戦前の沖縄には建造物だけで22件の国宝があり、京都・奈良に続く規模だったが沖縄戦で多くを失う。
国宝だけでなく琉球ルーツが大勢犠牲になり、琉球の痕跡も破壊された。
沖縄戦は偶然起きた悲しい出来事ではなく、琉球/沖縄が一つの独立国であった過去を消し去り、それを知る人びとを大量虐殺したジェノサイドだった事は否定できない。
同化が止まらない私は京都を旅するのが好きだ。厳かな町並みを歩きながら時折考える。この町のように日本が琉球/沖縄を大切に尊重してくれていたら、こんなに日本を嫌いにならなかったのではと。
日本人の多くは元もとの沖縄が好きなわけではない。逆説的に、日本人が好きになるような沖縄に変えてきただけだ。
それは沖縄人においても言える。そのままを受け入れるのではなく、「沖縄の人は優しい」という呪縛でもって好きな「沖縄人」を作り出してきた。日本人に反抗しないように。
アイデンティティはもとより有形無形な沖縄の財産を日本はあまりにも残酷に弄ぶ。
海だけでなく歴史も記憶も島丸ごと無遠慮に埋め立てる。辺野古だけ反対しても意味ねーのです。
引用した記事は大阪の会社が沖縄の自然豊かな地域をテーマパークにするというもの。
当然記事内に沖縄人の名前は、ない。
以前被差別部落について当事者の方が主催する講演会があったので参加した。沖縄には「被差別部落」がない。だからこそ「沖縄人が加害者にならないために学んでほしい」というメッセージをもっと強調してほしかったと今更思う。
強制的に日本へと武力併合されてしまったゆえに琉球ルーツは日本特有の差別に対して否が応でも責任が生じる。
琉球国に対する責任を果たさず、その上基地など沖縄の負担は増える一方なのに、責任と義務だけがただただ増してゆく。
リベラルな人から歴史的背景を無視した辛辣な批判を受けたり同胞が叩かれているのを目にするのも多い。
それがとてもしんどい。
昨日の県民大会にはヤマトの特定団体が関わっていた。それを執拗に批判するヤマトリベラルは何を求めているのだろう。県民大会を中止すれば満足するのか。ウチナーンチュが土下座すればいいのか。
ウチナーンチュが何度批判しようと何一つやめようとせず、問いかけには殆ど無視、応答したとしても琉球には触れず「日本人の責任を果たしている」と空虚な言葉を返すだけの日本人。
そもそも県民がなぜ何度も何度も集会を開かなければならないのか。誰がそうさせてきたのか。それを知ってもなお追い込むのか。
あなた方がすべきなのは運動の指摘や批判でなく、運動がいらない沖縄にすることでは。
「『沖縄ヘイト』とは、基地問題に対する本土と沖縄の対立を民族的な差別問題にすり替え、本土の反論を封殺しようとする基地反対派の戦略」<引用>
沖縄人へのヘイトをあくまでも基地問題に対する日本からの「批判」にしたい記者による、意図的に民族問題を隠蔽しようとする記事。
「普通の県民で『沖縄が本土の日本人から民族的な差別を受けている』と感じている人はほぼ皆無だろう。」<引用>
「普通の県民」とは誰を指すのか。現在この記者と同じような無意識の植民地主義から抜け出せない多くの国民による「琉球民族」を嘲笑する風潮が歴然とある。更に民族的な差別を受けている自覚のない琉球ルーツが多いことも重なり、差別を訴えるのが困難なため民族問題が周知されづらい。
実際先日のフォーラムでも登壇者の一人が、リベラルの反差別団体の中の一人(移住者)から「琉球って何?w国は認めていない。」等という差別的言動を受けたことを告発していた。
国が認めるから存在するのではない。民族否定は明らかな差別だ。歴史的事実を隠蔽/改ざんするようなリベラルは沖縄を領土として見ており、その点で言えば日本の利益を守る活動をしているだけでカタチを変えた搾取だ。
県内に蔓延るリベラルレイシズムにNO!を。
しばらく「英語くらい頑張って読め!なんとなくでもけっこうわかる!」みたいに思ってたけど、言語によるコロニアリズムとか、日本語圏でクィアコンテンツに触れる難しさにムカついたりしたのを経て最近は自動翻訳ツールとか使ってみんなもやろうとかそういう感じになってます。よくわからないけどゲーム画面の英語を翻訳してくれるソフトみたいなのあるらしいよ。これが定番ぽい?
