「わたしに会いたい(西 加奈子)」 https://www.amazon.co.jp/dp/4087718492/ #読書管理ビブリア
宝塚のニュース。今現時点での劇団の公式発表を「誤魔化してる」扱いにするのは、さすがに早計だと思うけれど、「ゴシップに惑わされるな」は違うはず。
私たちがゴシップ、と切って捨てるようなものの中には、力関係によって、その手段を選ばされるしかない、という訴えが含まれていることがあります。
弱い立場に立たされている側は、その不当な扱いを訴えるのに、正しい方法なんて選べない。だって、弱い立場なんだからね。
あと、話題が大きくなるにつれ、セクハラ、パワハラといったハラスメントを訴える被害者が「弱い立場に追いやられていた」という前提を、私たちは簡単に忘れる。
(訴えが大きくなる=好きな人を加害者と認定する人が増える→それは不当な扱いである、みたいな)。宝塚、以前もそれ、あったでしょう。
「組織の中で弱い立場にある人が、その立場によって不当な扱いを受けないようにする」
弱者が虐げられる構造を作らない、のは組織が背負うべき責任だと私は思う。
だって、上下関係も、利害関係(利害契約)も、組織が構造として作り出してるものなんだからね。
呪術廻戦 壊玉・玉折。原則はミリしら。面白いから、また最初からもう一家は見ると思う。ただ、1期から小ネタ満載だけども、これは原作もなのかしら。正直、ちょっと疲れる。後、特に二期、全体的にエヴァとか押井守の絵を連想するけど、意図的だよね…これはもう、本歌取り…なのかな?
「雨」と「拍手」の音が似ている事の演出、効果的。これはもう「雨かしら?」だわ。音が出せる動画ならでは。
DHCの製品を取り扱ってるスーパーで、お客様のご意見の中に「DHCの製品を取り扱わないでほしい」というのを見かけたことがある。DHCの差別の開示を受けてのことだと思う。お店は取り扱うと回答していたんだけども、その貼りっぱなしのご意見に対して「在日」という落書きがついているのを見たことがある。
すぐに店員さんに声をかけて剥がしてもらったんだけど、店員さんはピンときてないみたいだった。私の対応が正解だったのかよくわからない。でも、これを、誰か、当事者の目に見せたくないと思った。それが結構前のこと。そのスーパーで今日「DHCの製品を愛用の方もいらっしゃいますので取り扱いはやめません」という趣旨の案内があった。紙じゃないやつ。ちゃんと作られたやつ。よっぽどそういう声があったんだな、という気持ちと(まあ、私も出した)、一方で、そういう声がありながらも、取り扱いは続けるんだな、そして、その取り扱いを続ける理由を「愛用者」のせいにするんだな、と思ったら、もう、もう。
愛用者は慮るけど、差別の被害を受ける人は慮らない、というそのスタンスの開示は、差別への加担じゃなくてなんなのか。
伝える側が「エアコン使用『できず』」という言葉を選択すれば、その選択によって社会の状況や問題点を(「言外に」であっても)読者に想起させることができるのに、あえてそれをしない。
報道する側のこのような姿勢が、ここ数年目立つようになってきた。問題点を見せないようにするために、例えば「子ども食堂」や「公共冷蔵庫」への取り組みを伝える場合も、「良い取り組みだね」「助け合いって良いね」などという感想しか生みそうにない「ほっこりニュース」扱いになるよう言葉を「選んで」いると感じる。
報道機関が情報の「受け手」に対して、起きている出来事とその背景を結びつけさせないような言葉の選択を(おそらくはそのことに細心の注意を払って)してきたことも、「自分の生活と政治を結びつけて考えられない人たち」を大量に生み出すことにつながっているのだろうと思う。
フィギュアスケートとかフィギュアスケートとか。 自分の好きな物とか好きな事とか誰彼かまわず進める人とかいるじゃないですかああいう感じです。*陰謀論、わかったふりのジャッジ批判大嫌い。田中刑事、山隈太一朗、大島光翔、アイスダンス、柚香光、咲妃みゆ、瀬央ゆりあが一推しです。差別とヘイトは許容しない。生活と政治は直結してると思ってる。