大阪での #わたしのからだデモ のバーヌさんのスピーチ。とても良かった。
https://note.com/onnahafumuslima/n/n1dccd83f85a8?rt=email&sub_rt=daily_report_followee_notes
これかー。
さながらデモのように、集まり、鑑賞し、この現実の厳しさやそれぞれが抱えているしんどさにやられすぎないようにする場所になるといいなと思っています。(引用)
「やられすぎないようにする場」での芸術の抵抗って抵抗なのかな。
https://haps-kyoto.com/w_inter2024/
…(つづき)
SRHRは、私たちひとりひとりが、私の身体を生きていくために必要なものです。
でも、ひとりひとりの置かれた状況は同じではない。
同じではないからこそ、違いを知り、ともに抗いましょう。
産む権利も、産まない権利も、安全に子育てをする権利も、すべてを求めていきましょう。
自分の性を生きること、性の在りかたに口出しされないこと、すべてを求めていきましょう。
SRHRは、全ての人のためのものです。SRHR for ALL。
そのためには、女性差別をなくすだけでなく、優生思想も、外国人差別も、沖縄への差別も、部落差別も、LGBTの人々への差別も、そして子どもの貧困も大人の貧困も、なくさなければなりません。
敵は大きく、課題も多い。でもだからこそ、わたしはこの「私のからだデモ」が、大きな運動の輪として広がることへの希望も持っています。
―――(おわり)
…(つづき)
オンラインや路上でのヘイトスピーチのせいで、身体の安全を奪われ、安全な環境で家族を作ることを阻害されている在日外国人の人たちがいる。
刑務所で手錠をかけられたまま出産することを強いられてきた人たちもいる。
性差別と経済不況の重なりによって短期間での雇用契約を繰り返し、家族を作ることを現実の選択肢としては奪われてきた人たちがいる。
ただ生きているだけなのに、身体の在りかたについて延々と中傷され、性の在りかたについて暴力的な差別発言を受け続けているトランスジェンダーの人たちがいる。
私たちが直面するSRHRの課題。「私のからだを私が生きていくこと」にとっての課題は、少しずつ違う。決して同じではない。
だから私たちは、その違いを丁寧に考えたい。
自分にとっては壁になっていないものによって、行く手を阻まれている人がいる。
その壁を一緒に削っていく、一緒に壁を取り払っていく。
わたしはこのデモを、そんなデモにしたいと思っています。
…(つづき)
一方には、労働力不足を補い、社会保障制度を支えるための「健康な子ども」を産むことを期待される人たちがいる。
他方には、「不良な子孫」というレッテルを貼られ、生殖能力を奪われてきた人たち、障害がある人たちや、障害があるとされた人たちがいる。
自分が生きている性別を法律で認めてもらうためだけに、生殖能力の喪失を法律で義務付けられてきたトランスジェンダーの人たちもいる。
子育てしてこそ一人前だと、親戚中から言われる人たちがいる。
障害者が子どもを育てるなんて無理だと、親戚から言われている人たちがいる。
言葉の壁があって、妊娠しても病院に行けない人がいる。
妊娠したらクビになると言われて、妊娠を隠し続けなければならない移民労働者もいる。
本土から押し付けられた軍事基地のせいで、性の安全を脅かされ続けている人たちもいる。
自分の健康を守るためのホルモン治療を、クリニックや病院で拒否され続けるトランスの人たちもいる。
差別と闘うために裁判を起こしただけなのに、オンライン上で住所を暴露され、安全な子育てを阻まれている部落出身の人たちがいる。
…(つづき)
おかしな人権侵害がまかり通っている現実に対する、怒り。
変わるはずのものが変わらないことへの失望。
人権の訴えが伝わらないことによる孤独。
それでも、私たちは諦めない。諦めなかった先人たちがいるように。
諦めるよりも声を挙げることを選んだ「分からずや」が、今日ここにいます。
このデモは、これからもきっと、全国で続いていくでしょう。
SRHR。性と生殖にかんする健康と権利
