政治についてであれ社会問題についてであれ、本邦の多くのいい大人が「自分の意見が言えない」ことについて、「間違うのがこわいから」とはよく言われるところであるが、私としては「なぜ自分がそう思うのかを説明できないから」のほうが大きいんじゃないかと思うんだよな。
普段から道筋を踏んでものを考えて意見を形成する習慣を持たないから、「現状」を否定する意見を持つことがまず少ないし、仮に現状を否定したいと思ってもどうやってそれをやればいいかわからないし、現状を追認する多数の人間から攻撃を受けたときに反撃し身を守る術を知らない。
他方で、多くの人が誰かを叩いていいというムーヴを見せると、それが不当なものであれ実に簡単にそこに乗っかるんだよな。連中に「皆がそう言ってるから」以上の行動指針は存在しないのである
広島原爆の日の式典、周辺での「平和運動」を締め出しへ 公園一帯で「入場規制」、プラカードやのぼりは禁止
https://www.tokyo-np.co.jp/article/342847
ド直球の表現規制で草も生えない。
つうか、平和運動を閉め出す「平和祈念式典」 #とは
“ファシズム―それは生殖段階から国民の身体を管理し、戦争資源として動員する。十五年戦争下、ドイツ・イタリアにならい、厚生・健民の名のもとに推進された、心身の健康を強制する政策と、資源として役立たないとされた病者・障害者たちへの過酷な差別。「存在に値する命」と「値しない命」を選別する国家体制を追及する、鮮烈なファシズム論。”
相模原障害者施設殺傷事件とオリンピックは地続きなんだろうな。
強制された健康 - 株式会社 吉川弘文館 歴史学を中心とする、人文図書の出版 https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b33704.html
マストドンにいると、今の自分は居心地いいなと感じている。
ただ、物事の捉え方云々、リアルとのギャップは一層感じやすい。
自分がフォローしてる人達、マジでどこにいるの…?もしかして皆幻…?とたまに疑うくらい。