新しいものを表示

いやまぁ、まだ誰がなんなのかわからないんだけどさ…

十角館に来た人物の多くが、いけすかないとまでは言わないけどあまり好感度高くなくて、この人たちが主人公なの?と思ってたら真の主人公らしき人たちが登場するので、あ、やっぱりあえての描写だったのねと納得するなど

ときおり地名がイニシャルになるのはなんなんだろう。舞台の近くの半島や岬がイニシャルなのはわかるけど。O市は大分市ではない…?

なんかこう、話にチラッと聞いてはいたけど、ひたすら大分県が舞台だな…。あんまり行ったことないけど、地名はなじみがある。臼杵磨崖仏は一度見てみたい。

あと、異動のないときの3月末ってわりと手持ちぶさたで、本を読もうという気分になりやすいのかも。

十角館の殺人の出来事の日にち、ちょうど今頃なんだ。別に偶然ではなく、読もうと思ったのはドラマの宣伝を見たからで、そのドラマの宣伝がこの時期に合わせたということなんだろう。

寒いというか、空気が冷たい。手袋いるレベル。

洗濯が毎日先送りになっており、まずい

ガンダムシードファイナル(タイトル違う気がする)見なきゃなーと思いつつ、まあ3月中はやってるだろとたかをくくっている。

予報と体感の解離にはいつも悩まされる

天気予報の気温は低めだったので、今日もロングダウンコートを着てきてしまい、ちょっと後悔。それほど寒くない。

『光るとき』を歌う練習をしている

これらの3組、ルーも、弥恵もクェスも亡くなってしまう。3人に共通するのは〝いい子〟にこちら側に来ないようにと一線を引くところ。めちゃくちゃ傷つけながらも相手のことを大事に思ってるのだろう。弥恵は自分のクスリ体験をあけっぴろげに語るのだけど、妹や弘隆には絶対にクスリをさせなかった。なまじ分別があるが故に、自分が〝いい子〟の側にいけないと思い知って(それも思い込みなのかもしれないが)絶望している。私は子供の頃、多恵子を自分に重ねてルーのことを思って(実際にそんな知り合いはいなかったけど)、それで弥恵やクェスのことも考え続けている。

スレッドを表示

私の感受性の一番強い時に刺さったまま忘れられないのが『十四歳のエンゲージ』のルーと多恵子なんだけど、この組み合わせは弥恵と弘隆、クエスとハサウェイにもつながっていく。家庭の愛情に飢えた子と、家庭に恵まれた〝いい子〟。前者は自分の孤独を自力で埋め合わせる術を身につけて生きてきたので、人を惹きつける魅力があるのだけど、近づいてみると振り回されて後者の手には負えない。前者が他人も自分も傷つけるのは、どうしようもなく助けを求めてもがいているからで、後者は助けたいと思うけど、経験も少ない子供には何もできない。

いろんな作品に芹生と弥恵を見いだす女

なんとなく疎遠になるといえば、五代くんとこずえちゃんを思い出す。あれ、作品内でこずえちゃんの扱いてきとーにしてない?と若い頃は思ったけど、現実には就職云々の忙しさにかまけて自然消滅ってよくあることなんだよなと今になると思ったり。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。