こちらもまた「毎日がお祭り」キャンペーンがさらに5年間続くのだと思うと、辟易します。
日本全体が貧困化するなか、浜通りでだけ続くKYなイベントや、時代を勘違いしたリトルトーキョーを目指した箱物づくり、その上、税金原資の予算をなぜか自分たちの力だと勘違いした県政の高飛車、さらに県政に取り入った学者たちの我が物顔にさらに5年間付き合わなくてはいけないのか、と思うと、さすがに、住むところを変えたくなってきました。
東日本大震災からの復興推進へ 1兆円台後半の財源確保検討へ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241219/k10014673071000.html
処理水放出にならんで、これぞ国策!の第二弾が来ましたが、他省庁の事業でも再生利用を進める、というと、考えられるのは国交省だと思いますが、はてさて、どうなることやら。
そして、処理水の時と同じような、いわゆる「リスコミ」キャンペーンが始まるのだとすると、広告代理店さんと「御用学者」さんたちがまた一儲けですね。
「除染土の県外搬出で中心的な役割を担う環境省や復興庁だけではなく、他省庁の事業でも再生利用を進めるため、連携を強化したい考えだ。」
除染土の福島県外最終処分へ閣僚会議 来春に基本方針、夏には行程表
https://www.asahi.com/articles/ASSDN2CHFSDNULBH00HM.html
こういう検証記事、すごく大切だと思います。
ものすごく日本的だな、と思うのは、
①一時の熱と盛り上がりで十分な議論もなく、壮大な計画を立てる
②十分にまわりの意見を聞かない(聞くことの重要性を理解できない)
③一度計画が決まると進行は硬直的な官僚主義、計画変更はありえない
④計画執行が自己目的化、最後がどうなるかは誰も考えなくなる
⑤時間が経つと当初の目的を忘れて、ぐだぐだモード、事業自体が半端になる
⑥はっ、と正気に返った人が、「そもそもこの事業って不要だったんじゃ?」と気づく
⑦とはいえ、大多数の人はもう忘れて反省もしないため、また①に戻って同じことを繰り返す
亡国の掟ですね。
復興期限が切れた途端の手のひら返し 未完の防潮堤、財源メド立たず
https://www.asahi.com/articles/ASSDH0R1JSDHUNHB00HM.html
ゴミの排出量全国ワースト1、2位を争っている福島市が、ゴミの分別を守らない悪質なものは開封調査して、身元がわかれば名前を公表とのことなのですが、こんな手間をかけるならゴミ袋を値上げすればいいだけのような気がするのですが、なぜ値上げしないのでしょうか。
以前住んでいた村では、半透明の指定ゴミ袋(ものすごく高い)に、世帯の名前を記入して出すルールになっていました。(半透明なので中身はぼんやりとしか見えない)
名前を書いていないと持っていってもらえなかったし、村なのでみんな書いてました。
悪質な違反ごみは開封調査へ 福島市の条例成立【記者解説】
https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20241217/6050028244.html
お金のことと風評払拭と芸能人の話しかしないいつもの内堀さんでした。
ただ、内堀さんが3期目に当選する時に、「ああ、終わったな」とは思っているので、今、あれこれ私がここで言っているのは、たんなる愚痴みたいなものです。
原発事故からの復興のような、前例のない、創造的政策力が問われる場面で、決められたことを決められた通りにこなすことだけに執着し、逸脱を許さない人を県のトップに追いたら、事態がよいほうには進まないのは明らかなことでした。
内堀さんにできるのは、国の予算が尽きるまで予算を要求し続けることだけでしょうし、予算がある限り、福島は、日本の政治の貧困さ(昭和ばらまき以外の政策を作れない、なんのイノベーションも起こせない)ことを引き続きあらわにし続けるのだろうと思います。
「内堀雅雄知事は16日の定例記者会見で「本県が訴え続けてきた切実な思いをしっかり理解していただいた」と評価した。」
首相、復興財源「今まで以上に確保」 知事「思い理解してくれた」
