(続き)
僕はウィル・スミスがクリス・ロックを殴打した事を思い出した。日本では「どっちが悪いか」で話題になったが(ぜんじろうさんがYouTubeで詳しく解説されています)、アメリカでは「どっちもどっち論」に発展する事への危険性が指摘されていた。つまり、「これだから黒人は」というヘイトのネタにされる事への恐怖だ(日本でもよく「中国で起きた珍事件」が放送され、お笑い芸人が「中国のニュースでよく見るやつ」と平気で言うのがまさにそれ!)。
立民に泉健太が居座る限り、二度と「野党共闘」は成し得ないだろうが、それを見て「一番喜ぶのは誰か?」という事だけは心の中に留めておいて欲しい。
黒人同士の喧嘩に喜ぶのが「白人至上主義者」である様に、野党支持者同士のいがみ合いで喜ぶのは「自民党」だ。その事だけは忘れないで欲しい。
右翼というのは、常に「分断」を好むという事を。
https://news.livedoor.com/article/detail/21989108/
【「都議選後」について思った事】
『朝日新聞』の蓮舫さん叩きや、 立民の「反共」。自称・リベラルによる「俺たちはサヨクじゃない」アピールが、またぞろと湧き出した。一方で、共産・社民支持層からは「立民の恩知らず!」という怒りが噴出している(無論、僕もその一人だが)。
少なくとも、立民の代表があの泉健太である限り僕は立民を支える事は出来ないし、したくもない(れいわ新選組は、もはや参政党と区別がつかない)。恐らく「野党共闘」は実質瓦解したと僕は考える。
繰り返すが、僕は泉健太がいる限り二度と立民は支持しない。ただ、野党共闘が御破算になった事は、画期的に自民党を利する事だろう(「民民共闘」は自民党の補完勢力になる事を意味している)。
(続く)
オーバーツーリズムや円安を批判するとき、その言説がゼノフォビアやレイシズムに結び付かないよう意識する必要があります。
これは右派だけの問題ではないです。左派やリベラル層あるいは反差別を標榜している人さえ、この問題を批判する際に、外国人観光客を"公害"とみなして非人間化して責任を押し付ける「観光公害」などの言葉を使用し、かなりゼノフォビックな言説に乗っかっていることが確認されています。
日本にはすでに、外見や言語から"外国人"と判断されてしまう人種・民族的マイノリティの人々が多数在住しています。外国人観光客だけでなく、日本で暮らす人種・民族的マイノリティの人々もまた、オーバーツーリズムが起こした加害の被害者でもあります。
オーバーツーリズムは、観光客を呼んでおいて観光インフラの整備や街の福祉対策を怠った政府および為政者の問題です。批判する際には適切な言葉を選び、ゼノフォビア/レイシズムを加速させない、ヘイトクライムを起こさない、そうした意識がより一層必要になると考えています。
オーバーツーリズムへの批判がそのままゼノフォビアを加速させるのではないか、という懸念は私個人のこの10年間の体感によるものですが。
10年前(2014年頃)に中国景気を狙った日本側がインバウンド目的に中国人観光客を呼び込み、企業も春节フェア等で国ぐるみの「爆買い」ブームを起こした結果、反中ブームに火が付いたことを思い出しています。
店に「中国人お断り」の紙が貼られているとか、中国人だとみなした相手に店員が冷たい態度を取るとか、市民も街中で中国人観光客(と思われる人)を勝手に動画に撮って「迷惑だ」とネットにあげるとか、なんなら飲食店も中国人観光客の食べ物に何か入れて嫌がらせするとか、すでに中国人(や韓国人)に対しては起きまくっている加害です。
この十数年間で中国人観光客や韓国人観光客に対して行われてきた(そして手法が確立されてしまった)嫌がらせが、今後全ての外国人観光客にも適応されるだろうという懸念を私は持っています。ヘイトは対象が拡大されていくものなので、やはり「反中&嫌韓ブーム」を止められなかったことが大きいんだろうな、とも。
円安により「"外国人"から搾取される」という被害者意識が生まれており、それが日本全体ゼノフォビアをさらに加速させることを恐れています。
オーバーツーリズムの問題は解決されるべきですが、その批判は「円安を維持してインバウンドを狙う日本政府」に向けられるべきであって、「外国人観光客(と外見や言語から判断した相手)への加害」という形で表出されるべきではないです。今後さらにゼノフォビアが加速することを懸念しています。
この「可愛げ」とか、石丸伸二の「女、子ども」「頭をポンポンしてあげる」発言とか、もう本当に剥き出しだよな。コイツらをこのままのさばらせてはいけない。
From: @mmmh88
https://social.vivaldi.net/@mmmh88/112766264520181721 [参照]
蓮舫さんへの朝日新聞寄稿
「神経を鈍化して時には馬鹿になって生きなければならない社会人女性たちに寄り添うような可愛げはあまりなかった。」
寄稿者 鈴木 涼美作家
1983年 東京都出身
日経新聞都庁担当記者などを経て作家
https://x.com/take429869565/status/1811041834212405572?s=12
蓮舫さんへの中傷酷すぎ。可愛げってなんだよ。直球の女性差別じゃん。蓮舫さんの公約読んだら社会人女性たちに寄り添わないなんて思わないよ。むしろそこにスポット当てたじゃん。なんでこんな嘘書くの?
