鈴木道彦さんは『竹内芳郎 その思想と時代』でこのように書いている。
”「不偏不党」と「公正中立」の名のもとに、警察の流す情報のみを唯一の真実のように垂れ流すマスメディアこそ、読者から事実を知る権利を奪い取る「暴力」の名にふさわしいものであることを主張した。これはいくらか勇気を必要とする発言だった。というのも、メディアは「暴力学生」非難の声一色で、文字通りそれは「大合唱」になっており、それに疑問を抱くことは許されないような雰囲気が支配的だったからだ。こうしたメディアの報道に疑問を表明する者は、「暴力学生」の支持者・同調者として、これにも厳しいバッシングが浴びせられることは覚悟しなければならなかった。”(『竹内芳郎 その思想と時代』19頁)
あとは、『サルトル読本』の拙論で引用したこの言葉も。
”これに関して、サルトル来日中の一九六六年一〇月に、 サルトル、ボーヴォワール、平井啓之、鈴木道彦、海老坂武、白井浩司が参加して行われた座談会「私の文学と 思想」(『文芸』一九六六年一二月号に掲載された)において、鈴木道彦はこう発言している。「ご承知のようにサルトルさんの日本における影響は大きく、読者も多ければ研究家を自称する者も少なくありません。しかしおよ そサルトルさんの方向と異なって、体制内存在に陥っている者の多いのが私には残念です。[・・・] サルトルさんの作品は、日本と世界の将来の変革や平和のことを真剣に考える者のためにあるのであって、のうのうと消費の文学に固執したり、政治など糞くらえといった態度を示す 者のためにある作品ではないと信じています。これは絶対に、闘っている者のためにある作品です。」(日高六郎、平井啓之他『サルトルとの対話』、人文書院、一九六七年、
六七頁)。”
Xでリツイートされたので2004年のブログ記事で引用した鈴木道彦さんの文章をこちらにものせておく
”金(嬉老)は日本人を人質にして国家権力と対峙した。つまりわれわれは人質だ。そして人質になるとは不当であり、不幸なことだとわれわれは考える(……)。それはすでにわれわれが、日本人として、国家を己のうちに無意識にしのびこませている証拠である。(……)われわれがまず第一に明らかにしなければならぬのは(つまり「意識化」せねばならぬのは)、この集団的無意識であり、己の内部にくいこむ国家である。そしてそれを意識化する方法がただ一つしかないことは、ファノンの例でも明らかだ。すなわち金嬉老の告発した日本の国家権力に、われわれの立場から激しい告発を対置させることだ。私の考える民族の責任という課題も、この長く苦しい闘いによってしかとりようのないものであり、またこの闘いのみがわれわれを差別から解放する端緒だろう。それというのも差別することを受け入れるとは、差別されることにほかならないからである。”
(鈴木道彦「橋をわがものにする思想」、フランツ・ファノン著作集3『地に呪われたるもの』、みすず書房、213-4頁。)
https://sarutora.hatenablog.com/entry/20041028/p2
日本がクソ人権侵害国なのはその通りやけど「まるで中国や北朝鮮だ」はいらんやろ。日本が草の根人権後進国であることの根底にあるのは、人権侵害を糾弾するときですら人権侵害をやらかすとこやぞ。
>稲村氏を攻撃した側が最悪なのはそうだけど、「最悪(斎藤元彦当選)を回避するために」外国籍住民が踏まれるのは仕方ないのだというのは絶対違う。
ウンウン考え込んでたけど、そもそも「斎藤再選という最悪の事態は避けねば」を引き起こしたのは斎藤を知事にした有権者である日本国籍住民である。参政権を奪われている外国籍住民ではない。
それを考えると、「斎藤元彦再選を阻止する為に外国籍住民への差別を拡散するのは致し方ないのだ」というのは幾重にも酷いことだと思う。
QT: https://fedibird.com/@torinoko51/113532274046873248 [参照]
デモやります!!!
私のからだデモ ~私のからだは私のもの~
*2024年12月13日金曜日
*19時~20時30分
*東京駅前行幸通り
私の身体(からだ)を生きることを妨げる、全てのものに対してNOを言うために。
「少子化対策」などと言いさえすれば、どんな暴論でも許されるかのような政治家にNOを言うために。
自分の身体(からだ)を生きるために必要な医療へのハードルがまだまだ高い現実を変えるために。
自分の身体(からだ)を生きるために必要な性教育を受ける機会を、あまねく取り戻すために。
自分の身体(からだ)よりも会社の都合を押し付けられる、超長時間労働の生活破壊システムに「おかしい」と改めて言うために。
―――そのほか、なんでも。あなたの声を聞かせてください。どなたでも、前で話していただけます。
絶望しそうになる世の中で、集まって声を上げましょう。互いのからだを大切にする社会を作るために、集まりましょう。
https://watashinokarada.my.canva.site/
まわりでは妻マスク・夫ノーマスクの率が高いという話をみた
具体的には
夫ノーマスク、言ってもしない、だがいざかかると病院探し、予約、付き添い、看病、全部妻任せ。妻もうつされる。
という話 (理不尽)
ナメてる人はなぜだか男が多い、わかる
「アタシ・イン・ワンダーランド」は良かったけど、このドラマは未見。しかし
"マスクをはずして素顔をさらす変化をそのまま賞揚して終わることも、新型コロナ禍がつづいてインフルエンザも流行している現状にそぐわない。もちろん障碍は個性であって自己否定する必要などないというメッセージは理解できる。しかし心身や生活環境において病気に弱い立場におかれている人々を、感染症にかかるリスクを上げてまで顔を見せることにこだわるのは、出演者の顔を映したいTV関係者の利己主義が背景にあるのではないかという疑問がぬぐえない。"
「顔を見せることにこだわる」というのはTV関係者だけでないだろうと思うけど、なんなんだろう。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20241121/1732200955
サルトル+虎(タイガース)
https://sarutora.hatenablog.com/