カーティス・メイフィールドが神はいる,いるけれども何もしないと言っていた,或いは歌っていたのか,その記事或いは歌詞を見てみたいです。

寒さはいつまで続くのやら..3/30真夜中に13℃とな..何なんでしょうかね..例年こんなもんでしたっけ?でも..ひと月後の連休が終わったあとにはもう暑くなっているという..20℃前後で推移してくれよ..お願いしますよ。

ヨーグルト400グラムとジャガイモを主食としてその2種目のみで10日間程の日数を目まい或いは身体のフラつきなどといった小さな身体性のストレス無くしてやり過ごすことは可能なのだろうか?これは...とても興味があるテーマなのです。ビタミンCはジャガイモから摂取出来ると考えてあとは...蛋白質なのですがヨーグルトはホェイプロテインであるという認識で考えると充分に10日間くらいは目眩などなく過ごせると思うのです。勿論プロテインに含まれている各種ビタミン類などはヨーグルトには備わってはいないのですがそれに関してはそれ程に懸念すべき事柄では無いのだと思うのです。そう...10日間やり過ごせればよいだけなのです...なにも半年それで過ごすわけでもないのだし大丈夫で有ろう。

ツイッターよりもマストドン..そうこちらの方が静かで落ち着きます。駄文を書き散らかしてやろう。Let me Do do it! といった気持ちなのです。

フランス映画フェリチタ!DVD購入して見たいのですが悲しきかなフランスからの取り寄せ以外に購入方法無いようだ。日本のアマゾンでポチってフランスからの届けを待つという形式。日本国内で販売してくれろフェリチタ!のDVDを。プリーズ、ビッテ、シルブプレ!

公園から眺めている夜空の星がチラホラ目視出来ますが眺められているだけでも有り難いものだと思わねばならないよと神なる存在かそれに類する大きな何者かに諭されているような気がします。私を含めた業の深い80億近い人類。

ライナーマリアフォンリルケという名のプラハ出身の詩人は彼の作品"マルテの手記"によってマルテラウリスブリッケに作家自身を投影してパリの街を彷徨わせています。リュクサンブール公園、パリ国立図書館等さまざまな場所に気の向くままに訪れ詩人としての最も高い資質と云える能力"voir"を遺憾無く発揮してその場所を時間の流れから開放というか閉じ込め結晶化させていきます。リュクサンブール公園を100人が訪れたとしてマルテそう彼ほどにはこころに響く心象風景を紡げる人間はいない..のではと思うのです。例えば..目の前に存在している果物オレンジ1つから感嘆するような言葉を紡ぎ出していく人間という存在が少なからずいるわけです。Da sein.
コップ1つあれば哲学を論じることが俺には可能だとジャンポールサルトルは控え目にしかし毅然と云い切ったと何かの本で読んだ記憶があります。

スレッドを表示

言語性優位さでは他者に全く引けを取らない短気で喧嘩早いが別の角度から光を当てれば一本気であるとも言えるあのフランス人である詩人がジプチやアデンのような場所でコーヒーを商っている商店に潜り込んだり銃器を右から左へ流す片棒を担いだりして何とか這々の体である意味綱渡りな状態の中、日々をやり過ごしていた..

スレッドを表示

自分はフランス人である詩人アルチュールランボーが母国を遠く離れアラビア半島という民族風習生活様式など全てに於いて異なると云える土地で悪戦苦闘しながらも日々をやり過ごしていた期間に最も興味があります。

"Que verrez-vous de plus? Venez..
-Il faut attendre.
-Attendre quoi?
-La fin."
Ils voulaiant attendre l'heure où Dieu se fatiguerait de sa folie.Il se repent vite, il est avare.

自由平等博愛...偽善であろうと無かろうとこういった理念の根を一度根絶やしにしてしまうと取り返しがつかないと思うのですが間違いではなかろう。偽善にも数パーセントの善が含有されていると考えれる人々は聡明である。リベルテ..エガリテ..フラタニテ..

クスノキに鳥達🐦の鳴き声。とても豊かな時間でした。

エース、少しでも動いたら俺はお前を撃つぞ。神に誓ってでも撃つ。

I swear to God.これを音読するとアイスウェァトゥガッですかね。歯切れがよく格好良いですね。韻を踏んでいるとは違うのだろうが音楽的な言葉の並びかと思える。アイスウェァトゥガッ!

スレッドを表示

まぁ聞けよ、てめぇの足を撃っちまわねぇうちにそいつを降ろしたほうがいいぜ。ウッドチャックを撃ってもしょうがねぇだろ、な?

エースメリルが悪党であることは確かではあるが静かな微笑みを誘発させるある種のユーモアセンスを有していることもこれまた確かであろう。

スレッドを表示

上記の文章はスティーブンキング/恐怖の四季秋冬編に収録されている作品the bodyという中編小説からの引用です。この作品はロブ・ライナー監督により映画化され映画作品のタイトルはスタンドバイミーと云います。

スレッドを表示

"Now listen," Ace said."You better put that down before you take your foot off with it.You ain't got the sack to shoot a woodchuck."

"Ace, if you don't stand still I'm going to shoot you.I swear to God."

蜜三郎に対して鷹四が俺の片目をお前にやると提言しそれに対しての蜜の返答から繰り広げられていくあのあたりの箇所はその後の陰惨極まる展開に繋がっていくのですがなんだろ物語全編通しての通奏低音基調としては四国の森を舞台にした愚かさに満ち溢れた愛すべき魂達のロードムービーみたいに思える。

スレッドを表示

大江健三郎氏の作品
万延元年のフットボールと燃え上がる緑の木比べるとそうホントに単純に比較すると万延元年の方が人間の愚かさ等が陰惨な形では無く比較的カラッと描かれているように思えそれ故に好きかなぁ。さぁシトロエンに乗って出発だ!とか鶏を数千羽も破棄せねばならなくなった際に固形スープでも作るかね?などというクスッと微笑みを誘発するある意味愚かかもしれませんが別の角度から光を当てれば心優しきユーモアとでもいいますかこの辺りのセンスオブユーモアが燃え上がる緑の木の場合少ないように感じてしまう。有るにはあるのだろうけど何というか陰惨な感じ。燃え上がる緑の木は迷える魂をより善き方向へガイダンスする指南書といった感が強すぎて読んでるとググーっと鉛のような何かが意識の底の方に沈殿していく気持ちになるのです。素晴らしい作品ではありますがデイリーユースとしての読み物としてはちと重いヘビーかなぁといったところです。

Je pose le chien à terre, pour m'assurer, à tâtons, de l'emplacement de l'echelle et, en embrassant les ténèbres où je l'ai abandonné , je retrouve le chien entre mes bras.Je souris inconsciemment, mais mon sourire s'éteint.

Kenzaburô Oé / Le Jeu du siècle

いったん犬を降ろし、手さぐりして梯子の位置を確かめ、それから犬を降ろした場所の暗闇をだきかかえると、もとどおりそこにすっぽりと犬がつまっている。微笑せずにはいられないが、持続する微笑ではない。

Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。