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民放の朝の情報番組で、奥多摩での「外国人」(そう、わざわざ外国人と名指ししていたのだ)による「無断バーベキュー」のことを報じていた。朝の全国ネットの番組で報じるほどのことなのか?日本国籍を持たないひとへの憎悪を煽って視聴率を稼ごうとしているように見える。怖いことだ。

政府の補助金がなければ、ガソリン価格がリットル210円台に上がっていたであろうことが資源エネルギー庁により想定されている。とはいえ。ここで補助金を出すことが長期的によかったのかは疑問が残る。今のようなガソリン依存を続けられないことを考えると、短期的な痛みは伴っても、ガソリン価格を高騰するに任せた方がよかったのではないか。ガソリン価格高騰が、大規模なエネルギーシステム改善の機運を生み出したかもしれないことを考えると惜しいことをした。

ただ、わたしはとりわけ都市部ではもう少し公共交通に移行してもいいと考えますよ。それが国全体でのガソリン消費量を引き下げ、自家用車がないと移動できない地域のひとが助かるのだから。個人的にはNAVITIMEおすすめ。細かな路線バスまで出てくる。無料でも結構使える。地図で目的地付近のバス停を調べたら、そのバス停までの乗換検索をすると意外なショートカットルートが出てくる。便利だ。

Threadsでの話。
コメの価格が高いと言ったときに、農家の苦労を考えてほしいとの意見があった。それは一理ある。
一方、ガソリン価格をリットル250円にしようと提案した時、それだけ高くなれば生活していけないとの投稿が100以上もついた。
ここでマタイの福音書7:3を想起しよう。他人の目のおがくずはすぐ気づくのに、自分の目にある梁には気づかないとの聖句だ。コメ10kg5,000円も、ガソリン1リットル250円も、高いものは高い。ガソリンにしてもコメにしても、どちらも消費者も切実なら消費者以外も切実だ。誰の目にも梁があるのにそのことには気づかない。にもかかわらず他人の目にあるおがくずにはすぐ気づく。人間とはそういう生き物のようだ。あれこれ批判をする前に、ちょっと一呼吸して、そのひとにも切実な事情があるのではないか、それも自分と同じくらいに切実な事情がと考えることが必要だ。
bible.com/ja/bible/1819/MAT.7.

医療事務の仕事をしている方が、何とか診療枠を空けても「その時間にはバスがないから」と断られる、急ぎと言うならタクシー代くらい妥協してほしい、と投稿していた。わたしはこの発言の問題点に気づかなかった不明を恥じる。つまり、タクシーがなかなかみつからないのだ。急病でタクシー会社数社に電話しても「その方面にはタクシーがいません」と断られた実例を耳にした。今日、わたしも実際にタクシーを呼ぼうと試みたが、何度試みてもタクシーが来るまでに30分以上かかるとの結果だった。それも駅にかなり近い地域で。呼べば10分くらいでタクシーが来るなんてのは古き良き時代の話で、路線バスを待つ以上にタクシーを呼ぶのに時間がかかる場合もある。それでも、あなたは、診療枠に合わせてタクシーで来てほしいと気軽に言いますか?

旧軽井沢銀座に、事情を知らない自動車が乗り入れていてやや危険だった。観光地に自動車で乗り入れることは様々な問題をもたらすことから、できるだけ路線バスや自転車に移行するように推奨していくことが必要だ。

改めて痛感したが、とりわけ都市部でのタクシー不足の解消策は、タクシー・自家用車から路線バスへの移行を促すことではなかろうか。今日はタクシーを待っていたが、あとでNAVITIMEで調べたら目的地の近くにバス停があり、大して待たずに路線バスで移動できることがわかった。それを最初から知ってればタクシーを待ち続けることはなかった。路線バスの利用者が増えることによって、路線バス網が強化されればタクシーの需要は減る。これで、安全かつ低コストにタクシー不足を解消できる。

さいたま市のとある駅前。出迎えの自家用車がひっきりなしに発着する中、わたしたちはタクシーを1時間も待ち続けた。車社会化が比較的進んでいる地域だから仕方ないとはいえ。さすがにここまで車社会化が進んでいるのはどうにかしたほうがいいと思う。

