この文章、わたしは最初にみたとき終わりまで読み切ることができなかった。
心から書かれたものだとわかるので、ものすごくつらかった。
Sex work is Work を思うことは多いし、書いたこともある。
それはこの仕事について「愚かさや、家庭環境の悪さや、本人の怠惰やふしだらさの結果」とだけ捉えて軽んじる文脈に触れる機会の多さを反映していると思う。
このフレーズ自体がわたしの中にしっかりと根付いているわけではない。そのとき心に浮かんでいるのは単なる「は!?」でしかないから。その困惑と不服と抗議と疑問と……が混ざり合った「は!?」を、わたしでない人に少しでもわかる既存の言葉にする必要があって、Sex work is Work を使ってきたというか。
断る言葉を口にすることも許されず押さえつけられて、とかも、ある。はじめましてとしか喋っていないのに叩かれたこともあった。
でも、「(嫌なことを断れる)そんな人には会ったことがない」と言いきられてしまうと、胸がつぶれそうになる。
わたしが長いあいだ仕事にしていることは、同じように明日もすることは、このちっぽけな工夫や努力や苦悩や痛みや稀にある喜びなど関係なく全てただのレイプ被害である、と呼ばれることに耐えられない。レイプをされて飯を食っているあなたに人としての尊厳などあるはずがない、と言われるのは、本当につらいことだ。
わたしは自分の尊厳の存在を信じているし、それが世間のどんな声によっても揺らがないよう努めているつもりだが、それでもつらい。それだからつらい。
このことは、たとえばTwitterで書くような気にはとてもなれない。
「あなたの要領/店選び/運/コミュニケーション能力 が悪いせいでしょ」と言っているかのように受け取られれば、誰かのつらさをさらに抉るであろうことが予想できるからだ。
そして「あなたは恵まれているだけにすぎない、売春婦のくせにエリート気取りで真の被害者の口を塞ぐな」となれば、わたしが受けてきた被害とそれへの抗議は無きものにされてしまう。
そんな思いを、もう何度も何度もしてきた。
自分の尊厳をなかったことにされる感覚に震え、当事者の文章を直視できない当事者もいる——ということを、当事者や非当事者たちがどれだけ知るべきか? わからない。
黙っていて未来の自分が救われることもないが、かといって口を開いたからといって何になるのか。
セックスワークイズワーク、というのは決して泥水をキラキラと覆い隠す言葉ではなく、泥水をすすった結果吐き出された言葉だとわたしは思っている。なんの業界でもそうでしょうが、多種多様な味の泥水がある、ここには。
わたしの知っている最悪なことも、せめてもの抵抗も、稀にあるよさも、語ることができるとしてそれに適していると思える場所がいまはない。
それでも吐き出したいときはあって、今日はここに書いてしまったけど。