自分はフランス人である詩人アルチュールランボーが母国を遠く離れアラビア半島という民族風習生活様式など全てに於いて異なると云える土地で悪戦苦闘しながらも日々をやり過ごしていた期間に最も興味があります。
ライナーマリアフォンリルケという名のプラハ出身の詩人は彼の作品"マルテの手記"によってマルテラウリスブリッケに作家自身を投影してパリの街を彷徨わせています。リュクサンブール公園、パリ国立図書館等さまざまな場所に気の向くままに訪れ詩人としての最も高い資質と云える能力"voir"を遺憾無く発揮してその場所を時間の流れから開放というか閉じ込め結晶化させていきます。リュクサンブール公園を100人が訪れたとしてマルテそう彼ほどにはこころに響く心象風景を紡げる人間はいない..のではと思うのです。例えば..目の前に存在している果物オレンジ1つから感嘆するような言葉を紡ぎ出していく人間という存在が少なからずいるわけです。Da sein.
コップ1つあれば哲学を論じることが俺には可能だとジャンポールサルトルは控え目にしかし毅然と云い切ったと何かの本で読んだ記憶があります。
言語性優位さでは他者に全く引けを取らない短気で喧嘩早いが別の角度から光を当てれば一本気であるとも言えるあのフランス人である詩人がジプチやアデンのような場所でコーヒーを商っている商店に潜り込んだり銃器を右から左へ流す片棒を担いだりして何とか這々の体である意味綱渡りな状態の中、日々をやり過ごしていた..