大糸線や飯田線の改良を国鉄時代にやってりゃ、少しは両線の経営状況も違ったろうし、なんなら伊那地域の都市の発展にも影響しただろう(飯田に行ってみたいがめちゃくちゃアクセス悪いことを国鉄に八つ当たりしてるだけ)

生活保護利用者の自家用車保有をめぐって、「私は不便でも自家用車なしで子育て乗り切った!生活保護利用者も税金で生活させてもらってるんだからそれくらいの不便は当然だよね!」と述べるひとがいた。いや、それ、自動車優先の都市計画をしてきた行政に公共交通優先の都市計画に変えていくよう言うべき問題なのでは。

親類が入院した。家に中学生をひとり残して。1週間の入院だと目処はついていた。ここで「支援」を入れるのに抵抗はある。どこかのユースホステルに1週間宿泊して旅してればいいような気がしましてね。わたしが牧歌的?

迎えの車がずらっと並ぶ夕方の駅前で気候危機を論じることほど空しいものはなかなかない

睡眠不足でもごまかしごまかし労働はできるが、週末にどどっとツケが回ってきて遊びに行けないなんてことになるので、睡眠不足には気を付けよう…

身体壮健な中高年男性に最適化されている社会構造と親子連れのひととのコンクリフトを、一方的にこどもを育てる親の責任にすると「子連れ様」という蔑称を使うようになる。

わたしが共産党を今一つ好きになれないのはつまりこういうこと。部落問題へのあまりにも冷淡な態度も教条的なイデオロギー優先で人間を見ないこういう姿勢から出てくる。
kamiyatakayuki.hatenadiary.jp/

他人の目におがくずがついていると指摘する前に、自分の目にある梁に気づいた方がいいでしょうねえ。柑橘系の名前がついてる会社との提携に質問状を出したひとたちは。

旭川から帯広までの旅客需要って、バスで足りちゃうくらいの需要なんだよ、たぶん。そうじゃなかったら根室本線の富良野~新得間の乗客はもっと多かったもん。寂しいことではあるけど。

第2回妊娠・出産・産後における妊産婦等の支援策等に関する検討会にて日本産婦人科医会が提出した資料「「正常分娩」の保険化に対する日本産婦人科医会の考え方」に「産科施設の工夫は「フランス料理」、「お祝い膳」、「エステ」のみではなく、健康な病気でない産婦にふさわしい病室環境を提供している」とある。保険適用がなされた場合の診療報酬ではこのようなアメニティを提供することは不可能である、よって保険適用には反対であるとの意見。しかしですね、かつて日本医師会の「日医NEWS」に投稿された長谷川功さんに言わせれば「医院の豪奢な建物と,ディナー,エステ等は,妊婦から分娩の怖さを覆い隠しているかも知れない.分娩が本来危険なものであり,産婦人科医の努力などでここまで安全になった事実が国民に理解されない限り,産科の医療訴訟は増え続ける」との意見を述べている。そして「分娩の怖さの本質は,普通と思われた分娩が突然豹変し,大出血や胎児の状態悪化が起こるところにある」と。もっともな意見で、そのことを勘案したら産科分娩施設の集約化は絶対に必要だ。当時の「日医NEWS」へのリンクを張っておく。
web.archive.org/web/2010121811

「推し」と言えるかは微妙だが、今年のミス都立大出場者の福光百花さんを推してる。一日一回ポチポチ。そういえば福光百花さんの声を一度も聞いたことがないぞ。

マナーが悪いカスハラ加害者の中高年男性がどれだけいても、飲食店からお断りされない中高年男性特権。
もう少し理論的に言うと、身体壮健な中高年男性が「標準」とされ、社会のさまざまなものが身体壮健な中高年男性のみに最適化されている。その結果、中高年男性特権が生まれる。
一例を挙げると、手話筆談お断りの飲食店は成立するが手話筆談以外お断りの飲食店は成立しないことなど。

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