僕らが学生や生徒だった時の方がよほど画一化した学校教育で、はみ出しものを許さない、工場生産のように判で押したような人間をどんどん作る世界だったのに、今の時代の方が没個性さでは当時より飛び抜けてる気がするのは僕だけかな。
突出した才能は今の方が出てきやすくなったとは思うんだけど、なんて言うのかなぁ、それも英才教育のスキルと環境が成熟したから出てき始めたって感じであって、なんというか、雑草が勝手にぐんぐん伸びて目を見張る大きさになったみたいな、そのバックグラウンドで、どこをどうしたらそんな発想できるのよ?と思わせるような異質な存在みたいなんは完全に出てこなくなったように思うんだが…

これがあれか。じじいが昔はよかったと言い始めるやつか…。いや、それだけとは違うと思うんだけどなー。

子供達の学校のクラスに数人必ず登校できない子供達がいたんですよね。小中高どの学年でも。うちの子達もその中に入ってた時期があります。娘1の中学の卒業式は通常登校できなかった子供達向けの校長室での第二部で参加しました。音楽の先生がオルガンを弾いてくれて、沢山の先生が同席してくれて、思いの外、心のこもった式に、私は大泣きしてしまいました。そういう不登校というものは、私の時代には特になかったように思います。それはどういう理由なのか、おそらく複数の理由があると思いますけど、画一化の強化も原因のひとつと感じます。

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ご自身の経験としてのお話、大変貴重です。ありがとうございます。
そうですね。不登校という状態にあった子たちは確実にいましたけど、当時は「不登校」という概念で彼らを認識し、それに向き合うということはなかったと思います。

そうなんですね。ずっと前から学校に行けない子達はいたんですね。私が気づかなかったんだと思います。世の中が多様化してるのに、学校は反対に画一化が進んでしまったんじゃないかと思ってます。中学の内申点なんてとてもとても自由に振る舞うことなどできないです。そのために先生の言うとおりのことをいかに確実にやるか、そんな制度になっています。

学校の中にだけ注目すれば、はみ出す子どもたちを自分の受け持ちから出してしまうと、先生の評価が下がるからだとか色々な点が見つかるように思えます。
また、それに従わなければ内申点に響くと脅された子どもたちは、はみ出ないことに能動的になるということだってあるかもしれませんね。

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