ヨーグルト400グラムとジャガイモを主食としてその2種目のみで10日間程の日数を目まい或いは身体のフラつきなどといった小さな身体性のストレス無くしてやり過ごすことは可能なのだろうか?これは...とても興味があるテーマなのです。ビタミンCはジャガイモから摂取出来ると考えてあとは...蛋白質なのですがヨーグルトはホェイプロテインであるという認識で考えると充分に10日間くらいは目眩などなく過ごせると思うのです。勿論プロテインに含まれている各種ビタミン類などはヨーグルトには備わってはいないのですがそれに関してはそれ程に懸念すべき事柄では無いのだと思うのです。そう...10日間やり過ごせればよいだけなのです...なにも半年それで過ごすわけでもないのだし大丈夫で有ろう。
ライナーマリアフォンリルケという名のプラハ出身の詩人は彼の作品"マルテの手記"によってマルテラウリスブリッケに作家自身を投影してパリの街を彷徨わせています。リュクサンブール公園、パリ国立図書館等さまざまな場所に気の向くままに訪れ詩人としての最も高い資質と云える能力"voir"を遺憾無く発揮してその場所を時間の流れから開放というか閉じ込め結晶化させていきます。リュクサンブール公園を100人が訪れたとしてマルテそう彼ほどにはこころに響く心象風景を紡げる人間はいない..のではと思うのです。例えば..目の前に存在している果物オレンジ1つから感嘆するような言葉を紡ぎ出していく人間という存在が少なからずいるわけです。Da sein.
コップ1つあれば哲学を論じることが俺には可能だとジャンポールサルトルは控え目にしかし毅然と云い切ったと何かの本で読んだ記憶があります。
自分はフランス人である詩人アルチュールランボーが母国を遠く離れアラビア半島という民族風習生活様式など全てに於いて異なると云える土地で悪戦苦闘しながらも日々をやり過ごしていた期間に最も興味があります。
"Now listen," Ace said."You better put that down before you take your foot off with it.You ain't got the sack to shoot a woodchuck."
"Ace, if you don't stand still I'm going to shoot you.I swear to God."
大江健三郎氏の作品
万延元年のフットボールと燃え上がる緑の木比べるとそうホントに単純に比較すると万延元年の方が人間の愚かさ等が陰惨な形では無く比較的カラッと描かれているように思えそれ故に好きかなぁ。さぁシトロエンに乗って出発だ!とか鶏を数千羽も破棄せねばならなくなった際に固形スープでも作るかね?などというクスッと微笑みを誘発するある意味愚かかもしれませんが別の角度から光を当てれば心優しきユーモアとでもいいますかこの辺りのセンスオブユーモアが燃え上がる緑の木の場合少ないように感じてしまう。有るにはあるのだろうけど何というか陰惨な感じ。燃え上がる緑の木は迷える魂をより善き方向へガイダンスする指南書といった感が強すぎて読んでるとググーっと鉛のような何かが意識の底の方に沈殿していく気持ちになるのです。素晴らしい作品ではありますがデイリーユースとしての読み物としてはちと重いヘビーかなぁといったところです。
Je pose le chien à terre, pour m'assurer, à tâtons, de l'emplacement de l'echelle et, en embrassant les ténèbres où je l'ai abandonné , je retrouve le chien entre mes bras.Je souris inconsciemment, mais mon sourire s'éteint.
Kenzaburô Oé / Le Jeu du siècle
いったん犬を降ろし、手さぐりして梯子の位置を確かめ、それから犬を降ろした場所の暗闇をだきかかえると、もとどおりそこにすっぽりと犬がつまっている。微笑せずにはいられないが、持続する微笑ではない。
私という人間はフランツカフカ、リルケ、大江健三郎、サンテックス等の作家、詩人達が紡ぎ出した言葉から影響を受けている存在と云えるかもしれません。言い切れない気持ちの弱さ。考えることが好きです。仲良くしてやって下さい。