「生きづらさ」を感じている人が冷笑系に走る姿を、SNSをやってると可視化される。
かく言う僕も、20代の頃はゴリゴリの冷笑系だった。世の中を嘲笑うのは「快楽」だった。僕も、下手をすれば「後戻り」出来ないところまで行っていたかもしれない。
僕はどこで踏み止まれ、そして踵を返す事ができたのか?
それは僕が「出会ったもの」が関係していると思う。特に、たかしげ宙・皆川亮『スプリガン』。寺山修司『家出のすすめ』。大塚英志『サブカルチャー反戦論』。大槻ケンヂ『猫を背負って町を出ろ!』。筋肉少女帯『パレードの日、影男を秘かに消せ!』(作詞:大槻ケンヂ・作曲:内田雄一郎&筋肉少女帯)。パンクバンド特撮『5年後の世界』(作詞・作曲:NARASAKI・作詞:大槻ケンヂ)などの影響がとても大きい(あとは右翼とニセ科学が昔から嫌いというのもある)。
僕は「運が良かった」だけなのかも知れない。少なくとも「出会ったものに救われた」事は書き記しておきたい。
「どうせ自分は…」という言葉を直接には言わないまま、しかし心の中では延々と「どうせ自分は…」が止まらないし止められない人がいる。そこには「自分は特別であるはずなのに」という前提が潜んでおり、「どうせ自分は」という言葉によって、特別扱いされる期待を閉じ込めておこうとしてるようにみえる。
そして閉じ込められた『期待』は鬱屈する。誰かのことを特別扱いする世界などどこにもないのに、世界は平等に残酷であるのに、「どうせ自分は…」という言葉には『自分を特別扱いしてくれる世界がある』と信じている心理を薄ら感じる。そんな世界はないのに、『自分を特別扱いしてくれる世界はない』という現実を受け入れない。「どうせ自分なんか…」という自分落としや自虐言動は自分を現実から欺く儀式なんだと思う。
その儀式と鬱屈と自己欺瞞は『過大評価するか過小評価するか』その二極化しかもたない思考であり、自分を扱うのと同じように世界のことも二極化してしまう。善である悪であるか、生か死か。つまるところ「善き世界には生を、悪き世界には死を」そうした極端な排除性を自分と世界に向け放っている。
そこにテロリズムを感じる。
My fiancée called me, she is full of fear after their area was threatened for evacuation. They had to move again under bombardment, this is not the first time! they’ve been displaced many times before, just like me in the south of the Gaza Strip. There's no safe place... 😞
we just comfort each other with some words every time by mobile calls....
How long will this suffering last..? What did we do to deserve this?
#Gaza #ceasefirenow #freepalestine #genocide
ですね。某浪速大学物理教授のキクマロなんかがそれの典型ですね。
@paulmynci_1 まさに隙間狙いなんでしょうね~。共通項は反共というだけで
@paulmynci_1 @akamujina 「自民党は支持したくないけど私は現実見えてますから、あっでも維新みたいなオラオラはNGで」みたいなメガネ系中二男子ぽさの補完勢力なんでしょうかね
護憲派。発達障害(ASD)。うつ病。ノンバイナリー。
They/Them
時々休みます。
筋肉少女帯・人間椅子が好きです。