学術会議やこども家庭庁の話などを聞いていると、何となーくだが、国は学術や家庭の領域に実効支配の手を伸ばしたいというよりも、むしろ象徴的な次元で動いているのではないかという疑念がわく。合理的政策の決定(良い政策という意味ではなくて「彼ら」の目的にとって実効性を持つ政策という意味)や行政の施行よりも「戦後民主主義に連なるものは全て敵」という論理が優先されているじやないかと。
こういうムーブメントは、それこそ敗戦直後から陰に日向に脈々と続いてたのだろうけど、今あるような大輪の花となって咲いたのはやはり安倍晋三のおかげであろう。彼は60年安保闘争に恨み骨髄だった岸信夫の遺志を継ぐ人間であると共に、恐らく「知」なるもの全般に根深いルサンチマンを抱いていたと推察される。(周りに侍らせてたメンツを見れば、そりゃもう…)つまり、彼はエスタブリッシュメント中のエスタブリッシュメントでありながら、反エスタブリッシュメントの面をも持つという、大衆が非常に感情移入しやすい対象だったといえる。これで彼 が岸田総理のように弁舌さわやかだったら、たぶん総理にはなれなかっただろう(って誰かが言ってたような)。
故人の学業成績に云々するのはアレだが、学生時代の安倍氏は控えめに言って優秀とは言い難かったと聞く。ただ、彼の「知」への反感は、ただ個人的な事象であっただけでなく、もっと時代に共有された気分でもあったろう。「岩波的」教養主義は、80年代くらいまではまだ「ヘゲモニー」を保っていたのではないか。いわゆるニューアカもゴーマニズムも朝日新聞=岩波書店的文化へのアンチとしての性格を持っていた。その気分としての「反権力性」は、広く「共感」を誘うものであり、何を隠そう俺もハスミンの尻馬に乗ってシネ・フロントや岩波文化ホールをこき下ろしていたのである。まあ俺は反省しないけどね。だが、安倍の反知性も、この態度と明確に地続きなのは否定できない。つまりここでは戦後民主主義的知性に対する評価が問題だったのだ。
ともあれ安倍は、「知」と「戦後民主主義的な明るさ」に対して執拗なまでの攻撃性を示してきた(ここは蓮實と一緒)。そこが彼の唯一のアイデンティティだったんじゃないか。その意味で彼の軸は一度もブレていない。人としてはブレていたとしても、やはり彼は一種の「怪物」であった。その怪物の怨念が国民と国家にしっかり転写されて今に至ると。考えてみるとあっぱれです。単に生まれがよかっただけでは、ここまではできない。
象徴的行為がなにより優先される国家、とはファシズム国家ということになるのかな。ちょっとそこらへん勉強不足なのだが、言えることは 「象徴」とは、限りなく「呪術」に近いということだ。ごく単純にカルトなわけだが、こうした儀礼の目的はまずもって「カタルシスを得る」ことにある。つまり、「溜飲を下げる」ことが、ただそれだけが国家の行為の目的となり、大衆は敵認定された対象が悲鳴をあげると溜飲を下げて大喜びするわけだ。(小泉改革あたりが始まりかな。あと事業仕分けとかもありましたな)相手が学者や公務員だったらまだ「既得権益の打破」なる大義名分が立つが、最近それすらなくなって、矛先が「高齢者」になっている。
狂ってるの一言だが、高齢者への嘲罵が「政治」となるのが「溜飲を下げることの自己目的化」がたどり着く論理的帰着なのだ。自分の尻尾を喰らう蛇みたいなものである。ある意味、数学的で美しい。また、こうした蛮行には合理的な理由もある。国家は国民の支持という利益を得るからだ。維新を見なさい。彼らがやっていることはひたすら支持者の「溜飲を下げる」ことに向けられている。
で、社会全般に見られる、合理的利益の追求、からの、象徴的=呪術的目的の追求、へのシフトは、思うに「二世三世」が関わっているように思う。俺の狭い経験の範囲内でいえば、中小企業の二代目三代目って、言葉は悪いが、ほぼほぼ使い物にならない奴らばっかだったのね。もちろんこの見方にはバイアスがかかっている。実際、何度もひでー目にあったもん俺。いまでも腸が煮えくり返ってくる。それはともかく、大体のパターンで言うと、創業者が高度経済期の上げ潮に乗って企業をたちあげ、80年代にこの世の春を謳歌した後、バブルの崩壊を経てドラ息子どもが食いつぶしてゆくという感じだな。どこもそんなんばっかだった。企業の寿命40年説ってほんとだと思う。
