思うにギャングスタラップっていうのはリズムにしろリリックにしろ煎じ詰めれば今日一日をどう生き延びるかという音楽で、大文字の理想を掲げるタイプの音楽ではない。ノイズはたいてい極端に個人主義的、密教的で、どちらかと言えばリスナーに孤立を促す性質のものでやはり理想を掲げるタイプの音楽ではない。いずれもフェスとかでみんなで共有するような種類の音楽じゃない。これに対してロックのプレイヤーとリスナーがいっしょに意識の改革を目指していくような側面、あるムードとかフィーリングで世の中を変えていこうとする志向っていうのは、パンクさえそう、ノーフューチャーというのは現実ではなく夢想だから、今となってはすごくおもしろいものに思えるんだけど、自分にとっては遠いものだったと再認識せざるを得ない。それでも愛とか希望とかはたまた絶望とかアイソレーションとかさまざまな夢を売る人たちのことが羨ましくずっと羨望の眼差しを向けていて、ようやく向かいあったときにはサブスク全盛期でもう実質的に終わってた。ロック的なリボルテ志向ってみんなで同じものを聞く、という経験に裏打ちされてたように思う。ジョン・ケージもレイブもそう。すなわちそれまで資本で分断されていた演奏者とオーディエンスの垣根を取っ払って、同じものを聞くという経験をみんなで共有すること。
『ポスト資本主義の欲望』(大橋完太郎訳) p.48-49より〈左派メランコリー〉についての注釈
左派が参照するウェンディ・ブラウンのもうひとつの重要な論考は「傷ついた愛着(Wounded Attachment)」です。「傷ついた愛着」は、今日の左翼の世界の緒側面を高いレベルで予言しています。ブラウンは「傷ついた愛着」内でニーチェを引用し、傷との関係でアイデンティティを定義するような仕方によって、ある種の左翼的欲望が動員されたと言い、その行程を示しています。左派が言うには、道徳主義は、
弱者の反動的な態度の支えとなるような感情を与える。弱者とは、「強者との対立において自らを定義する者たち」のことを指す。社会主義者による社会建設という前向きな計画が近年消滅するのにともない、左派的説教は、損傷や失敗、被害者であることへの投資額を増やすことによって、その活力を獲得してきた。権力が容赦なく支配的なものとなったとき、権力は左派がそこから遠ざからねばならないようなものとなる。そうしなければ、吸収されるか、あるいは妥協することになる。
つまり、ここで述べられているのは、権力それ自体が病理である、という考えです。権力の保持は圧政と切り離せない、したがって、傷つけられた惨めな状態になる方がマシだ、というわけです。
『悪魔のいけにえ』解説 (STUDIO VOICE 2008, 6 Vol. 390より)
ホラー全般が苦手なんですが『悪魔のいけにえ』は例外的に好きで、かつこのレビューはとても良い出来だと思うのでここで紹介します。以下。
「子ども時代は失われた」
『悪魔のいけにえ』
「赤頭巾ちゃん」のサイケデリック・ヴァージョンで、ジジェクがヒッチコックを素材にラカンの学説を逆検証したように、フロイディアンこそ自らの存在証明を賭けて解釈に取り組むべき映画でしょう。「子ども時代は失われた」というフロイトにトビー・フーパーはかなり肉薄しているし、だからこそ僕たちはこの映画からいつまでも離れられないのだから。青空の意味を理解できなかったリメイク版はまったく論外。(三田格)
小西康陽/桜井鉄太郎/窪田晴男『孤独の値段』(窪田晴男Vocal)【歌詞聞き取り、文字起こし】(1994.10.25『ガール ガール ガール/集大成I 野望編』より)
形にならない魂の叫び
たとえば君の愛や今度(※聞き取り不能)はなぜ僕が買い占めることはできないの
お金ならあるのにさ
環境問題も大事 世界平和それも大事だけど
僕が欲しいのは君のハート君の秘密それだけさ
いくらでも払うのに
みんな何考えてるの
世界一住みにくい取り残された島で
だけど僕にとってもうどうでもいいよ
君がいることがパラダイス もうどうにでもなれ
(Yeah)
言葉じゃないんだ魂の叫び
今すぐ君の愛や愛撫(※聞き取り不能)の中で僕はひとり溺れてみたいのに
お金ならあるのにさ
憲法改正も大事 世界平和それも大事だけど
僕が欲しいのは君のハート君の体それだけさ
いくらでも欲しいのに
みんな何考えてるの
世界一住みにくい取り残された島で
だけど僕にとってもうどうでもいいよ
君がいることがパラダイス もうどうにでもなれ
(×2)
だけど僕にとってもうどうでもいいよ
君がいることがパラダイス もうどうにでもなれ
(×2)
お金ならあるのにさ
いくらでも払うのに
(Stop!)
YOASOBIの『アイドル』ありかなしかって話、僕はいいんじゃないのって思いますけどね。J-Popがマニエリスムというのはその通りなんだけど、マニエリスムの果ての洗練と歪さこそ日本が「世界」に求められているものだと思う。それこそオリエンタリズムの変奏なんだけど、シティポップブームにしても日本って国が歴史の重みから解放された一種のユートピアみたいに外からは見えるって側面があるんじゃないかなって気がしています。
それで『王の病室』の一話読んだんだけどさ、なんか興醒めしちゃうんだよね。医者ってすごい仕事だなとずっと思ってきたから。いやさ、話そのものはあれだけじゃストーリーにならないし、ひっくり返される可能性も高いと思う。作者があのパイセンみたいな医者をいいって考えてるわけじゃないこともわかる。でも多分にヒステリックな反応かもしれないけど、あの漫画読んでから医者にかかって「この人ももしかしたらこんなこと考えてるんじゃないか」って思う患者がいるとしたら、それ自体は小さな綻びでも社会不安に繋がるんじゃないかな。終身医療や延命治療が数十年後に誰もが直面する現実で、形而上では命の尊厳で形而下では治療費でみんなが頭を悩ませるスパッと割りきれない問題だなんてことはああやってショッキングな形で提示されないとわからないものだろうか。
(I can't stop loving you)
I've made up my mind
To live in memory of the lonesome times
(I can't stop wanting you)
It's useless to say
So I'll just live my life in dreams of yesterday
(Dreams of yesterday)