リーガルリリーの「天使と悪魔」を聴いていて唐突に思い出したけど、ある人の差別発言に対して「まったく理解できない」って言った友人がいたけど、いまの優勢ってそんな感じだよなあ。道徳的な規範から善悪を判断するという。
どんな価値観や出来事にも背景がありコンテクストがある——たとえホロコーストのような「悪」にも。自分の立場を離れて物事の複雑性をとらえること。そうでなければ、「正しさ」どうしの戦争になるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=B7mPgrUXE6M
エミリー・ディキンソンの「わたしは「美」のために死んだ――が」は、パノフスキーが述べた美術史の課題——「ほおっておけばうずもれたままでいるものに生命を与えること」——と響き合っているように思う。
墓のなかで、一方は美のために死に、他方は真実のために死んだふたりが、「やがて苔が唇にせまり」「わたしたちの名を」「おおいつくすまで」語り合う。
これは芸術の譬喩だと言えなくもない。芸術作品は作者が死んだあとも生き続ける。すなわち「死後の生」を生きる。だがそれは「語られる」限りでのことだ。語りが止んだ瞬間、「苔が唇にせまりおおいつく」された瞬間、作品は死ぬ。だから、作品について語ること——批評——は、作品に生を与えること、墓の中で誰に聞かれることなく発し続けている沈黙の言葉を聴取することである。
いいじゃないか。女性ボーカルが「ぼくの歌」を歌う。
【準グランプリ】県立上鶴間高等学校 TRE@SON|第11回全国高等学校軽音楽コンテスト
https://www.youtube.com/watch?v=Lj7i9cTzICs&ab_channel=αUlivechannel
「あなたはプレイヤーでしょ、諦めんなよ(修造)」という宮下修造の言葉、心に刻もう。
美術史をやっています