この破綻がコロナよりもわかりやすい形で起きたのが件の暗殺事件だった。公安も警察も、結局「左翼対策」という「呪術」に明け暮れたあげくに、山上容疑者という「リアルな何か」に裏をかかれてしまった。まあこれはじいちゃんの岸が反共反共でゴリゴリだったことが、孫の代で論理的帰結を見たってこと以外の何ものでもない。北海道の件も含めて、まったく警察は使えない組織になってしまった。あんなお行儀のいい人たちをマークしてるのが仕事なんて、おまじないにもほどがある。ま、国と統一教会との関係性には二つの面があるのでしょう。岸の時代からのつき合いという歴史的な側面と、そもそも組織の論理が親和的だという内在的な側面と。中枢におまじないが居座っている国家ですから。それ以上でもそれ以下でもないので、あんま陰謀論に行かない方がいいようにも思う。
酷い国だ。
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RT @mantokunaoko
病院代払ったら水道代が払えず「止める」とハガキが来たと相談がありました。もうすぐ80、生きていてもしょうがないという女性を励ましてだんどりをつけた帰り道、こんな政治でいいのか!とブリザードのなか運転しながら怒り💢
https://twitter.com/mantokunaoko/status/1618159219282432005
で、維新の面々を見てると、奴ら中小企業の二代目三代目にそっくりなのですよ。威勢がよくて自信満々。「改革」が大好物だ。でも無能だからやることなすことが全部あさっての方向に行ってしまう。さらに底にはボンボン特有のルサンチマンがくすぶっているという。現実主義者だった昭和の政治家や創業者と違い、二世三世=維新は始めからファンタジーの世界、花畑に住んでいる。すると彼らのとっての「リアル」は、どうしても「象徴的」「呪術的」にならざるを得ない。俺、間近に見てたんだから。実際スピにはまってた奴も多かったし。だが最後は事業の衰退と倒産というリアルな世界が待っているわけだ。維新と自民の場合はそれが国家の破産に。。。ならないか。国は滅びませんよ、たぶん。 国民が滅びるだけで。アベノマスクなんてまさに呪術でしかなかった。コロナウイルスに呪術で立ち向かおうとした国家とか空前絶後だと思うのだが。
Twitter、落ちてんだね。まああんだけエンジニアの首切ったら、そりゃ回るものも回らなくなるわな。というか、利払いの期限そろそろだよな?キャッシュ足りてないだろ、どう見ても。マスクはこのまま所有権手離すことになるのかねえ。
マスクと面識あるらしいシリコンバレー第3世代にあたる人なんかな、その人がこの間アメリカのTechnic系のMastodonサーバーに「マスクはエンジニアではない、ギャンブラータイプの投資屋に過ぎない。ペイパル投資で出来た有形無形の貯金をTwitterて吐き出した。装飾が取れてこれから本当の彼が出てくる」と投稿してあって、なるほどなあと思うなどした。
NZ次期首相、アーダーン氏が在任中に受けた中傷や脅迫を非難
彼女がどうやって表に出てきたのか。彼女の父親がそれなりに名の知れた心理学の教授であることも影響あるんだろうが、学生結婚後に夫婦揃って自民党主催の感想文発表会、もとい論文コンクールで受賞する前の段階で「ピックアップ」されたのは間違いない。それはどこの誰の意思なのか。その後、農学部にいた彼女が藤原帰一のゼミ生となり、あれよあれよと岩波から単著を出すことにまでなるわけだ。
1980年代後半、英国で流行したポップソングの一部が歌い手の声は違えど全部似たようなものになったのだが、そうした曲はストックエイトキン&ウォーターマンという三人組のプロデューサーチームにより作られていた。三浦“濱村”瑠麗にせよ、古市“ゼント”憲寿にせよ、最近出てきた「若手論客」とやらが、皆同じ匂いを纏っているのはなぜなのか。三浦は藤原帰一を、古市は上野千鶴子や本田由紀らの東大駒場陣営の引き立てによって箔をつけ世に出てきたわけだが、こうしたプロセス含めてその背後に「ストックエイトキン&ウォーターマン」的な連中の存在を感じずにはいられない
oO(こんなの見つけたw)
TwitterのタイムラインにMastodonの投稿を挿入するChrome拡張機能「Mastodon Chirper」を使ってみた
https://gigazine.net/news/20230122-mastodon-chirper/