https://www.gamespark.jp/article/2021/07/02/110097.html
玉城デニー知事に辞任を求める文書を提出した団体の主張は「沖縄県民は先住民族ではない」だ。(確かに移住者が含まれる「沖縄県民」は先住民族ではないのでそれ自体は間違っていない。多くの人が例えているように、アイヌを指すとき北海道民と言わないのと同義。)
彼らによると"沖縄県民が国際社会から先住民族とみなされるリスクが高まる"そうだ。知事が国連で勧告を撤回しなかった事への抗議らしい。ここでも中国の脅威を煽るが、琉球民族にとって最大の脅威は、このような国連勧告撤回要求の陳情や意見書をこっそりと全国の至るところで提出している日本(人)である。
そもそも国連の勧告を撤回させるなど不可能であり、琉球民族の存在を否定するのならその根拠を明確にするべきだ。果たして日本(人)は「いない」を証明できるかな。
今、多くの人が琉球/沖縄のため、戦争回避のため、自己決定権回復のためそれぞれできる事をやっている。それは耳に入らないような小さな運動から国連へと駆けつける世界規模の運動まで様々だ。そんな敬愛してやまない先輩方がいる限り、どんな手を使おうが日本(人)には先住民族をいない事にはできないでしょう。
「行き過ぎた/過激な反差別」だとレッテルを貼られフォローを外された事がある。フォローなどはどうでもいいが問題は「行き過ぎ」「過激」と判断した基準は一体何なのか、だ。
トランス差別やあらゆる差別に反対する同じ志を持ちながら、沖縄差別を民族差別と位置づけ、沖縄戦より歴史を遡らなければ見えない差別を訴える人を過激と一蹴するその傲慢さよ。
性差別解消を願う人の中には天皇制に疑問を抱かない人もいる。
そんな人たちにとっては女性天皇が誕生すれば「平等」達成であり、天皇制批判は「行き過ぎ」なわけだ。
自分が今いるポイントよりももっと後ろで差別されている人がいることを知らない。自分を最弱マイノリティ設定することで自身の持つ加害性は見なくてすみ被害者のままでいられ、小さな声を矮小化しぞんざいに扱う様はまるで今まで共に批判してきたマジョリティと同じじゃないか。
沖縄戦を忘れるな、辺野古反対、そういったヤマトリベラルが琉球侵略/
併合に一切触れず、民族差別を訴える人々に民族主義だと「過激」レッテルを貼る理由はそこである。
彼ら/彼女らは「救世主」にはなりたいが加害者にはなりたくないのだ。
加害者にならないためには沖縄戦からの歴史だけで「沖縄差別」を語らなくてはいけない。
同化を戦争に繋げるのは決して大袈裟ではない。民族差別という「始まり」を知らんふりした結果が沖縄戦/ジェノサイドなのだから。民族差別よりも沖縄戦を繰り返さないための語りが多いのは、高齢の方々にとって戦争の傷があまりにも深かったからだろう。
沖縄に「寄り添い」「救う」日本人マジョリティらは本を出し、映画を撮り、名誉や金を得て出世する。
しかし彼ら彼女らは決して侵略/支配/
民族差別には触れない。そうするとその「作品」の数々は日本人の罪悪感や加害性を薄める事しか出来ず、一見沖縄のための尊い行いのように見えたとしても実際は沖縄の人びとなど眼中にもないただの傲慢な「善意」でしかない。
その「善意」の押し売りで自らが背負う琉球/沖縄に対しての負い目から解放され、同様に多数の日本人の罪悪感を薄め、日本人のための英雄となれる。(良かったね)
日本人が作る沖縄関係の作品で(今以上に)自由になるのは日本人だけであり、その証拠に観察された当事者の状況は変わらないどころか年々悪化している。それでもまだ日本人が作る映画や本などでこの島が再び戦場となることを回避できると信じますか。
まずは侵略に怯える前に日本は侵略する側だと自覚し、ロシアだイスラエルだと「悪」を断罪するのなら自国で起きた侵略について直視すべきでは。
琉球民族の権利について発言し続けてくれていたコインさんのTwitterアカウントが無くなってるの、残念すぎる
たまに呟きます 沖縄/琉球ルーツ🔥