https://www.asahi.com/articles/ASSDJ43DZSDJUGTB00CM.html
人口統計学などは、データサイエンスが最も活用できる分野のひとつなので、ここ数年データサイエンスがやけに言われるようになったけれど、日本のデータサイエンスの取り組みは10年単位で遅れていて、2011年震災当時には、ごく一部を除いてほとんど重要性が認識されていなかったことも背景要因として効いているのではないかと思ったりもします。
原発事故後の人の出入りはかなり複雑で、たんにグラフを眺めているだけではわからないことが多いのですが、データサイエンス的な統計手法を用いた分析はあまり多く行われておらず、そのため、全容が掴みづらかったところが大きいと思います。
帰還意向調査のような、信頼性の低いアンケートのみに基づいて政策立案されていたのでは、方向性は大きく間違うに決まっている、と改めて思います。
上の世代は、統計の重要性をそもそも認識できていない世代なので、そこも大きいと思います。
人口統計学、すごい。
福島県が原発事故で子育て世代の女性が薄くなって、その後、単身男性ばかりが増えているというのもちゃんと論文になってた。
(もっと早く知りたかった。)
魔術的な統計手法を駆使した計算結果を見て思うのは、やっぱり、国と福島県の女性を軽んじた(というよりもガン無視した)原発事故後の対応は、完全に下手を打った、ということです。
元々出生可能世代の女性はより多く出ていっているのに、自主避難家賃補助の打ち切りを行うことによって住民票を移し、完全に移住してしまったし、新たには入ってこない。
避難区域の話ではなく、福島市を含めた全県の話ですが、若年女性がこれだけ出ていっている以上、人口減少ペースは今後加速することがあってもゆるむことはないだろうと思います。
もっとも東北被災三県、特に岩手も状況は深刻なので、福島だけとは思いませんが、
ジュディス・ハーマンの『心的外傷と回復』には、下記の内田樹が引用しながら紹介していたような批判(バックラッシュ)がありました。
日本でもそれを引いて、ニヤニヤしながら「幼児期の性的虐待なんてそんなにあるわけないだろ。自意識過剰なフェミがアホなこと言って」と言わんばかりの批判をしていた中高年男性論者は多数いたと記憶しているのですが、昨今、精神分析家に吹き込まれたわけではなく、家庭での性的虐待を受けたサバイバーが日本でも多く名乗り出ていることについて、こういう方達はどう考えているんでしょうか。
やっぱり誰かに吹き込まれて、洗脳されているとでも思っているのでしょうか。
http://blog.tatsuru.com/2003/10/01_0000.html
予算の使い方が単にまずいだけならいいですが、まずいことによって負の影響が大きくなっていることが問題なんです。
人口規模に見合わない箱物は当然維持費が捻出できなくなり、自治体は住民サービスを行えなくなります。
イベントにしか使えない補助金や、復興大宣伝キャンペーンばかりを意図した補助金は、人口減少によって、地域どころか日本全体の人的リソースが逼迫しているなか、社会の改善のために必要な事業に振り向けるべきリソースを奪います。
既得権益のインナーサークル優遇の予算のばらまき方は、地域の新陳代謝を妨げ、地域の活力を奪います。特に男性高齢者ばかりが大きな顔をし、女性や下の世代は、さらに抑圧される状況を招くことにつながります。
一時的なばらまきによって人を集めようとするのは、地域に根を張ってがんばろうとしている意欲的な人のモチベを奪い、ばらまきにうまいことつるむ人だけが幅を効かせる状況を招きます。
こうしたことを一切考えないまま、現在の予算を維持しろ、増やせ、と言い続けているのは、到底正気の沙汰ではありません。泥舟の上で宴会をしているようなものです。
毎回、復興予算の見直しが出るたびに、こういう世論操作的な県民の声を福島民報が打ち出して、国に圧力をかけるというやり方を繰り返してきていて、こういうのを見るのも、本当にもう、うんざりなんです。
双葉郡の現状がどういうものなのか、私は、実際に見たり聞いたりしていて、今後も長期的な対応が必要であることは疑いを持ちません。
