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もともとルネサンス期に「発見」されたヒューマニズムっていうのはそういうものだよね。手術で王様の腹を開いたら自分と同じ人間だったっていう驚き。これが世俗主義に説得力をもたらした。ちなみに今ある「人道主義」はその末裔。

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アルス・ロンガとか言っても実際に生きている人間に比べて人間の作ったものなんて大したもんじゃないと思うんだ。その人がそこに生きているだけで死んだ状態より価値があるというのはきっと真理だと思う。個人の感想です。

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朝起きるたびに同じことを思うけど、僕は自己意識を持ちながら死ぬことを運命づけられた人間のような動物に本当に興味が尽きないよ。生きていることは奇跡というけれど、それは確率論的に正しいってだけではなく生物学的にもそうで、高校の生物基礎の教科書をパラパラするだけでも人体のバロック的な精巧さに圧倒される。こんな複雑なものはとても自分には作れないと思う。

ラスタとキリスト教の関係については以下。
「まず、聖書宗教としてのキリスト教、ラスタファーライの世界は、イエスとセラシエどちらの救世主が正しいのか、という闘いである。一神教の世界というのは、自分が信じている神こそが唯一の神だという世界なので、イエスもセラシエも両方好き、という答えは原則的に成り立たない。この二者択一のライバル関係の論理にしたがって、白人VS黒人といった「人種」や悪と善といった倫理が対立的なものとして積み重なっていく。ジャマイカでは圧倒的多数がキリスト教徒なので、キリスト教をライバル視し、のりこえていくところにラスタファーライの革命性があり、それがしばしばマジョリティからの嫌悪を呼び起こしてきた背景のひとつになっている。」
hagamag.com/series/s0053/6493
ハイレ・セラシエ1世について。
historist.jp/word_w_ha/entry/0
“Tricky Kid”の歌詞の全文。
songlyrics.com/tricky/tricky-k
ちなみに“Christiansands”という曲の歌詞の中にもキリスト教が登場する。
“I've met a christian in christian sands, a devil in Helsinki”
youtu.be/0vtRiHt73iY

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同郷のトリッキーの“Tricky Kid”って曲の歌詞もジャマイカの宗教的背景を抜きに解釈することができない代物で、なぜ両者ともジャマイカなのかといえばそれはブリストルが奴隷貿易の中継地点だったからなんだけど、当時も今もトリップホップの「ブラックネス」については十分に語られていない気がするのでここでちょっと紹介したい。同曲の以下の下り。
Here comes a Nazarene
Look good in that magazine
Haile Selassie I
They look after I
God will receive us
Got me like Jesus
God will receive us
Got me like jesus
Mary magdaleine
That'd be my first sin
Being with this temptress
"Tricky Kid" を YouTube で見る
youtu.be/M4ijSxDcJ7c

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ユーザーの囲い込み自体は腹立たしいけど、埋もれさせるには惜しい情報は豊富にあるからサルベージできるだけ他所に移さないといけない、というのは僕が勝手にやっていけばいいとしても、困るのは簡単には手放せないってことで、プラットフォームとしてどんなに問題あっても社会インフラとしてなくちゃ困るレベルで有用だからまだアカウントが必要なんだよな。

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Twitterはまだまだ重要な情報のハブなんだなと実感した。今回のワグネルの件でも各国の人々のリアクションをリアルタイムで追えるっていうのは本当にありがたいことだと思ったし、なんかあったときのライフラインとして国を跨いでも機能しうるのは今でも実質的にTwitterだけだと思う。

今の日本のネット上の「反差別」言説の原型を作ったのは、間違いなく「ヘサヨ」と呼ばれ、右派だけでなく左派からも疎んじられてきた左翼の一群であるのに、彼らの敷いたレールの上を歩いておいて、彼らの名前をおくびにも出さない人たちはアンフェアでリスペクトに欠ける人たちだと個人的には思っている。僕自身、彼らとは相違点があるし、その言説には功罪両方あるなと思ってはいるんだけど、それとフリーライダーの問題とはもちろん話が別。

モアシール・サントスの『Ouro Negro』はボサノヴァというよりDr. Dreの『2001』を生でやったらこうなるんじゃないかというぐらいの管楽器とドラムの音圧を堪能できる傑作だと思う。

」のサウンドトラック。音楽アルバム単体での評価で、当該の映画の評価とは無関係です。映画の他にテレビ作品、ベスト盤等を含む。

マッシヴ・アタックの“Karmacoma”のサビ、どこの歌詞サイトでも“Jamaica & Roma”となっているけど、ビデオクリップを製作したジョナサン・グレイザーの言うようにちょっと聴くと“Jamaica Aroma”という風にも聞こえる。いずれにせよそこで仄めかされているのはおそらくレゲエ・カルチャー(「ジャマイカの香り」)とラスタファリズム(「ジャマイカ対ローマ」)だと思うんだけど、そう考えるとあのビデオは単にキューブリックのパロディというだけでなく、西洋=バビロンの退廃的な一部始終を捉えたもののようにも思える。
「業、昏睡、ジャマイカそしてローマ」
"Massive Attack - Karmacoma" を YouTube で見る
youtube.com/watch?v=Vi76bxT7K6

極私的な感想ですが、行政府と交渉するのに「オレは弱者だ、だから国家はオレを庇護せよ。なぜなら基本的人権はなんぴとにも保証されなければならないものだからだ」というロジックで詰め寄るのはちょっと無理が過ぎるんじゃないかなという気がします。

ありゃ、入ってなかった…
これですね。田中勝則プロデュースのウィルソン・モレイラのアルバム。
Wilson Moreira “Peso Na Balança”
(discogs.com/master/1243786-Wil)

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在Mastodon上,看到一些成年人以「非洲小孩」作為笑話的種族主義言論,真的感到厭倦。但說實話,這些卑俗且狹隘的人生價值,僅限於吃飯和睡覺,有比「非洲小孩」更有價值的嗎?這只不過是對理智人士的嘲諷,與你一點關係也沒有。把有色人種,尤其是兒童當作笑話的材料,本身就是極度可憐的行為。那些自命不凡、自以為是的面孔,應該知道自己的立場和身份。

«?Libération nationale, renaissance nationale, restitution de la nation au peuple… quelles que soient les rubriques utilisées ou les formules nouvelles introduites, la décolonisation est toujours un phénomène violent?»
La décolonisation n’est donc pas une mystification, ni un phénomène magique?; il s’agit bien d’un processus inéluctable dans l’acte décisif de remplacement inévitable du colonisateur par le colonisé?; c’est l’étape nécessaire à l’appropriation par la force de l’identité nationale, de la terre, de la culture et de soi-même.

ダサいレーベル名のせいで音楽好きからシカトされがちな村上龍のレーベルからも2枚選びました。同じようなことをブラジルでしていた日本人に田中勝則という人がいて、彼のプロデュース作品からも1枚、ウィルソン・モレイラのアルバムを追加。両者の名前を同じリストに入れられたことを嬉しく思います。
80年代後半からバブルを経て90年代末頃までの日本と「世界」との関わりに思いを馳せるのも一興でしょう。
「ワールド・ミュージック」については、デヴィッド・バーンがニューヨークタイムズに寄稿した“I hate world music”という記事(query.nytimes.com/gst/fullpage)
は今なお重要。
興味を持たれた方のために、マーカス・ガーベイの脱国家的抵抗運動
(history.com/topics/black-histo)
やフランツ・ファノンの『地に呪われたる者』などを改めて推薦しておきたいと思います。

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」のアフリカ/ブラジル/キューバ/ジャマイカの黒人音楽。【ポスコロ入門編(?)】

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