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twitter.com/hazuma/status/1671 「こういうことなのですw」じゃねえだろ…。まったく歴史上の事実に関心がないことが、よくわかる投稿。

松里公孝は過去に、歴研には書評を一本だけ載せていた。2008年11月号。

いわゆるミクロストリアも、英語圏で引かれる時には、ギアーツ、デイヴィス、ダーントン、ルロワラデュリらと列記される扱いに成り果ててしまうらしく、何だかつまらない。

subject position という用語は主体位置と訳すようだが、この「主体位置」をあくまで主観的には否認したい、という欲望の所在が認められるのはやはり、非常に興味深いことであろう。

また引用元のやつはこちらの意味を読み違えてるな(いつもだけれども)。おれが入ってる歴研の運営とかでは、研究者対等原則を尊重して日頃からお互いに「先生」呼ばわりを禁じてるんだよ。むしろ「センセイ」を蔑称として受け取る会員さえいるぐらいなんで、そんな学会で先生と呼ばれて嬉しいわけがないわい。この原則を揶揄する研究者からは言葉狩りだと糾弾されることもあるぐらいだ。しかしこう書いてもどうせ読まないしな、あいつは。

渡辺浩氏には、これまで文書館を使っての仕事はまったく無かったと記憶するのだが…。

明治維新革命説、この「革命」を主張する論者たちは、明治維新が「ついに文書館をつくり出さなかった」変革であったことを直視すべきではないのか。

ちなみに私は、幕藩制は集権的に編成された国家による支配体制だと考えている。断じて連邦国家ではない。

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これは学問的にも良くない影響があって、現代に維新シンボルと分権改革とを同時に掲げるという、一見してよくわからない勢力が厳存するために、明治維新は中央集権を実現した革命でありそれ以前は幕藩の連邦だった!などと近代史家が強調する仕儀と相なっている。この点を強調せざるを得ない、ということなのであろう。

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明治維新の大目標は中央集権化だったとみなされるのだから、現在新たに分権の改革を目標に掲げる政党には、何ら共通点がないはずである。またそもそも、明治維新は「改革」ではないはずで、となると、「日本封建の会」などの名称のほうが、より実情にマッチしているのではないか。

twitter.com/MotomuraJp/status/ 「比較」するだけなら、それも自由なわけである。どんな成果に基づいて述べられるのかは、知らないが。

books.bunshun.jp/ud/book/num/9 「若手プロジェクト」発を謳う、今こそ読まれるべき経産省本。「みなさんの意見は、要は高齢者に金をやるなということですね」といった調子で、東浩紀氏もネオリベ全開で明け透けに語っておられる。須賀千鶴さんも、若手官僚として書き手に加わっている。

ギャンブルと反共と天下りの結集体から高等教育を云々した挙句に、「既得権益」呼ばわり。本邦のネオリベの真髄、ここに極まれり。

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カドカワ五輪の不祥事犯罪のごく近傍にあっても教育を云々するとは、大した度胸であろう。

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公園を時限で貸し切りにできる、という手続きについてよく知らなかったが、そもそもその場合の公共性についてどう評価したらよいのか。

「幸せな江戸像」(岩淵令治)。「江戸はしあわせでいいじゃないか」というかたの御意見に対し、どのように向かい合うべきか。新刊の『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』などを参考にしながら、今後とも考えてゆきたい。

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