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このニュースに結構打ちのめされていたのだけど、この施設長が言っていることを「現実的」と肯定する人もいるだろうと思うと余計にげんなりする。
障害のある夫婦に生まれた子が育つか育たないかは、この社会にどんな子も育まれる余地があるかないかということでもある。これが「現実的」と肯定されるなら、そんな現実を作ってる今の社会がくそだって証左にしかならない。
tokyo-np.co.jp/article/220712

こういうことを考えていると神谷美恵子に行き着く。ハンセン病患者が島(隔離療養施設)を出て社会の中で暮らす運動が起きた時に、神谷美恵子は止める立場だったことがハンセン病患者や自立支援をしていた人たちから反発を招いた。今の社会で島を出て暮らしたら傷つくのは患者たちだ。というのが神谷美恵子の止めた理由だった。
それからずっとこの社会は変わっていないのかと思ってしまうし、この神谷美恵子の止めた理由も今でも(今こそ)考えなきゃいけないことだと思う。
というようなことを考える読書会というかお話会をやりたいなあ。

毎日絶望の種には事欠かないのだけど、絶望を絶望として受け止めてバリバリ食べていかないと希望も生まれない気がして。とりあえず、今週生き延びてまた考えよう。おやすみ世界。

以前、就労施設で障害のある女性が出産し、赤ちゃんを殺害してしまって有罪となった事件(相手は施設職員で特に罪にも問われず)、あの施設と今回明るみに出た障害のある方に避妊手術をさせていた施設は同じところだったと知り、たまらない気持ち。
以下スレッドに過去事件と今回の事件がまとめてくださっていてよくわかりますが閲覧注意。ちょっと考えましょうね、これ。色々と繋がりますし。
twitter.com/na_tsu_zo_ra/statu

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