自分の作った料理を自分で作ることなく買いたい
「あるものが美しいかを否かを判別するために、われわれは表象を認識のために悟性を介して客観に関係づけるのではなく、構想力(おそらくそれは悟性と結びついている)を通して主観に、かつ主観の快不快の感情に関係づける。したがって、趣味判断は認識判断ではない、それゆえに論理的ではなく美的である。この語の下に我々はその規定根拠が専ら主観的でしかありえない判断を理解する。しかし、表象のあらゆる関係は、感覚の関係ですら、客観的であり得る(そして、その場合この関係は経験的表象の実在的なものを意味する)のであって、ただ快不快の感情への関係のみが客観的ではない。この関係によっては客観における何ものも表示されず、主観はこの関係において、表象によって触発されるがままに、自己自身を感受する」(V, 203-204)。
ジジェクが言うまでもなく今日のパレスチナ情勢を見てヨーロッパ的理念が限界に来てるなんてことは分かり切っているわけで、じゃあそこを切り捨てればいいかといえばそんなはずはなく、なぜそうなるのか、どうすればいいのかを考える他ないんじゃないか
ほっとするような微笑みを 心を包み込む海のような言葉を