TBSでやってたドラマ、予想通りの着地点右寄りで終わる形になったわけだが、野生の証明、皇帝のいない八月、宇宙戦艦ヤマトなどの例を持ち出すまでもなく1990年代中頃までの日本のエンタメの中心から出てくるものは作り手の思想志向に関わらず、エンタメとはいえこの手の話を取り上げる場合は、公安なり諜報なりの政府機関に対する怖さ、残忍さもしっかり提示していたものであるが、最近になると制作サイドの視点が統治機構の持つそれと重なっていることがままあり、しかも作り手は「中立」を自認していたりと、同じ傾向に陥っていた戦前の日本エンタメ界よりも、タチは悪くなっているように感じる。しかもこうした流れは、一見着地点左で終わる形になっているエンタメでも同じことが起きていて、左右総崩れみたいな様相を呈していて、結構な絶望を感じなくもない

名探偵コナンにおける「安室透」というキャラクターに見る日本エンタメ界の雪崩れ具合、みたいな論文でも誰か書いてくれないものかな。名探偵コナンの脚本家の変遷を見ていくと着地点左で作品を締めることができた人たちが多く参加していたわけで、そういう作品が次第に着地点右寄りに流れていき、それに比例して興行収入も伸びていくというこのシチュエーションは、なかなかに興味深い

これ本当にそう思います。そして「安室透」を育てたのは、「貧困ジャーナリズム大賞」をもらっている脚本家だというのが、「現代の転向事例」として扱われるべきだと思いますね。コナン以前とコナン以後では、あの人は似て非なる脚本家になってしまいました。
そして「安室透」の成功例が安易な公安や諜報機関の称揚につながっているのも間違いのない話ですね。

ここへの指摘が無さすぎますよね、特に映画関係のライターから。あなたらの一番の腕の見せ所ではないかと。だって日本エンタメの大黒柱ですよ、今のコナンって。やるたび興行新記録打ち立ててるお化けコンテンツですからね。

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出版社がビビって企画出せないんだと思います。

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