そんなわたしにだってもちろん、嫌なことや危ないからしたくないこと、できないことがたくさんある。断ったり、代替案を交渉したり、興味をそらせたり、あの手この手で回避しようと試み、上手くいくときといかないときがある。
鼻で笑われて失敗するときもあれば、拒否したことで客の征服欲に火がついたのか、これは黙っていた方がましだったかもしれないね〜と悔やみながら耐えるはめになることもある。
言葉であきらめる客も、にっこり笑っただけであきらめる客もいる。スタッフが介入してはじめて、自分の要求が不当だったとようやく認める者もいる。
(そしてネットに悪口を書かれる)
わたしの「嫌なこと」と相手の「したいこと」が元からまったくぶつからず問題が起こらないこともあれば、最初から求めてこない客も、もちろんいる。
後から細かく思い出せば言葉の上では図々しくねだっていたけれど、不思議とたいして腹も立たなかったし何もなかった、なんてこともある。
どうにもできず店に助けを求めたら乗り込んだスタッフにびびった客が窓から飛び降りようと……とかもある。
すべては複雑。
すべてはいろいろ。
何もかもがいろいろでしかなく、いろいろ過ぎる。この「いろいろ」の内訳がどんなものかも人によって大幅に差があるだろう、あたりまえに。
このことは、たとえばTwitterで書くような気にはとてもなれない。
「あなたの要領/店選び/運/コミュニケーション能力 が悪いせいでしょ」と言っているかのように受け取られれば、誰かのつらさをさらに抉るであろうことが予想できるからだ。
そして「あなたは恵まれているだけにすぎない、売春婦のくせにエリート気取りで真の被害者の口を塞ぐな」となれば、わたしが受けてきた被害とそれへの抗議は無きものにされてしまう。
そんな思いを、もう何度も何度もしてきた。
自分の尊厳をなかったことにされる感覚に震え、当事者の文章を直視できない当事者もいる——ということを、当事者や非当事者たちがどれだけ知るべきか? わからない。
黙っていて未来の自分が救われることもないが、かといって口を開いたからといって何になるのか。
セックスワークイズワーク、というのは決して泥水をキラキラと覆い隠す言葉ではなく、泥水をすすった結果吐き出された言葉だとわたしは思っている。なんの業界でもそうでしょうが、多種多様な味の泥水がある、ここには。
わたしの知っている最悪なことも、せめてもの抵抗も、稀にあるよさも、語ることができるとしてそれに適していると思える場所がいまはない。
それでも吐き出したいときはあって、今日はここに書いてしまったけど。
断る言葉を口にすることも許されず押さえつけられて、とかも、ある。はじめましてとしか喋っていないのに叩かれたこともあった。
でも、「(嫌なことを断れる)そんな人には会ったことがない」と言いきられてしまうと、胸がつぶれそうになる。
わたしが長いあいだ仕事にしていることは、同じように明日もすることは、このちっぽけな工夫や努力や苦悩や痛みや稀にある喜びなど関係なく全てただのレイプ被害である、と呼ばれることに耐えられない。レイプをされて飯を食っているあなたに人としての尊厳などあるはずがない、と言われるのは、本当につらいことだ。
わたしは自分の尊厳の存在を信じているし、それが世間のどんな声によっても揺らがないよう努めているつもりだが、それでもつらい。それだからつらい。