この概念の根っこにあるのは、私のからだはわたしのもの という当たり前の原則です。
身体というのは難しい。ひとりひとりの身体は違うのに、十把ひとからげに「女の身体」だ「男の身体」だと、まとめられてしまう。
そしてこの国の法律や政治は、とかく「女の身体」と見なしたものに対して好き勝手なことを言い、その自由を奪い取るように管理をしようとする。
ただ、そうして身体をおおざっぱにまとめようとする権力が、ひとりひとりの身体に降りかかるしかたは、やっぱり少しずつちがう。
昨日の「私のからだデモ」での、わたしのスピーチ(一部省略)を以下に掲載します。
――
今日のこのデモは、日本社会でSRHRを実現するために、開かれました。
SRHRは、Sexual Reproductive Health and Rights の頭文字をとったもの。性と生殖にかんする健康と権利、という意味です。
このSRHRという言葉が必要になったのは、とりわけ社会の中で弱い立場に置かれる人たちが、性の健康を奪われたり、生殖についての健康を守られなかったりしてきた歴史があるからです。生殖をしたり、しなかったりする権利を奪われたり、自分の性を生きる権利を否定されたりしてきた人たちがいるからです。
だから、SRHRというこの言葉には、性と生殖の健康と権利を奪われてきた人たちの歴史と、その歴史を変えるために闘ってきた人たちの歴史が、刻み込まれています。
そして今日、わたしは、いや私たちは、その歴史に新しい1ページを付け加えることになった。それは、誇らしいことであると同時に、悔しいことでもある。
なぜならそれは、私たちがまだまだこの言葉を必要としなければいけないということだから。
遠藤麻衣さん、少し前に記事読んだな〜📰
フェミニストを怖いと私に思わせたのは誰 今考える「強さ・過激さ」
https://www.asahi.com/articles/ASSC12CM0SC1UPQJ00JM.html
《「イスラエルの攻撃を何とか中止させたいと願って参加したのですが、美術館の中でゲリラ的に抗議活動をしたことに『過激すぎる』『暴力的だ』との批判が来ました。『作品を鑑賞する時間を奪った』『美術館に迷惑をかけるな』とも言われました。私たちが何を主張したかよりも、どのような仕方で実施したかの方に批判が殺到したのです」》
《「今回実際にやってみて思ったのは、ゲリラ的に声をあげるという手法は、ちゃんとした手続きを踏んでいては『声』として聞いてもらえないような意見を、それでも人々に伝えるときに使われる最終手段なんだな、ということです。》
《「私自身が強くないし、日常の中で失敗もたくさんしてきています。でも、個人的なことは社会的なことだと訴えるフェミニズムを知ったこともあって、自分はダメだと思う必要は必ずしもないのだと今は思えます。『消え去ったからダメだった、失敗した』と決めつけるのとは、違う考え方をしていきたい。フェミニズムは、弱いとされている人が自分を変えなくてもよい社会を作ることも目指しているはずです」》
明日開催。
入場無料、観覧券も不要とのこと。コレクションによる小企画「フェミニズムと映像表現」の出展者から遠藤麻衣さんと百瀬文さんが登壇されます。
行きたかったー。この展示は開催中どうにか行きたい…。
https://www.momat.go.jp/events/20241215
やっぱり天皇制を残したのはいけなかった。
あれのせいで日本人のマインドがなんの反省もなく戦前戦中のままずっと今も続くことになった。
戦争責任の話だけじゃなくて、いつも誰かにやらされてる、誰かのせい、言われたから、っていう主体性のない人間を大量に産んだんだと思う。
だから誰の考えでもない幽霊みたいなものの意志が蠢くようなことになったんだと思う。
私もあんまりわかってなかった、戦争が終わった時にちゃんとけじめをつけておくべきだったんだと思う。
ネコロボで思い出したネコ型配膳ロボット。アスクルで売ってたのもびっくりしたし、1体300万するのもびっくりした。
https://www.askul.co.jp/p/KK09708/
スナック社会科というトークイベントを不定期で開催しています。