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私はそのように人を呼ぶのも、呼ばれるのを恐れて振る舞いを変えるのも好まないので、奔放に振る舞ってきたが(でなければ、ロシア語をやったりしない)。結果、異常者ぶりが板に付いてきた気がしないでもない。

物事を錯誤しているという意味にすぎない「勘違い」が、「自分が大したことない、あるいは劣っているのにもかかわらず、自分をsomethingだと錯誤している」という含意がいつの頃から当たり前に帯びるようになったのかはわからない。少なくとも私が20代だった2000年代にはすでに「あいつはカンチガイだ」みたいな言い回しをよくなされていた記憶はある。そして人々はそう言われるのを極度におそれて、左右に合わせ突出を恐れてもいたような。

確定申告を終えるなど悪の限りを行った。

配偶者のつくる弁当を毎昼食う暮らしの到来は、以前は想像もしなかった。灰色の合成肉のキューブとサッカリンの錠剤と油くさいジンと下に向けると刻み葉がこぼれる紙巻きタバコをブリキのプレートに載せられる昼食風景は何度も想像していたのだが。

先人のいうところによると、40代のうちに感じ始める不調は、まだまだ序の口という話ではありそう。

私も、自然死に向かう足音を感じ始め、社会的経済的にもこれ以上の発展はまず望めず凋落のリスクばかり気になる、いわゆる中年期の危機の頃合いとなってきた。
もし、実家に転がり込んでそのまま再起できずに何もできず今の年齢までくるルートを辿っていたら、やはり身体が動くうち、手元に小銭のあるうちに世間に目にもの見せてやろうと、なんかバカなことをしたんだろうか。した気がかなりする。

大量動員するなら、指導役の質を確保するのが著しく困難なのは想像に難くない。

むしろ田舎の少年スポーツ団体に近いものになるかもしれない。土地のなにやってるかよくわからないが野球には一家言ある異常者が、高校時代に田舎の大したことない野球部員だった程度の昔取った杵柄で、若い者を相手に講釈たれて、若い者が自分の話に傾聴する快楽に酔い、若い者が自分の思い通りに動く快楽に酔い、おかしくなっていくという。

もし広く人間を動員して郷土防衛みたいなことを組織するとしたら、都市市民や若年層に蛇蝎のように思われている町内会や消防団のようなものになる気しかしない。詰め所に旧式小銃を備えて、たまに若い衆を集めて訓練するも、古参が他者を支配する快楽、他者を動かす快楽に酔いしれて歪なものとなり、そしてそれ以上に、酒を飲んでくだらない話に付き合う時間を多く取られる。そういう図しか想像できない。

職場で酒、気がついたら湯呑みで茶ならぬ酒を飲んでいたおじさんは32才で死んだので、長生きしなさそう。

はじめて買ったPCのCPUはインテルの386SX/16MHzとNECのV30だったけれど、CPUとして単体で買ってマザーボードに差し込んだのはCoppermineのCeleron1GHzかSpitfireのDuron850MHzだったはず。

子は生すつもりではあるが(出来るかは知らんが)、しかし私は自分の社会的経済的状況や心身の健康、そして社会情勢の見通しについてかなり悲観的に捉えてもいる。それでも尚、子を生そうというのは無思慮なのか、死ぬ前に何か残したいという願望なのか。どちらにせよ無思慮でなければ子など生せん。無思慮なので。

利尻礼文といえば、荒巻義雄のニセコ要塞。

異常者のふりをしているうちに異常者ぶりが板に付くのはありそうな話ではある。が、穏当であろう真っ当であろうとするあまり、突出を恐れ差異を拒絶して周囲と合わせようとしても、周囲が異常者ばかりで、その異常な発想や習慣を追認している可能性もまた常にあるのもまた。

漫画『風の谷のナウシカ』、非業の死が避けられないとしても、先手を打って死ぬことはない、ということなんだろうけれど、それ自体なかなかの胆力だし、ましてや終焉を知っているのは自分だけで、それを秘匿しつづけるともなると。

個人的にはそれも含めて、若き日においては面白おかしく過ごしたという記憶しかないし、特に若き日の所行をどうすればよかったというのはないのではある。むしろサツの世話にならず、非業の死を遂げず、まあ無事に中年期を迎えられただけでも奇跡というものではある。

運動部で、事実上のカツアゲをする不良上級生の追放を主張したら、OBにリンチされ、漫画みたいに顔面は変色し、割ったガラス器で切りつけられまでしたことがあるが、私個人もまた、個人を憎むことはあっても、外部機関の裁きを受けさせようなどという発想はまったくなかった。部を守ることが私個人の発想としても何よりも優先された。それがよかったかどうかはいまもわからない。

20年も前だと、過重労働や未払時間外手当について主張する労働者がいたものなら、理不尽に過剰適応した同じ労働者層から四方八方から叩かれたもんだが、しかし気がついたら法令もその運用も大きく変わり、労使問わず人間の見解もだいぶ変わってきたように思う(変わってないやつもたくさんいるにせよ)。まあ10年先20年先の世論、人間の皮膚感覚はどうなっているかはわからないものだ。今日の理不尽が未来にどうなっているかについては、期待もできるし恐ろしくもある。

社会性、社交性、人付き合い、縁があったことのないことばだ。

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