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新幹線のターミナルとしての大宮のポテンシャルは大きい。ここはやはり東武鉄道としても東武アーバンパークラインの輸送強化を試みていただきたい。アーバンパークライン沿線からの新幹線利用客に乗っていただくですよ。柏あたりだと常磐線で大宮に行っちゃった方が早いのかもだけ、野田あたりだといい勝負になってくる。

最近鉄道駅バリアフリー料金の制度が始まったとはいえ、鉄道運賃はそれほど上がってない。少なくともガソリン価格ほどは上がってない。鉄道運賃は物価の優等生なのではないかしら。もともと乗客一人当たりの費用が廉価なのは関係しているのかしら。自動車がなければ生活していけないと言うひとも、月に一度くらいは鉄道やバスを利用してみたらいいのに。

二拠点生活の拠点、上田にする方向で固まりつつある。松本にあるもののたいていは上田にもあって、ただ広く薄く拡散しているだけなのを知ったから。

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舞台上の「夜学バー」に入ろうとは思ったんだけどなー - ふらふら、ふらふら syou-hirahira.hatenablog.com/e

二拠点生活の拠点案、わたしの頭の中で松本と上田が壮絶な争いを始めてしまった。どーしましょ。この間上田に泊まったら、上田のまちが素敵でね。そんで松本は松本でまた素敵なゲストハウスの情報提供があり、贅沢な悩みと言ったらそれまでだけど。
しかし、わたしは、「生活」がしたいのであり、それを考えると上田市がいい気はする。教会とスーパーが近くにあり、夏はバス一本で涼しい高原に行けて。松本はたぶん遊びに行く街。

最近予定がぐちゃぐちゃで、本を返却しに図書館に行く日程さえ無理やり詰め込んだ。

不正受給の手助けを依頼してきて、それをとがめたら、なんかぎくしゃくして、しまいには向こうからかかわりを拒絶するような状況に。そんな生活保護受給者が身内にいるが、それでも家族だから扶養しなければならないのか?ずいぶん迷惑な話だ。

「移動のしやすさ」(モビリティ)と「利用のしやすさ」(アクセシビリティ)がニアイコールになっているひとにとっては、自動車中心の街が住みやすい。ところが、この両者は必ずしもニアイコールにならない。アクセシビリティを優先すると、公共交通中心の街のほうが有利と言える。

そろそろ松本に「観光」に出かけるのも飽きてきたぞ。軽い二拠点生活みたいになるのかしら。
というわけで、松本平での「用事」を募集します。いまのところ期限なし。
…と書いたのが10月7日。そのあと、おとといから昨日まで上田・長野に行ってた。ゲストハウスに泊まり、近所のスーパーで総菜とパックご飯を購入。翌朝はそのスーパーで昼食のおにぎりを購入、マスクが安かったのでついでに購入。長野電鉄長野駅の改札口前で販売していたぶなしめじがボリュームの割に安かったのでこれも購入。大満足でありました。そうか、あのときのわたしに足りなかったのは「生活」…

無印良品に行くにしても、ショッピングモールの中の無印に行くのと、東武動物公園駅前の無印に行くのとではなんか違うんだよなぁ。ショッピングモールはマーケットが街を覆いつくす勢いがあるのに対し、東武動物公園駅前の無印は街のなかのひとつの店、という感で。

恋愛はしたい。したいんだけど、今してもどうしても張りぼて感がある。10代・20代ならではの恋愛というものを体験してみたかったんだけど、もうずいぶん経ってしまって。40代の恋愛というのが「日経おとなのOFF」に描かれるようなあれだと思うとやる気はしない。20代のひとを恋愛対象にして、仮に恋愛が成立したとしても、70年万博のパビリオンを模した張りぼてしかない部屋で思い出に浸るだけに過ぎないのはよくわかっているのです。

劇団夜学バーの演目にはあれこれいいたいことはあれど、ともあれ、若いエネルギーで演劇に取り組めるのは素直にまぶしい。
40歳過ぎて同じことをやっていたら「ちゃんとしていない」と言われちゃうもん。「ちゃんとしていない」ことが必ずしも悪いとは言わないけれど、ロールモデルは少ない。ドラマ「カルテット」が「ちゃんとしていない大人」のロールモデルを描いてくれたけど。

ショッピングモールはどこまで行ってもマーケットで、街にはなりえない。マーケットを歩くのと街を歩くのは違う。

これ、ペットボトルに関しては素直にアルミ缶に置き換えたほうが早いのでは。そういえばアルミ缶飲料って最近あまりみないんだけど。JRの車内販売でアルミ缶入りの水を買って逆に驚く。
「カーブとシュート」「レンジでチン」 最新のプラスチック再生技術
asahi.com/articles/ASSB43TJWSB

池袋は比較的大きなオープンスペースがあるから今まで大きな混乱にならなかったと推測するが、今年はどうなるか。
「日本は路上で飲んでも怒られない」ハロウィーン対策に悩む自治体
asahi.com/articles/ASSB73PGGSB

ふだん家にいるときはとりたてて生産も消費もしてないはずだが、いったい何して過ごしているんだろう。今月初めに松本に行った時に、「消費者」としてしかいられない自分を持て余し、もう松本に行くのはいいやと思ったのは一体何だったのだろう。自宅にいるときにそんな感覚は抱かないのに。なぜだ。自宅にいるときに無意識にしていた生産も消費もしない過ごし方を、松本で忘れたというのか。

長野に行ってました。
現地のひとと話していると、地元に遊ぶ場所がないとの若者の声があるとのこと。ううむ。東京郊外のわが町と同じだ。長野は電車賃が高いからなお悪いか。

物流のためには国道16号は絶対に必要なんだけど、しかしまちの道が国道16号のように車をひたすら流す道になるのは嫌で。車利用を前提としたまちで、目的地と目的地を車で移動するだけひとばかりでは、マーケット(市)はできても街はできない。
で、そんな気持ちを深堀りすると、合目的的な空間がとにかく嫌だ、ということに行き着く。道にいるときはどこかからどこかに移動するひと、ショッピングモールを歩くときは買い物するひと、と、単一の目的を規定されがち。それがなんか嫌だ。だからわたしは広場や公園が好きだ。

参考:鈴木智之(2018)『不在の場所―春日部にみる「町」と「道」のつながり/つながらなさ』、塚田修一、 西田善行編著「国道16号線スタディーズ : 二〇〇〇年代の郊外とロードサイドを読む」青弓社所収
ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100

アメリカ精神医学会のDSM-5は、心的外傷後ストレス障害の診断基準で、電子メディア、テレビ、写真、映画で外傷的出来事に曝露されることとそれ以外の場合を明確に分けている。電子メディアやテレビなどは「観客」であることをはっきりと認識する装置がたくさんあるからこの基準はリーズナブルだ。
ひるがえって、演劇はどうだろうか。DSM-5のPTSD診断基準は演劇による外傷的出来事への曝露を除外していない。これがどういう意味を持つかはよくよく考えたほうがいい。
「あれは演劇だから」という言い訳は通用しないかも知れないのだ。

とりわけ若年者で、急性アルコール中毒が軽く見られているのが気になる。

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