矢田次男の評伝を誰かジャーナリストが手がけないかな。ヨイショ的な記事としては、これなど。 https://legal-agent.jp/attorneys/humanhistory/humanhistory_vol10/
以前に、学会の編集担当委員だった某研究者が、東浩紀の読者だということがあって、へえそうなのかと思い、「ではデリダも読んでるんですか?」と問い訊ねたところ、「いえ」と別段、にべも無い様子だった、ということがあった。私はここに、たとえ人文系の研究者であっても、デリダの哲学的言説には何ら興味はないがアズマンのファンである、という存在を眼の前にしていたことを、なぜか想起するのである。
町触ひとつ読ませるのも、いまとなっては結構大変なことなんだな…
https://twitter.com/hazuma/status/1674814948588011520?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w 歴史屋ならば、「暴動の歴史はどういうものであったか」との問いをたちどころに立てるであろう。暴動に臨む際にも、ひとは「歴史している」のであり、何らかの歴史的経験を参照しているのである。その意味で、それは歴史実践でもあるといえよう。
https://twitter.com/accentdeverite/status/1672777836904747009?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w やっぱお仏蘭西なの? こういう無関心なのには、徴候的なものがあろうか。ちょいと調べりゃいいだけのことなのに。
https://twitter.com/gweoipfsd/status/1671936060207824896?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w こういうひとが、大学にかかわっていて、しかもそこでのウリがコンテンツのアーカイブ化であったりして、たとえこちらが普通のアーカイバルコントロールとは無縁だったとしても、本当に困ったものである。
https://twitter.com/hazuma/status/1672158339818717184?s=46&t=CIfOA3K9uFAkIdRcurcL_w 政治にそういう面はあるだろうが、アズマンがこう述べると反革命としか思えないし、実際そうでしょ。