https://rissho.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=10401&file_id=20&file_no=1 この論考、どうにも論旨全体の整合性が私にはよく判らない。「回顧と展望」で取り上げられていないようにも思うが、どうか。東アジアは特殊な地域で、自由貿易帝国主義論を適用できないと述べられるのだが、そうか? 小風秀雅「不平等条約体制の再検討 ―成立から強化へ―」(2020)
矢田次男の評伝を誰かジャーナリストが手がけないかな。ヨイショ的な記事としては、これなど。 https://legal-agent.jp/attorneys/humanhistory/humanhistory_vol10/
以前に、学会の編集担当委員だった某研究者が、東浩紀の読者だということがあって、へえそうなのかと思い、「ではデリダも読んでるんですか?」と問い訊ねたところ、「いえ」と別段、にべも無い様子だった、ということがあった。私はここに、たとえ人文系の研究者であっても、デリダの哲学的言説には何ら興味はないがアズマンのファンである、という存在を眼の前にしていたことを、なぜか想起するのである。
町触ひとつ読ませるのも、いまとなっては結構大変なことなんだな…
https://twitter.com/hazuma/status/1674814948588011520?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w 歴史屋ならば、「暴動の歴史はどういうものであったか」との問いをたちどころに立てるであろう。暴動に臨む際にも、ひとは「歴史している」のであり、何らかの歴史的経験を参照しているのである。その意味で、それは歴史実践でもあるといえよう。
https://twitter.com/accentdeverite/status/1672777836904747009?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w やっぱお仏蘭西なの? こういう無関心なのには、徴候的なものがあろうか。ちょいと調べりゃいいだけのことなのに。