一方、現在の復興政策のあり方や、復興予算の使われ方が適正かというと、一納税者として、まったくそう思いません。
東京のコンサルや広告代理店、それに、自民党のお仲間に食いついた人たちが優遇される仕組みになっていますし、そもそも、長期的な政策目標さえはっきりしていません。
そんななか、金額だけ増やせ増やせ、という福島県政の方向性には強い違和感をずっと抱いています。
「福島テレビと福島民報社は、12月13日と14日に福島県内の702人を対象に電話による世論調査を行った。」
震災・原発事故の復興事業や交付金 半数以上が「維持または強化」を求める声《福島県民世論調査》
https://news.yahoo.co.jp/articles/71d01a1e6766fafe391c60f13a833c4860403834
同じ世界的な有名建築家でも、こちらにお願いしておけば、浪江駅前ももっと地元に即した、みんなに愛される駅になったかもしれないのに、と思いました。
「能登半島の被災地に、被災者が思い描くまちの拠点となる集会所「みんなの家」ができる。世界的な建築家、伊東豊雄さんが理事長を務めるNPO法人「HOME-FOR-ALL」が18日、石川県珠洲市、輪島市、能登町の6カ所で計画を進めていると発表した。」
能登の被災地に「みんなの家」 建築家と住民が対話、描くまちの拠点
https://www.asahi.com/articles/ASSCL119TSCLPJLB007M.html
相馬野馬追の女性の参加を認める件、「専門委員会」と「騎馬会」で意見が違っているように書かれていますね。「専門委員会」は誰で構成されているのでしょうか。
見直しを行わなければ、双葉郡は移住者も増えていますので、今後、移住者の野馬追参加も増えると思いますが、男性の移住者が華やかに参加が認められ、一方、女性は地元含めて参加を認められない、ということになると思います。女性への差別的構造が、以前よりも明確に見えることになります。
今は、「復興のシンボル」として風当たりは優しいですが、女性への差別的待遇が明確になると、風向きが変わってきた時に、潮を引くように人が離れていくことになるのではと思います。
見直すなら今のうちだと思います。
「女性の出場は戦後初開催の1947年に解禁され、53年に成人女性が初出場した。84年には「化粧をしない」のほか「未成年の未婚者」との条件が「騎馬会決定事項」で明文化された。だが、今年4月の執行委員会総会で条件の緩和を求める意見が出て、関係団体が検討に入った。」
相馬野馬追の女性出場条件 「未婚の20歳未満」見直し求める声
https://mainichi.jp/articles/20241214/k00/00m/040/192000c
日本の成人男性のなかに、成人女性に対する忌避感と、年少の女性に対して性的関心を持つ傾向が高いことは以前から気になっていたのですが、成長の段階で、自分に自信が持つことができず、成人女性に引け目を持ち、年少女性に性的関心を抱くようになっている男性が多いのだろう、と思います。
そうなる理由の背景には、母親偏重の子育てがあるのだろうと思います。
母親は母親で、「きちんと子育てしなくてはならない」というプレッシャーから、子供への過干渉へ走り、一方、子供は自尊心を育てることができない。
結果、自尊心のなさと過干渉の母親への苦手意識から、成人女性への忌避感を抱くようになり、年少女性へ性的関心を抱くようになる、というパターンがあるように思います。
売る方の年少女性は、子供の頃からの虐待であったり、親が売りをさせているなど、社会の矛盾が集約した形であらわれていて、摘発したところで問題は解決しない、というのもそうだろうと思います。
とても考えさせられる記事でした。
作家/NPO福島ダイアログ理事長/博士課程後期在学中
原子力災害後の復興政策と地域住民のギャップを埋めるためのローカルプロジェクトの意義と重要性について研究する予定。
・著書『海を撃つ』(みすず書房)
『スティーブ&ボニー』(晶文社)
『末続アトラス2011-2020』(福島のエートス)
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