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子供の頃は米穀通帳がまだ存在し、制度が廃止された後のことなのかもしれないが、それは何か母に聞いた遠い記憶はある。米穀通帳がないと米屋から米を買えない。しかしスーパーマーケットからは買うことができる。そういう時代もあった。

実家近所の手癖のわるい、何回もシケた窃盗で捕まってるジジイの家に救急車とパトカーとが来て、それ以来、ジジイを見た者はいないが、生死がわからない。また警察がしょっぴきに行ったところ、病気で倒れてたので救急車を呼んだということもありそう。

しかし、救急車が先に来たらしいこと、警察はそんなに長時間しなかったらしいことから、やはり死んだだろう。もはや、生死さえ確認する術がない。

北方でハイセツといえば、トイレではなく、事業所などで除雪の際に雪をトラックに載せて運び出して海や空き地に捨てることを指すのだが、慣れない人間がレンタカーでトラックを運転してそれをやるとたまに海に落ちる。防寒着で着膨れし、運転台に閉じ込められ、水温は限りなく低い条件では、水泳の達人であろうと助からない。常に死が身近にある。

船の理髪、電気バリカンがあって、適当な頃合に互いにボンズにしあってる図しかしらない。

人口減少が極まってくると、人間をなるべく集住させて、そこに必要な施設もまとめて管理するインフラを絞り込むしかないみたいな話になるが、その際は野生動物から生活圏を守るために居住地を塀で囲って、鉄砲撃ちからなる自警団を組織ことになるのだろうか。しかし畑や牧草地全体を囲うわけにはいかないだろうし。

職業であれ、人物像であれ、自分が未来においてどうなる、どうする、などと考えたことは青少年の日においてもろくになかったような。ゆえに進路選択も法、経済、経営、社会、政経、総政、文とあらゆる学部を受けてたまたま受かった中でいちばん偏差値の高い中大法学部に入っただけであり、入ってからも酒を飲んで徒党を組んでアニメゲームや武道の稽古や山登りをするに終始していた。これからもそんなふうに雑に過ごしていくのだろう。

除雪については、ガスバーナーで溶かせばいいんじゃないのかと安易に想像した幼き日もあったが、しかし積雪に付着したゴミが焦げつつ表面が薄く溶解するだけで程度で簡単には溶けないのではあった。むしろ表面がなめらかな氷として再凍結して強固な固まりになりそう。

最近は昼飯時に鄧小平の伝記を読んで革命と党内総務に思いを馳せている。

在外公館からの連絡、携帯電話にメールが来たときは、携帯電話は地元で買ったNokiaかSamsungだったので(スマートフォンではない)、日本語で送られたメールは固有名詞のアルファベットと数字以外は一文字も表示されなかった記憶が。

実家近所の、他人のホームタンクから灯油を少し抜いたり、他人の物置をまさぐって田舎によくある物置設置の冷凍庫から食料をくすねたりしていた何度もシケた窃盗で捕まってるジジイの家に、パトカーと救急車が来ていたそうな。パトカーと救急車とが同時に来て、かつ、なんら騒ぎも起きてないとなると、多分死んでから発見されたのだろう。天涯孤独なので死亡広告もでないので、実際のところはまだわからないが。

イギリス煙草といえば、黒地にドクロが描かれた「ブラックデス」を思い出す。健康への悪影響の警告どころではない諧謔というか。

実家の庭に毎年生えてきた大きな白いキノコや小さな群生する赤っぽいキノコは、食ったら死ぬんだろうか。大きな白キノコは、父から子供の体格に合っているからとあてがわれた女性向けの短めのゴルフクラブのウッドで粉砕して楽しんでいたが。

亜麻仁油、勝手に火を噴くイメージしかない。いくつも条件が重ならないとそうはならんらしいが、しかし油断するとやばいという。

なんかの小説で、部屋にドライアイスを投げ込まれて二酸化炭素中毒死しかけるものがあったような。新聞受けかそのへんからねじ込める量で、狭くとも一部屋に稀釈されるとそれほどにはならない気はするが。

近年のノートパソコンは整備性がわるいものが少なくなく、廃棄の際に破壊するにしてもHDDやSSDを取り出しにくいことが増えてきた。どうしても売却なり返還なりしなければならないこともあるだろう。そういうとき、どの程度の処置をすればいいんだろうか。まあコストをかけて復元される動機を持つ相手がいるかどうかだが。

ハードディスクを捨てるときは、乱数上書き何回かしてから、コネクターの金属部分を破壊して接着剤で埋めて、形が見えないようにしてから自治体のゴミ回収に出すぐらいでもう、素人の品をどうこうされるリスクはあんまりない気はする。

果たしてesalate to de-escalateって卑近な人間同士のいざこざにも応用できるのかどうか最近気になっている。そもそも国家間においても有効なのかどうかは、まだ、誰もわからないが……。

敬老の日、父母は私が敬老を祝って喜ぶだろうか。祖父は喜寿を迎えても「敬老の日は年寄りの日だ!(=俺は年寄りではない)」と怒ったものだったが。

人間同士の争い、あまりの人間の数に紛れる大都会でもない地方都市かそれ以下の田舎で、今後自分も相手も遠方に移転する見込みもない場合は、殺せるわけでなく、決定的な決着もない以上、それなりに安定した膠着状態を保つしかないことはわかってきた。やはり核戦略と大してかわらなさそうな。

「訴えてやる」などと迂闊に口にしない人間同士が、相手に合法的に不利益を与える手札を用意して交渉する有り様、年齢に応じて観測することはある。手札を示唆しないと圧力にならず、かといって手の内を晒すと対策され、相手の手札で困るか困らない自体も欺瞞を含めて小出しにするという腹芸、何かに似ていると思ったが、核戦略か。

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