女性」という性別を引き受けており、同時にトランスフォビアに定期的に苦しめられている人」はどうなるんだろうか、とも思う。

具体的には、まず、トランスフォビックな差別的制度や暴力のターゲットとなるブッチと共に生きて同じ差別や暴力に立ち向かっていたフェムの女性たち(香港の件は記憶に新しい)。

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ヨシ・ミウラ さんがブースト

→ カテゴリーの要求を拒絶するためにはカテゴリー自体をまとめて拒絶せざるを得ない、というのは一つの主張で、ジェンダーの制度の根絶を目指すラディカル・フェミニストの議論はこちらを向いている。これはこれでアリかもしれないと思う。

しかし同時に、カテゴリーの根絶をどのようにもたらすかという点で、いわば内破の方向を採用するフェミニズムの系譜もある。カテゴリーそれ自体を一旦引き受けた上でカテゴリーの要請を内側から変革し、それによってカテゴリーを動揺させ、転覆させることを目指す。

「女性性の仮装」をめぐる議論の系譜はこちら側だし、これはクィア・ポリティクスやとりわけパフォーマティヴィティ論にも継承されていく。こちらが絶対に正しいというわけではないけれども、私はこちらにシンパシーを持っている。

それはともかく、ポイントはだから、出生時に割り当てられた性別を自分の性別として引き受ける(アイデンティファイする、という用語よりは少し意味合いは狭くなる)人をシスジェンダーと呼ぶとして、性別を引き受けることは、性別による要請を引き受けることとはいったん切り離し得る、ということ。

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ヨシ・ミウラ さんがブースト

鳥板の暗愚大王の妙なお触れのせいで「シスジェンダー」について鳥板だのここだので目にすることがこのところまたちょっと増えた気がして、で、コヤマエミさんの定義を説明するこのエントリーを引くポストもいくつか目にしてるんだけれど。

実は、「シスジェンダー」という言葉があるなら私はシスジェンダーだよねという形でそのカテゴリーを引き受けた人間としては、エミさんのここでのシスジェンダー定義はちょっと違和感があるんですよね。あと、そもそもこの説明自体にもちょっと説得されていない。

後者から行くと、ジェンダーが女性を従属させる抑圧の制度であることはその通りで、だからその中でとりわけ「女性」が「女性」というカテゴリーの要求する性質や振る舞いを承認し難いものと感じる、というのもその通り。

ただ問題は、カテゴリーが課す要求を受け入れ難いことと、カテゴリーそれ自体を受け入れ難いことは、密接に繋がってはいるけれども完全に同じではないということ。

transinclusivefeminism.wordpre

シスの定義、コヤマさんの言うことにも納得できるけど、個人的には「トランスジェンダーであることを引き受けなくてもいい人」だな。
中核群バイナリートランス男性からするとこの違和とシス女性の感じるジェンダー抑圧が同じなわけがなかろうと思うんだけど、自分のようなトランスジェンダーばかりではないし広義のトランスの幅が広がるのなら必然的にシスの幅はそれだけ狭くなるだろうとも思うのでまあ…

偏見があるシスの人と対話する際、正論でこてんぱんにしてしまうと仲間になってはくれずそのままヘイターに転んでしまったりする難しさ、何かに似ている…と思ったけどポケモン?
論理的に相手の誤りを指摘してHPを減らしつつ絶妙なタイミングで救いの手(ボール)を投げることで仲間になるという…ポケモンと思えば面倒なやり取りも多少は楽しく(なりません)

先日足が大きい人のための靴屋に行く機会があった。身体に合う服や靴がないのはトランスあるあるだけど、そりゃシスの人も困る人は困るよな…と当たり前のことを再確認。
写真は27.5cmの女性用靴。店は新宿にあるので検索したら出てくると思う

スタバの新作タンブラー、そこはかとなくトランスカラーっぽくてかわいいな(水色の蓋と底面、ピンクのボディと飲み口など水色とピンクのカラーリングのタンブラー)

ヨシ・ミウラ さんがブースト

◇Twitterより転載します ↓

 必要なことは既にいろんなひとが言ってますが、LGBT法案の参考人招致でしんどくなった方、好みに合うなら気晴らしに使ってください。
・連載「生活するトランスジェンダー」x.gd/2DFFx 
 世界はちゃんと変えることができるという話をしています。

・コスモポリタンのインタビュー x.gd/b9vCk
 去年のプライド月間の記事です。

 あるいはwezzyや本屋lighthouseでやって頂いたイベントのアーカイブ(有料ですが…)もあります。まぁ個人的なお勧めは中島みゆきを聴くことですね… (吉野)

〈おまけ〉
 個人的中島みゆきガイド→私の人生のテーマとも言える「旅人のうた」は勿論、「瞬きもせず」「産声」「愛だけを残せ」「顔のない街の中で」などがお勧めです。優しさを求めるなら「泣きたい夜に」「蕎麦屋」、怒りを共有したいなら「童話」「WHY &NO」など。聴きたいけど音源がないというひとは、公式YouTubeでシンプルに「時代」をどうぞ!

こう見えて根が明るく社交的なので、トランスの人たち(+アライ)と飲み会などやりたい。自分は東京で皆さんはそれぞれ遠くにお住まいの雰囲気を感じているけど…

は?生きるが???と自分のプライドが沸き立つな。生きるが????

ノンバイナリーの宇多田ヒカルが「男も女もタフじゃなきゃね」と歌うとき(ノンバイナリーは当然タフですが…)というメッセージが隠れている可能性について。

面白がってる場合ではないのは百も承知だが、ジョークで中和しないとあまりにキツい。

「『性自認』だなんて自称すればそうなれると思ったら大間違い、本質は覆らない」
「そうですねぇ、あなたもその思想で『フェミニスト』を自称してるわけですしね」
(トランスジェンダージョーク)

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